Kazuki Saito's

“チャンプ・カー北の国へ” 日本初・公道グランプリ開催への道! 第1歩>>すべては1年前から始まった

「日本のストリートで開催できないか?」
新生チャンプ・カーのボスは譲らなかった
 8月25日。初めて小樽を訪れてから、今日でちょうど1年が過ぎた。
 1年前のこの日、午前7時の羽田発千歳行きの全日空に乗り、午前8時30分に千歳到着。午前9時4分のJR快速を乗り継ぎ、小樽に着いたのは午前10時30分ごろだった。
 北海道に来たのは15年ぶりぐらいだったが、小樽は初めて。日本海を見ながら電車に揺られ、いったいどんなとこなんだろうと、胸が高鳴ったのを思い出す。
 日本を旅するのは年に2回、栃木県の茂木と実家のある宮城にしか行かない僕が、なぜ小樽を目指したのか。きっかけはこの年の4月、チャンプ・カーの開幕戦ロング・ビーチまで遡る。2003年でCARTが倒産し、その資産を引き継いでシリーズの新しいオーナーのひとりとなったケビン・カルコーベンさんにインタビューした際、そこで彼が「ぜひ日本でレースを復活させたい」と語ったことが発端だった。それも「ストリートでできないだろうか」と、とんでもないことを聞いてきたのである。
 年間半分ぐらいが街中や空港の仮設コースで行うチャンプ・カーだけに、大勢の観客が集まるストリートでやりたいと彼が口にしたのは、ある意味自然だったと思う。でもこれまでに日本で何度も様々な都市で企画が持ち上がり、消えていった事実を知っていたから、すぐに「無理だと思う」と答えた。どれもが警察という壁にぶち当たり、実現できなかったと聞いていたのだ。
 忙しかったカルコーベンさんには十分な説明ができなかったが、それからしばらく経ち、8月のデンバーで今度は社長のディック・アイズウィックさんと話す機会を得た。日本好きの彼もまた日本での開催を望み、やはり同じようにストリートで開催したいと言う。同様に警察のことを説明したのだが、「どうやったら許可が取れるんだろう?」と彼はなかなか引き下がらない。
 そのときにふと、このオートスポーツ(2月16日号)に掲載してあった小樽グランプリの記事を思い出した。日本に帰ってバックナンバーを探し出し、ネットでも検索。するとどうだろう、その進展ぶりもさることながら、なんと小泉内閣の“お墨付き”まで出てきたのである。

筆者プロフィール
齊藤和記
1989年にWGPのUSGP(ラグナ・セカ)からアメリカ取材を始め、1992年に渡米。それまでは二輪専門だったが、1993年のロング・ビーチで初めてストリート・コースのレースを体験し、4輪の面白さにやっと目覚める。以来チャンプ・カーやIRLを中心に300戦以上を取材し、同時にフォーミュラ・ダッジやUSACミジェット・カー、NASCARウインストン・ウエストなどにも参戦していた経歴も持つ。50戦以上走ったが、結果が散々だっただけに、未だに多くを語らない。
(オートスポーツ誌 2005年10月6日号に掲載)