INDY CAR

日本人初参戦から24年、佐藤琢磨がロングビーチでインディカー初優勝を達成!

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3日間ともカリフォルニアらしい快晴に恵まれた39回目のトヨタ・グランプリ・オブ・ロング・ビーチ。気温は18度とそれほど暑くもなく、絶好のコンディションとなりました。開幕以来予選で3連続もトップ6に入る速さを見せていた琢磨は、4番グリッドを獲得。2列目の外側からスタートし、W.パワーをパスして3番手でターン1へ飛び込みます。
 

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この時、琢磨は新品のブラック・タイヤを装着しており、パワーはレッド・タイヤ(ユーズド)でした。その瞬間を琢磨は「最高でした! スタートでウィル(パワー)をやっつけられたのがすごく大きかった」と語っています。
 

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予選上位勢がレッド・タイヤをチョイスしたことに対し、ブラックを選んだことについて琢磨は「今季はブラックでも去年のレッドの予選を上回るペースで走れるので、非常にパフォーマンスは高い」とのこと。しかし心配もありました。「ウォームアップ(温まるまで)のスピードがブラックは遅いので、一番怖いのはスタートで使うと順位を落としかねない」
 

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そのような懸念をよそに、みごとパワーをパスできたのですから、うれしくないわけがありません。「前にレッドを履いているドライバーがいても、それについていければ、その後はものすごく有利な展開になることがわかってました」と琢磨。そう、ルールでは必ずレース中に一度はブラックを履かなければならず、レッドをチョイスしたポール・ポジションのD.フランキッティ、予選2位のR.ハンター-レイらはいずれ必ずブラックを履くのです。
 

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ブラックの琢磨は彼らと同じペースで走れるかどうかがレース序盤の鍵となったのですが、ついていくどころか22周目のターン1で前戦アラバマのウィナーをインからパスして2番手へ。「ライアン(ハンター-レイ)はけっこうバランスに苦しんでいたところもあって、彼の後ろで燃料をセーブしながらチャンスを伺い、徐々に徐々に僕もペースを詰めました。去年の因縁の対決(最終ラップで後ろから追突されて初表彰台を逃す)じゃないけど(笑)、コース上でオーバーテークできてすごく良かったです」
 

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素晴らしいパッシングで昨年のチャンピオンをパスし、一年前の鬱憤も晴らすことができた琢磨。残るは昨年のインディ500の最終ラップで、イン側に飛び込んだ琢磨の行く手を阻んだD.フランキッティだけです。1997年にデビューし、4度チャンピオンに輝いた最年長の大ベテランは、同じホンダ・エンジンということもあり、一筋縄ではいきません。
 

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ハンター-レイをパスした琢磨はその3周後、25周目にレース中のファステスト・ラップをブラック・タイヤでマークするペースでフランキッティを猛追。23周目に2.973秒あった差は、26周目目に1.3875秒まで短縮していました。そして琢磨は28周目に最初のピットを迎えます。
 

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グリーンの最中のピットとなった中で、AJフォイト・レーシングは2戦続けて起きていたピットの問題を払拭する素晴らしい作業で琢磨をコースへと送り出しました。対照的に、トップを走っていたフランキッティは翌29周目にピットへと入ったのですが、右タイヤを交換する前にクルーがエアジャッキをダウン。名門チームに珍しいミスが発生して2009年のウィナーは出遅れてしまいます。
 

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テキサスのクルーたちの素晴らしいピット・ワークによって、琢磨はトップに躍進。レース・リーダーとなるのは昨年の最終戦以来、AJフォイト・レーシングは2011年のテキサス以来ですが、まだ安心はできません。2008年と昨年、このロング・ビーチを制してきたパワーが、ぎりぎりまで燃料をセーブする走りで30周目までピットを伸ばし、2番手まで上がってきました。
 

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迎えた35周目の再スタートで、グリーンとともに絶妙なダッシュを決めた琢磨は、トップを堅持したままターン1へ。その後方ではまたもパワーがスタートで遅れ、フランキッティ以外にG.レイホールにまでパスを許します。長いストレートがあるこのコースでは、ピークパワーに伸びがあるシングル・ターボのホンダ勢が好調のようです。
 

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その後方で起きたT.カナーンとJ.ヒンチクリフの接触によるアクシデントで再びイエローとなり、80周のレースはそろそろ折り返しに差しかかろうとしていた39周目にグリーン。今回も危なげないスタートを見せた琢磨の後方で、勢いに乗るG.レイホールがフランキッティをイン側からパスして2番手に浮上しました。
 

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レッド・タイヤ(ユーズド)で逃げる琢磨に対し、レイホールとフランキッティはブラック。42周目に琢磨とレイホールの差は4.2087秒まで拡大していました。快調にレースをリードしていた時の心境を琢磨は「やっぱり気持ちいいですね。でもイエローが入るタイミングや、ピットストップのタイミングなど、レースは何があるかわからない」と、気を緩めることは決してありませんでした。
 

