今年で10年目を迎えた日本のオーバル・レースだが、ツインリンクもてぎの中で最初から現在までレースに関わってきた人は、数えるほどしかいない。日本にスーパー・スピードウエイが誕生したものの、日本ではまったくと言っていいほど馴染みがなかった、オーバルのレースを担当することになった土屋一正さん。その道のりは暗中模索と言えるもので、まさにチャレンジの連続だった。日本でオーバルのレースを主催する難しさ。その舞台裏を聞かせていただいた。(インタビュアー:齊藤和記 まとめ:川合啓太)
Q: 早いもので今年10年目を迎えますが、始めた当初の頃はどうだったんでしょう?
「もてぎで最初にレースを見るまでは、実はあまりオーバルには興味がなかったんですよ。もちろんインディは知ってましたけど、その素晴らしさをよく解かっていなかった。ホンダに務めながら、71年から鈴鹿サーキットのオフィシャルをやっていて、F1にも関わってきたので、僕の中ではF1が一番でした。だから、最初のCARTのレースはオフィシャルの会長として行ったんですが、その速さには驚きましたね。
その最初のレースの後に、もてぎのモータースポーツ支配人をやることになって、98年の6月から担当することになりました。2年目の開催に向けたCARTとの交渉が、最初の仕事です。アメリカで主催者が一堂に集まるプロモーターズ・ミーティングに出て、色々と意見を出し合ったのですが、その時に我々は責任を感じましたね。日本では我々が頑張って、しっかり普及させるしかないと思いました」
Q: 日本でオーバルのレースを主催する難しさは、どういうことでしょう?
「今でもそうですが、まだまだオーバルの面白さは知られていないし、面白さを知ってもらうのは、ほんとうに難しい。日本はヨーロッパ型というか、F1のことだったらほとんどの人が知っている。まるでサッカー対アメリカン・フットボールのようなもので、違う世界のものなんですが、アメフトだってカッコいいし、知れば知るほど面白くなる。全開で走り続けるオーバルはシンプルですけど、シンプルなりの大変さと言うか、リカバリーできない難しさというものがあるんです。これをどうやって普及し、オーバルを認知してもらうかというのは、今でも悩んでいます」
Q: オーバルのレースを運営する面では、いかがですか?
「やはり天気、ですね(笑)。余談ですが、年間8戦あったうちのダート・オーバルのレースのほとんどが雨で流れて、1戦しかできなかった年もありました。それほどこの地域は雨が多く、ハードルがとても高い。毎年コントロール・タワーには、女性の従業員が作ってくれたテルテル坊主が10個あるんですよ(笑)。天気の行方には神経をすり減らしています」
Q: ということは、やはり雨で順延になった2000年のレースが最も辛かったのでは?
そのとおり!(笑)。この9年間で、最も大変でした。ジェット・ドライヤーを何度も走らせましたが、ガソリン1リッターで60センチしか乾かないから、それだけで数100万円もかかってしまって。でも結局雨が降り続けて中止になり、その後の色々な手配が大変でした。もっと辛かったのは翌日で、ターン2のコースの最も内側にある路面に、水が染み出ていたんです。
ピットから出たクルマが走っていくところで、レーシング・ラインではなかったのですが、危険だということで修復しなければならなくなった。もうスタートの時間は変えられないし、テレビ放映の都合もあったから、なんとしてもスタートまでに直さなければならない。レースがスタートする5分前まで、みんなで泥だらけになって作業しましたよ。
あの時のCARTのスタッフには、ほんとうに感謝しています。30人ぐらい集まって、きれいな服を汚しながら、絶対に何とかしようって頑張ってくれましたから。芝生とアスファルトの間の土を削ってなんとかなったんですけど、念のためにピット・ロードのスピード制限をターン2の先まで延ばしてね。ほんとうに、ぎりぎりでした。レースまであれだけ自分自身もハラハラしながら、スタート何分か前になって『あ〜、いける』という気持ちになった。あれが一番大きな思い出ですね」
Q: アメリカのレースから学んだことも、多いのでは?
「アメリカはドライバーがファン・サービスを断ったらペナルティを受けるぐらい、ファンをとても大事にしていますし、オフィシャルはピットとチームの控え室を、できるだけ離せっていうんですよ。そこからドライバーが出てきてピットに行くまで、ドライバーはファンにサインをしなければならない。それが彼らの仕事なんだって、言うんですね。フォーミュラ・ニッポンも昔はピットとトレーラーの間がほとんどなかったんですが、チームのみなさんに理解してもらって毎年少しずつ離し、今は10メートルまでいきました(笑)。
フォーミュラ・ニッポンやGTでのピット前のサイン会がありますが、あれはアメリカから学んだものを生かしたんです。それで、同じ事をF1にもお願いしてみたら、できたんですね。一昨年から木曜日にドライバーのサイン会をするようになったんですが、あんなことは前代未聞というか、お願いすればできるもんですね(笑)」
Q: 今は昔と比べて、だいぶオーバルのレースも認知されてきたのではないですか?
