[師弟関係]
A.J.オールメンディンガー初優勝! あまりにドラマチックな初優勝でしたが、これは2005年のエドモントン……いやもっと昔、2000年に現在のチームメイト、ポール・トレイシーのカートチームに抜擢されたところからこの物語は始まっていたようです。
A.J.オールメンディンガーは2000年、ポール・トレイシーカーティングチームのドライバーとして頭角をあらわし、チャンプカースター・オブ・トゥモロー(未来のチャンプカースター養成プログラム)のドライバーに選出され、チームレイホールのチャンプカーをドライブするチャンスをゲット。翌年はカートのスカラシップ(2ポイント差の2位)、2002年はバーバーダッヂ・プロシリーズチャンピオンと順調にステップアップ。2003年からRuSportでアトランティックを戦いチャンピオン獲得。2004年はチームとともにチャンプカーにステップアップしました。その後も順調に力をつけ、昨年のエドモントンでは、残り数周までリードするに至りました。しかしそのレースでは、後ろから迫るチャンピオン、ブルデイのプレッシャーから逃れようとして焦ったか、後続を引き離しはじめた翌周ウォールにヒットしてレースを終えました。その後自力でピットまで戻ったものの、コックピットでうずくまりひたすら悔しがるA.J。ワンチャンスをモノにして駆け上がってきたA.Jだけに、せっかくのチャンスを失ったことの大きさを感じていたのかもしれません。
実際その後、CDWのスポンサードは同年2勝を挙げたジャスティンのクルマにつき、レースもジャスティンを追う事がほとんどとなりました。そして今年は開幕でもらい事故。そして流れの悪いまま4戦を終えて解雇。
……これまでか……
次のレースを目前にして、誰もが残念に思いながらもあきらめかけたとき、名門フォーサイスのシートが空き、2戦のみの契約でシートを得て戦列に復帰。勝たないと次がない状況のなか、今度はチャンスを見事優勝に結びつけました。ただ、いきなり得たシートだったためか、クルーとの抱擁が若干ぎこちなく見えたのは仕方のないところ?
そして翌週は、まさかの2戦連続優勝! しかもポール・トゥ・ウィン! A.Jの快進撃はまだまだ続くかもしれませんね。
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4コマの内容はフィクションです。
登場する団体・人物等は実際とは異なります。
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Illustration & TEXT by アラブルカ