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この時、後方では意外なドライバーが上位に進出。エンジン交換によって最後尾からのスタートとなっていたT.ボーティエで、1周目にS.ディクソンに追突してドライブスルーペナルティを受けていたのですが、凄まじい追い上げで40周目にフランキッティをパス。3番手までジャンプ・アップしていました。
 

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50周目に2010年のウィナー、ハンター-レイが単独クラッシュを喫し、この日4度目のフルコースコーションが発生。満タンにすれば最後まで走りきれるタイミングだったこともあり、翌51周目に全車がピットへ。テキサスのクルーたちは6.9秒というパーフェクトなピットストップで琢磨をトップのままコースへ送り出します。
 

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今年から父親のチームでフル参戦することになり、昨年の琢磨のカーナンバー15で走っていたレイホールも2番手をキープ。一方で開幕から驚異的な走りを見せていたルーキーのボーティエは、ピットアウトの際にクルーのミスによって、前のピットに入ろうとしていたパワーとまさかの接触。再びドライブするーペナルティを科せられてしまいました。
 

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レースは56周目にグリーンで再スタート、琢磨の横には周回遅れのC.キンボールがいたのですが、オーバースピードでターン1のタイヤバリアに追突。その真後ろにいたチームメート、3番手のフランキッティがスピードダウンを余儀なくされた隙に、J.ウィルソンが3番手へと浮上してきました。
 

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この日24番手からスタートしていたウィルソンは、最初の4周をブラックで走ってすぐにピットへ。予選第1ラウンドで敗退していた彼には、新品のレッドが2セットありました。すぐに新品のレッドで追い上げを開始し、次のスティントはユーズドのレッド、最後は新品のレッドという3ピット作戦で、とうとう3番手までアップしてきました。
 

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新品のレッドを履く琢磨がトップをキープしたまま迎えた74周目、残り6周で2番手レイホールとの差は4.3449秒まで拡大しています。日本のファンの期待を一身に背負った琢磨、最終ラップまで気を抜けない緊迫した中で迎えた残り2周で、KVレーシング時代のチームメートだったT.カナーンと、O.セルビアがターン1で接触してイエロー・フラッグ。レースはそのままフィニッシュとなり、琢磨は栄光のダブル・チェッカーを真っ先に潜り抜けたのです。
 

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「もう、安堵感と喜び爆発と、両方でしたね」とゴールした時の心境を語った琢磨。「自分はこれまで、もう少しで優勝というレースがいくつかあったんだけど、なかなかここに辿り着けなかったし、F1を含めて、メジャーシリーズでの初優勝は今回が初めてなので…」
 

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「それこそ2001年のマカオF3まで戻んなきゃいけないから、そういう意味ではほんとうに素晴らしい体制に自分がいれることに感謝したいですし、ここまでレースを続けてきて、こうして結果が出るっていうのはほんとうに自分でもうれしいことなので、ここからさらに上を目指してがんばりたいと思いました」と琢磨。
 

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「とにかく今日はもうこれ以上不運が起きないようにっていうことと、ミステークをしないっていうこと、そういう意味ではチームも2回のピットストップでパーフェクトな仕事ぶりだったし、クルマもほんとうにドライブしてて楽しかった」とコメント。「勝つときはすべてが揃って、いとも簡単にあっさりと勝てるもんだなという感じがしました」と彼自身も認めるほどのパーフェクト・ウィンです。
 

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1990年に始まったヒロ松下のインディカー参戦から、24年目にしてやっと誕生した日本人ウィナー。100年を越えるインディカーの歴史に、初めて日本人が名前を刻むことになります。2010年にインディカー参戦を開始した琢磨にとって、参戦4年目、今回が52戦目のレースでした。
 

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昨年、アメリカ本社がある地元で勝利を逃していたホンダですが、今回は1位から4位までを独占です。「今季のホンダの初優勝というところに関われたことがうれしいし、AJフォイト・レーシングにも3戦目にして優勝をともにできたというのはすごくうれしかったです」と琢磨。チームは2002年のケンタッキーでブラジル人ドライバーのアイルトン・ダレが優勝して以来、久しぶりの勝利となりました。
 

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唯一残念といえば、チームのボスである78歳のAJフォイトが今週に控えた背中の手術のため、現地にはいなかったことでしょう。レース後、琢磨はすぐに電話で勝利を報告したそうです。史上最多となる67勝を挙げ、7度もチャンピオンに輝いているチームオーナーは「全員が素晴らしい仕事をし、レースでのタクマの走りはすごかったよ」と賞賛。自分がいないところで勝利を収めた息子、ラリーの采配を頼もしく感じたそうです。チームにとって44勝目で、ロード/ストリート・コースではフォイト自身が記録した1978年のイギリス・シルバーストーン以来の快挙ですが、フォイト自身はドライバーとしても、オーナーとしてもストリート・コースで勝った経験はありません。これが市街地コースでの初勝利でした。
 

