僕がアメリカに住み始めた1992年、英会話の学校には大勢の中国人がいた。つたない英語でお互いに自分の国やファミリーのことを話し合ったのだが、彼らがいかに自分の国について真剣に考えているかを知り、唖然としたことがあった。恥ずかしい話だが、それまで選挙に行ったこともなく、自分の国に対してほとんど無関心だった僕とのギャップは絶大で、当然会話は進まない。
僕が出会った中国人は、みな必死に見えた。家族が一生懸命働いてくれたから今の自分があると言う人もいて、貪欲に学んでいた姿を思い出す。“一度海外に住んでみよう”なんて気軽に考えてやってきた僕とはスタンスがまるで違った。かなり刺激になったのは言うまでもなく、あの時一緒に学べたのは大きいと思っている。何しろ、自分がどんな存在かを考え、自分の国のことも考えてみるきっかけとなったのだから。
こうして珠海に行って、思い出したのは彼らのことだった。あの頃がんばっていた彼らは、やがて大学に入り、きっと一流企業に就職しただろう。アメリカでの成功というものを多少なりとも体験し、考え方からライフスタイルまで、すっかりアメリカナイズされたはずだ。彼らは中国へ進出するアメリカ企業にとっても、貴重な存在となる逸材であり、中国の発展に欠かせない存在となったに違いない。
今は国の政策として、アメリカで学んだ者の帰国を奨励し、優遇するシステムもあるというから、希望どおり役人となった者もいるのではないか。戻ってきた彼らが母国をアメリカのようにしようと考えるのは、自然な流れかもしれない。同じように広大な土地があって、自由にできる権力さえあれば、ある意味何でもできる。
ホテルの前に止まっていたクルマを見て、僕は中国の人がアメリカ嗜好であることを、さらに認識することになった。ベンツなどの高級車と並んでいたのはホンダだが、写真のクルマをほとんどの人は見たことがないだろう。日本では発売されていないアメリカのアコードだ。ミニバンブームに押されっぱなしの日本にいると、なぜアコードなのか、いまひとつピンと来ないかもしれない。しかしこのモデルはアメリカでベストセラーを争うほどの人気で、毎月40万台も売れていた。そう、同じようにこのアコードは中国でも大人気で、街のいたるところで見かけるのである。
ショッピングモールには当然のようにマクドナルドがあり、コカコーラやリーバイスのネオンが煌々と光りを放つ。一部に中国らしい装飾を見かけるが、アメリカにあるチャイニーズ・タウンよりはおとなしい!! 確かに街から少し離れれば中国らしい密集した光景にも出会う。だが、やがてそこもすぐにアメリカナイズされるのだろう。ここに来るまでは、中国でほんとうにチャンプ・カーが受け入れられるのかと思っていたが、街の様子を見て、妙に納得してしまったのだった。