Kazuki Saito's

“チャンプ・カー北の国へ” 日本初・公道グランプリ開催への道! 第32歩>>あれから10年・・・・・・

初めてチャンプカーが走ってから10年目
9月末に小樽でもう一度走らせる予定です
 3週続けて2003年のマカオ視察編が続いたので、今回は最近の話題を。
 ちょうどゴールデン・ウイークと重なって書くタイミングを逸していたのだが、今年もツインリンクもてぎで行われたインディ・ジャパンに行ってきた。もてぎといえば、CART時代にチャンプ・カーが日本で初めて公式戦を開催した場所であり、その前の年(1997年)に行われたテストで、日本で初めてチャンプ・カーが走ってからもう10年。早いもので、来年は記念すべき10回目のレースを迎える。
 当時、アメリカで取材してきた者として、日本に初めて本格的なオーバルが誕生し、実際にチャンプ・カーが走行したのを見て、たまらなくうれしかった。それまでに写真や文章を何度もアメリカから発信してきたものの、日本で馴染みのなかったオーバルの醍醐味を伝えることはとても難しかった。編集者に直接会って説明しても、なかなか解ってもらえない。まさに百聞は一見にしかずで、見てもらえさえすれば、その素晴らしさをきっと解ってもらえるはず。そう信じていた僕にとって、ひとつの夢が実現したようなものだった。
 あれから10年経ち、ふと気が付けば、当時と同じような自分が今もいる。今度は市街地レースの素晴らしさを知ってもらおうと、こうして拙文を書いたり、方々に出向いて話を聞いていただく日々だ。小樽市民のみなさんをはじめ、行政の方やスポンサーなど、もう何人に会っただろう。そう言えば、ツインリンクもてぎも創業を迎えるまでに様々な困難に直面していたことを思い出した。今回初めてVIPルームに入れてもらえたのだが、当時の社長だった小林さんや支配人の高桑さんと久しぶりに再会し、その頃のことが頭をよぎった。みんな、無我夢中だった。
 今年、僕は駆け出しのプロモーターという立場でレースを観た。しかし正直言って、いったい今まで何をしてたんだと思ったほど、知らなかったことがあまりにも多すぎた。まったく、恥ずかしい限りだった。

筆者近況
今年はアメリカに行かないと家族に宣言したものの、週のほとんどは小樽にいるので、結果的に前よりも家にいなかったりして。でもアメリカと違い、いざとなったらすぐに帰ることができるので、気持的にはだいぶ楽ですね。それに時差がないのもうれしくて、帰ってきても体調が崩れないのがいい。時々、絶対にできると信じていても、ものすごい不安に襲われます。そんな時は市街地レースのビデオを観て元気回復!
(オートスポーツ誌 2006年6月22日号に掲載)