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琢磨はインタビューで東日本大震災に触れることも忘れませんでした。「未だに30万人以上の被災者が仮設住宅に住んでいます」と語った彼の一言は、もはや2年が過ぎ、海外では忘れられそうな中で、強烈なインパクトがあったのではないでしょうか。日本人のインディカー初優勝というニュースを通して、被災地の現状が世界中に伝わるのはとても素晴らしいことです。
 

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「被災した方にとって、少しでも励みになればいいなと思います」と琢磨。「僕自身、世界に飛び出しているオリンピックも含めた日本人アスリートに、すごく刺激を受けますし、彼らの活躍が日本を元気にしてくれると思うんですね。自分もいい報告をしたいなとずっと思っていたので、今日はその第一歩としてはすごく良かったと思います。どれだけ多くの人がレースのことを知っているか解らないですけど、少しでも話題になることで、またモータースポーツ界にも明るい風が吹いてくれればいいなと思います」
 

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さて、昨年の3月に「インディ500でUS-RACIINGを休止します」とUSTREAMでアナウンスしたらインディ500で優勝目前の走りをし、今回の予選のレポートで「最後のロング・ビーチで日本人の初優勝が見たい」と書いたら、なんと優勝! 1993年にこのロング・ビーチで取材を始めた僕にとって、ちょうど20周年ということもあり、もう十分だと思ってそう書いたのですが、正直すごく驚いています。
 

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今回の勝利で琢磨はランキング2位に躍進し、トップのH.カストロネベスとは6ポイント差しかありません。「びっくりです! それはもう、ボーナスですね。全然意識してなかったです」と本人も言っていましたが、それは我々にとっても同じこと。チームのオーバルでの実力がまだ不明なので断言はできないのですが、今年の予選の走りや今回の戦い方からして、残りの16戦中11戦がロード/ストリート・コースであることを考えれば、チャンピオンの可能性も少し見えてきたと思います。1989年にラグナ・セカで行われた現Moto GPの撮影でアメリカ取材を開始して以来、これまで日本人の初優勝を見る機会は皆無だったので、ましてやチャンピオンなど、考えたこともありませんでした。このまま琢磨がチャンピオン争いまでし始めたら、いったいどんなことになってしまうのか、想像すらできません。これからきっと、また悩むんでしょうね(笑)。
 

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そんな僕自身のことはどうでもいいとして、今回もうひとつ感動したのは、松ちゃんの待望の瞬間を隣でずっと見れたことです。いつものように「どうせ最後までいかないから」などとぶつぶつ言っていたのが、残り2周でイエローになった瞬間「あれ、勝った? お、勝った勝った!!」と叫んでましたよ。イエローで突然勝利が決まったので、不意をつかれたというのもあったのでしょう。すぐにカメラを向けましたよ。
 

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琢磨がマシンとともにビクトリーサークルへ入ってきてから、松ちゃんが日の丸を渡しに行った瞬間を撮れたことも、取材仲間としてとても光栄でした。彼がイギリスに住んでいる頃、僕はアメリカで同じような境遇だったこともあり、仲間のようにも感じていました。一人のドライバーをずっと追い続けるのは簡単なことではないので、尊敬しています。
 

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もちろん、この瞬間を天野さんと一緒に迎えることができたのも、うれしかったです。4人で撮影してもらった時に、「23年もかかったよ」と隣で言ってましたが、天野さんのような素晴らしい書き手がいなければ、日本でインディカーは正確に伝わらなかったと思います。僕が取材を始めた頃から広之まで、兄弟でお世話になった天野さんには感謝しなければなりません。
 

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最後に、身内のことで恐縮ですが、14年間一度も休まずに撮影を続けてきた広之こそ、本来はここにいるべきだったと思いました。僕が現地に行けなくなった2006年以降、アメリカに一人で住んで取材を続け、日本人の初優勝をほんとうに楽しみにしていました。この瞬間だけは広之に撮影してほしいと、ずっと願っていたのですが・・・。
 

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ファンのみなさんをはじめ、これまでに数え切れないほどの日本人がインディカーの世界に触れてきました。こうして日本人の初優勝が達成された今、インディ500の初制覇や、チャンピオン獲得といったその先がよりいっそう現実味を帯びてきたように感じます。
 

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やっと扉が開きました。20年以上も閉ざされていた重たいドアをこじ開けてくれた佐藤琢磨とAJフォイト・レーシング、そして長年にわたって日本人ドライバーを支え続けてくれたホンダとパナソニックに、心からのお礼と、敬意を表したいと思います。ありがとうございました。
(Text by Kazuki Saito Photo by Kazuki 3110