Nobuyuki Arai's

新井宣之プレゼンツ、2008年ベスト・レース・ワン・ツー・スリー〜インディカー編〜

画像 早いものでもう年の瀬の12月に入り、2008年が終わろうとしています。そこで、これから全3回にわたって、僭越ながら筆者が独断と偏見でインディカー・シリーズ(IRL)、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)、そしてNASCARという北米主要3カテゴリーの2008年ベスト3のレースを選んで振り返ってみようと思います。第1回目となる今回は、インディカー・シリーズのベスト3レースを振り返ります。

 シーズン開幕直前の2月28日にチャンプ・カーと歴史的な統合を果たし、13年ぶりにひとつのシリーズの元で開催された北米最高峰オープン・ホイール・レーシング。その新生IRL初年度となった今シーズンは、当初の予想を超える素晴らしい戦いが展開され、北米のレース・ファンにオープン・ホイール・レースの魅力を再認識させることになりました。それゆえ、シーズン全17戦から3レースを選ぶのはほんとうに難しかったですね。この3レース以外にも、昨年まででは到底考えられないようなハイレベルな戦いが多く見られたので、できれば「ベスト5」にしたいくらいでした。2003年にIRLの取材を開始して以来、間違いなくベスト・シーズンだったと断言できますね。

<第6戦ミルウォーキー>

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 ライアン・ブリスコーが悲願の初優勝を飾ったのがこのミルウォーキーでした。この優勝は、ブリスコーが名実共に北米最高峰オープン・ホイールのトップ・ドライバーの仲間入りを果たした、非常に印象深いレースになりました。以前、このコラムでも書かせていただいことがありますが、ブリスコーは2005年にトヨタ系ドライバーとしてチップ・ガナッシからIRLに参戦していたときに一緒に仕事をさせていただいたこともあり、筆者にとっては個人的な思い入れの強いドライバーであることも、このレースを選んだ要員のひとつになっています。ただ、贔屓目に見なくとも、このレースで見せたブリスコーの走りはほんとうに素晴らしいものでした。特に、レース終盤のスコット・ディクソンとの壮絶な一騎打ちは、見ていてかなり興奮させられました。177周目にディクソンを鮮やかにパスした走りも印象的でしたが、その後のディクソンの猛烈なアタックを凌ぎ切ったあたりに、ブリスコーがドライバーとして成長したことを物語っていたと僕は思います。トヨタと袂を分けてからは走る機会に恵まれず、一時はこのまま消えていってしまうのかと思われたブリスコーですが、その才能を拾い上げたロジャー・ペンスキーのおかげもあり、その後は実力を発揮。今年からIRLに復帰し、そしてこのミルウォーキーで念願の初優勝を飾ったのです。表彰台で、チームスタッフにダイブして祝福を受けていたブリスコーの笑顔がほんとうに忘れられません。その後はミドオハイオで2勝目を挙げ、ノン・ポイント・レースとなった地元オーストラリアのサーファーズ・パラダイスでも圧倒的なスピードで優勝。同僚のエリオ・カストロネベスが脱税容疑にかけられて来シーズン以降の参戦はいまだ未知数のため、今後はチーム・ペンスキーの看板ドライバーとなることは確実です。将来のチャンプ候補、ブリスコーが“目覚めた”レースとして、今年のミルウォーキーは語り継がれていくことでしょう。

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 ブリスコーの初優勝に隠れてしまいましたが、前日の予選ではマルコ・アンドレッティが21歳79日という史上最年少でポール・ポジションを獲得し注目されました。今までマルコがポールを取っていなかったというのも意外でしたが、マルコがまたもや記録を打ち立てたというわけです。しかも、この予選でマルコを最後の最後まで苦しめたのが19歳のグラハム・レイホールで、結果的にこのふたりがフロントロウを独占。IRLの世代交代が確実に進んでいることを印象付けた予選でもありましたね。また、残念ながら9月に他界したニューマン・ハース・ラニガンの共同オーナーだった名優ポール・ニューマンがレース現場に足を運んだ最後のレースでもありました。グラハムがトップタイムをたたき出したあと、クルマに寄って行き、優しく抱き寄せていたシーンはほんとうに感動的でした。レース中、サングラスをかけてピット・ボックスでじっとモニターを見ているニューマンの姿が、今後見られなくなってしまったのは非常に残念です。心からご冥福をお祈りいたします。

<第8戦アイオワ>

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 我らが武藤英紀が、日本人ドライバーとして北米最高峰オープン・ホイールで史上初めて2位表彰台を獲得した、歴史的なレースでした。今改めて表彰台のシーンを思い出しても目頭が熱くなってくるほど、感動的なレースでしたね。じつは、まさかこのレースで武藤が表彰台に上れるとは、現地にいた日本人メディアはもちろん、多くの人が思ってもみなかったと思います。なぜなら、決勝当日の武藤のマシンは、お世辞にもトップ争いをできるほど満足できるレベルにはなっていなかったのです。走り始めからフロントのグリップ不足に悩まされ、一時は16番手まで順位を落としてしまう苦しい展開だった立ち上がり。しかし、ピットインのたびにウイングの角度を調整するなど微調整を加えたことでマシンは徐々に回復。ここで無理に前に出ず、燃費をセーブする走りに徹したことが功を奏したのです。最後のピット・ストップをする必要がなくなったことで一気に2番手までジャンプ・アップし、最後は同僚のマルコに追われていたこともありトップを行くダン・ウェルドンへの追撃はできなかったものの、堂々2位でフィニッシュ。日本人初の表彰台をゲットしたのです。恥ずかしながら、このときはもう仕事のことを忘れて大声を上げてしまったほどでしたね。ほんとうに感動的なレースでした。