「いや、まだまだです。スポーツ新聞を見ると、日本には競馬場、競輪場、オートレースって、オーバルのコースはいっぱいありますけど、その中でエンジンつきの自動車が走るとなると、ツインリンクもてぎで年に一回しかない。やっぱり同じようにはとらえてくれないし、競馬ファンはモータースポーツを見に来ませんからね。オーバルのレースが受け入れられない状況ではないと思うけど、他のオーバルとは別物扱いであり、そういう意味でまだまだ認知されない。『ハンドルを左へ切るだけでしょ? ぐるぐる回るだけでしょ?』という認識だと思います。
仕事でかかわってきた人は、だんだんその面白さをわかっていただいたと思うんですが、その部分をどうやって一般の人に知っていただいて『見てみよう』というふうに思ってもらえるかが、未だに大きな課題ですね。
日本のスポーツの中で、プロ野球は昔からあったんでみんな知っている。何年か前にサッカーのJリーグが立ち上がって『100年構想』って言ってましたよね。そのとき『いったい何を言ってるんだ、100年なんて』って思いませんでしたか?(笑)。でも実際に自分たちで新しいものを立ち上げようとしたら、やっぱり100年くらいかかるんだなと思います。最初に取り組んだ人の息子、孫の世代まで行かないと、世の中には認識されないんじゃないかと。
日本のモータースポーツも、やっと自動車のレースは親子2世代まで出てきましたよね。昔ドライバーだった人の息子が今走っている。2輪でいえば、やっと3世代。去年の鈴鹿の耐久レースで、お祖父さんとお父さんと息子が3人一緒にレースを走っています。だんだん日本もそうなってきたわけで、ある程度時間が必要なんですね。プロモーションも大事ですが、プロ野球のように毎日やっているようなものではなく、年に1回しかできないわけで、150試合分となると150年もかかってしまう(笑)。
ほんとうに孤軍奮闘というか、他の人から見れば、単なるモータースポーツの1バリエーションでしかないわけで、『あ、オーバルコースもあるねぇ』って言うか『たまにはオーバルもおもしろいじゃん』という程度のものなんです。10分の1、20分の1という感覚ですが、我々はその一つを成し遂げないといけないというか、それが我々の使命なんで、20分の1じゃなくて、1分の1、100%そこに集中しないといけない。ツインリンクもてぎというサーキットで言えば、オーバルがプライオリティのナンバー1ですから、これを成功させないことには・・・。そういう意味で全社員が気合入れてやってますし、レースが終わった翌日からすぐに翌年のことを考えています。
これは他の人にはできない、我々にしかできないわけで、日本の中でオーバル・レーシングをしようと思ったら、他の人の助けを借りられない。借りたいけど、皆さん知らないから、結局自分たちでやるしかない。ノウハウは貯まるんですけど、どこにそのノウハウを生かすのかというと、自分たちの中でしか生かせないんだね」
Q: 9年間やってきて、もう少しこうしておけば良かったというようなことはありますか?
「我々が一番反省していることは、最初はオーバル・レースをやることが精一杯で、おそらく『よし、見に行こう』って来られた方たちに対して、ちゃんとしたサービスができていなかったと思います。はじめはオーバルのレースをやるだけで、精一杯だった。お客さんの事を考える余裕もなく、寒い時期にやってみたり、仮設トイレが足りなかったり、食べ物がちゃんと供給できなかったり。そこが我々の反省点なんですが、リピート率が低かったんです。
一回来ていただいて面白いと思ったら、翌年また新しい人が来るだろう。そして翌年にまた新しい人が来るとなると、本来はどんどん増えていくはずなんですけど、新しい人が増えた分だけ、2回目の人は来なかった。だから毎年観客数が変わらないんですけど、それはリピート率が大変低いということなんです。『もう一回見たから(いかなくても)良いよ』というか、それは我々のサービスが原因で、『もう懲りごり、渋滞したから大変だった』みたいなこともあれば、日本人特有の『一回見たから、あとはテレビで見ればいい』という人も結構いたかもしれません。
やはり初モノ好きというか、日本のイベントって他のイベントもそうなんですけど、1回目はすごい注目度が高いんですね。2回目もそのつもりで仕込んで、『えっ』ってことになるわけで、確実に毎年ファンを増やしていくというのが、大事なんですね。
Q: では、ファンに楽しんでもらうために、心がけているようなことはなんでしょう?