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 ただ、意外にも表彰台の武藤は笑顔をあまり見せず、むしろ悔しがっている表情でした。レース後、「2位になったことよりも、優勝できなかった悔しさのほうが大きかった」と、語っていた武藤を見て、目指すべき場所が大きいんだと、改めて実感させられたのを今でも覚えています。とはいっても、こちら取材する側からすれば日本人ドライバーが表彰台に上がるという歴史的瞬間。とある日本人カメラマンから、「ヒデキぃ〜、笑顔笑顔!」と言われ、少しながらようやく笑顔を作ってくれたなんていうエピソードもありましたね。後日談ですが、「やっぱりあのときもっと自分の成績に喜べばよかった。気持ちの切り替えができないようではダメですね」とも語っていた武藤。レース中も、そしてレース後も、何かと印象深い週末でした。

<第3戦もてぎ>

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 13年ぶりの北米オープン・ホイール・シリーズの統合や、スコット・ディクソンの2度目のチャンピオン獲得といった印象的な出来事が多く見られた2008年シーズン。しかし、最もエポックメイキングな出来事といえば、もうこれ以外には考えられません。そうです、ダニカ・パトリックが女性ドライバーとしてサーキット競技における世界のメジャー・レース・カテゴリーでは史上初めての優勝を飾ったのです。しかも、それが達成されたのがツインリンクもてぎでのインディジャパンでした。レースの内容以上に、社会性のある出来事として、普段はレースのことを掲載していない一般誌を始めとした多くのメディアがダニカの優勝を報じ、一躍時の人となったことは記憶に新しいかと思います。日本ですらこれほどの騒ぎだったのですから、本場アメリカではどれほどだったかは想像を大きく超えていました。毎年夏に、米スポーツ専門テレビ・チャンネルESPNが主催する“スポーツのアカデミー賞”ともいえるESPY Awardで、ダニカが「最優秀女性アスリート(Best Female Athlete)」にノミネートされるなど、とにかく連日連夜大変な取り上げられようでした。もともと知名度は抜群だったものの、この優勝で“実力も兼ね備えた美人女性ドライバー”という評価に変わっていったといえます。それほど、エポックメイキングな出来事だったわけです。

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 それにしても、今年のインディジャパンは雨に泣かされ、決勝レースが日曜日に順延されるなど波乱に満ちた週末でした。特に、サーキットまで足を運んでくださった多くのファンの方々はほんとうに大変な思いをされたと思いますが、そんな苦労も日曜日のレースがすっかり忘れさせてくれたのではないでしょうか。それほど、ダニカの優勝までの道のりは劇的なものでした。アイオワで武藤が取った作戦と同じように、ダニカは最後の給油を行わない燃費作戦を敢行。残り50周を無給油で走り切る作戦でした。そのため、最後のスティンではペースを落とさざるを得ず、トップのディクソンらからは大きく遅れてしまう展開に。しかし、イエローコーションは出ず、トップ勢は残り10周を切ったところで続々とピットイン。あれよあれよという間にダニカのポジションは上がっていき、ついには前にいるのは同じ作戦を採っていたカストロネベスのみという状態に。しかし、カストロネベスは最後のピット・ストップ後のペースが明らかに速すぎたため、ダニカよりも燃費が厳しくなって大きくペースダウン。残り1周半で、ダニカがそのカストロネベスを捕らえ、ついにトップに浮上したのです。このときのスピードウェイの歓声といったら凄まじいものがありましたね。チェッカー後、ヘルメット越しからもわかるほど大粒の涙を流していたダニカの姿は非常に印象的でした。ダニカといったら、レースウイーク中は緊張感を高めるため、常に厳しい表情を見せていることで知られていましたが、このときばかりは感情を抑えきれなかったようですね。ほんとうに感動的なシーンでした。レース後の記者会見で、「これからは『優勝はいつになるんだい?』という質問を受けずに済むのがうれしいわ」と語ったのは、まさに本心でしょう。注目度が高いこともあり、目に見えないプレッシャーと戦ってきたということだと思います。そのプレッシャーをはねのけ、ついにつかんだ優勝の二文字。もてぎ後のダニカはやや失速気味で、2勝目は来シーズン以降に持ち越しとなってしまいましたが、このダニカの初優勝は今後未来永劫語り継がれていくことは間違いありません。歴史を作ったダニカの大粒の涙が、2008年シーズンを象徴していたと、僕は思います。皆さんはどうでしたか?