「オーバル・レースだけではなく、その日は一日中アメリカの雰囲気を楽しんでもらいたい。『アメリカって何?』っていうと、色々な意見があると思うんですが、やっぱりオープン・マインドというか『みんなで楽しく騒ごうぜ!』みたいなところがあると思うんです。象徴的な事を言えば、貴族のF1に対して、インディは大変フレンドリーな雰囲気というか、チームもドライバーもめちゃくちゃフレンドリーですよね。とにかく何を1番大切にしているかというとファンなんですよ。そしてファンを大切にすることが、スポンサーの獲得につながる。そういう図式で彼らはやってるんですね。
そこは我々が一番目指すところと一緒ですから、ファンを大切にしなければいけない。現場に来てもらって、ドライバーと会っていただいたら、きっと満足してもらえると思うんです。他のレースと違って、ドライバーと接触する率がはるかに高いイベントですから。
我々は今までそれをアピールしてきたんですが、なかなか届かなかった。この素晴らしさを、できるだけたくさんの人に知ってほしいということで、今までは全国に向かって『来てください』って言い続けてたんですけど、やはり北海道や九州から来てもらうには時間もお金もかかる。それならまずは、関東のお祭りにしようと。地元に根ざした祭りというか、京都の祇園祭や秋田のねぶた祭りだって、今は遠くから人が来ますよね。まず、地元から盛り上がってもらうようにしたんです。
それで、CARTからインディに変わった2003年から、地元で一緒にやりましょうということになりました。茂木町、宇都宮市、栃木県、一昨年あたりからは茨城にも広がって、地元の皆さんからの協賛や後援とか、いっぱい付いていただくようになりました。地元の人たちが自分たちのアイデアとお金と時間を使って、盛り上げてくれる。やっと地元に根付かせることの足跡は残せていると思いますし、定着しつつあるので、もっとこの輪を広げていきたいですね」
Q: 最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします
「とにかく、アメリカのレースは参加型なんで、ドライバーやチームだけでなく、お客さんも一緒に参加していただきたい。ですから、ぜひこのイベントに参加して、一緒に楽しんでいただきたいです。クラシックのコンサートを聴きに来るような感じではなく、ライブを見に来て、一緒に盛り上がるというのがアメリカンなわけで、ライブのように始まったら最初からスタンディングで手拍子打って、『俺たちも一緒にやったぜ!』という気持ちで帰っていただきたい。
アメリカのオーバルのレースっていうのは、そういうライブ感というか、自分も参加したんだという満足感を得られる要素があると思うんです。これはやっぱりテレビじゃわからないところで、グランドスタンドの裏にも楽しいことがいっぱいあって、一日楽しめる。僕らはお客様に一日中楽しんでもらうような仕込みというか、仕掛けをしないといけないわけで、アメリカのレースを視察に行っても、レースなんて見てないですよ。お客さんがどう動いているか、どうやって楽しんでいるかしか見ていない。
どうかファンのみなさんはぜひ毎年現場に来ていただいて、一緒に盛り上がっていただきたいですね。
●インタビューを終えて
ホンダという会社の中で、10年も同じ部署にいるようなことは、ほんとうに珍しいと思います。でも、土屋さんがいてくれたおかげで、我々はその舞台裏の厳しさを改めて知ることができました。日本でオーバルのレースを知ってもらうということは、決して簡単なことではなかったわけで・・・。
長い間アメリカのレースを取材していた僕自身も、一度このレースを見てもらえれば、きっとその良さを解かってもらえると思っていました。でも、まったくオーバル・レースの土壌がなく、ファンも参加して一緒に楽しむというカルチャーがなかった日本。そこへいきなりアメリカの最高峰レースが来たものの、どうやって楽しんだら良いのか誰もわからなかった。土屋さんはリピート率が低かったと言ってましたが、それは主催者だけの問題ではないと思うのです。
それにしても、ホンダってすごい会社だなぁと、今更ながら思います。オーバルを作る事が決まった時、これほど苦労するとは誰も思ってもいなかったのではないでしょうか。もっとも、ホンダだからオーバルを作れたんだと思いますし、『絶対になんとかする』という気概がなければ、オーバルなんて作らなかったのでは。実際、マン島やF1への挑戦など、ホンダは無謀と言われていた事をたくさん成し遂げてきました。今こうして振り返ると、日本にオーバルを作ってレースを開催するというのは、その延長線にあるような気がします。
みなさんは、現代のこのホンダのチャレンジを、どう思いますか? 僕は絶対に成功して欲しいと思っていますし、インディ500のように、ぎっしりと人で埋まるシーンをいつの日か見てみたい。そのためには我々にだって、できることがあると思います。土屋さんの話を聞いて、10年経った今、やっとそういうことに気が付いたのでした。(齊藤和記)