Roger Yasukawa's

今季躍進のドレイヤー&レインボールド、その秘密を暴露!?

画像オーバルからロード・コースに舞台が移った先週末のインディカー・シリーズ第9戦、ワトキンス・グレンのレースはみなさんの予想どおりウィル・パワーが優勝しましたね。去年のレースで、それまでずっと下位チームと言われ続けてきたデール・コイン・レーシング(DCR)を初優勝に導いたジャスティン・ウィルソンは、予選でファスト6に残ったものの、残念ながら決勝では2連覇を成し遂げることができませんでした。
 
レース前、シーズン序盤のロード&ストリート・コースのランキングにおいてチップ・ガナッシ・レーシングの二人を抑えて4位にいたジャスティン。ワトキンス・グレンのレース後、同ランキングで5位にダウンしてしまいましたが、ドレイヤー&レインボールド・レーシング(DRR)があのガナッシを抑えていたわけですから、大健闘と言えるのではないでしょうか。
 
今回のコラムでは、今シーズン好調なDRRをみなさんに紹介したいと思います。2005年にDRRからフル参戦していた僕にとって、一番馴染みのあるチームであり、去年のインディ・ジャパンもDRRから参戦したように、今でもレース参戦の交渉をする時は最初に話をしに行きます。ある意味、今回はインサイド・レポート(えっ、暴露話!?!)のようなものですね(笑)。
 

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僕の2005年のフル参戦当時から毎年チームはレベルを上げてきましたが、今年は目を見張るほどチーム・パフォーマンスを向上させることに成功しています。特に、ジャスティンを獲得したことでロード・コースでのパフォーマンスを大幅に改善。ジャスティンはシーズン序盤から力を発揮し、今季すでに2回も表彰台に載っています。
 
インディ500ではマイク・コンウェイがレース終盤にライアン・ハンター-レイと絡んで大クラッシュし、大怪我をしてしまいましたが、一時トップに躍り出て素晴らしいパフォーマンスを披露しました。しかしこのインディ期間中に僕が何よりも驚いたのは、4台体制に拡大したにも関わらず、4人とも予選初日に通過したことです。同じく4台体制で戦ったKVレーシングがかなり苦戦し、あの大ベテランのポール・トレイシーが予選落ちをしてしまうほどの予選でしたからね。
 

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このようなDRR大躍進の大きな要因と言えるのが、2008年シーズン半ばにマネージャーとしてチームに就任したラリー・カリーの存在だと思います。それまでのDRRにはしっかりとしたチーム・マネージャーの存在はなく、エンジニアとメカニックだけでやりたいようにやっていたので、チームの力がひとつにまとまっていなかったように感じていました。
 
ラリーが加入し、スタッフの役割をしっかりと分担させたことは、マシンのメンテナンス・クォリティ向上へと繋がりました。メンテナンスのクォリティが高くなれば必然的にマシンのポテンシャルそのものも高くなり、エンジニアはチームメイトとマシンを比較するための有効なデータを収集しやすくなります。つまり、メンテナンスのレベルを上げてマシンの個体差を減らすことが、結果に繋がるということ。簡単で当たり前のようなことに聞こえるかもしれませんが、すべてのマシンを同じコンディションにして管理し続けることはとても難しく、ペンスキーとガナッシが他のチームを上回る理由のひとつが、ここにあると言っても過言ではありません。
 
また、チームのポテンシャル・アップを実現する上で、チーム・オーナーのコミットメントも極めて重要です。僕が2005年に走っていた時は財政的にも辛く、当時のHPD社長だったロバート・クラークとミーティングした際、「今後のチームのビジョンが解りづらい」などと、少々辛口な話をされたこともありました。その時、一緒にいたチーム・オーナーのデニスは相当悔しい思いをした様子で、毎年チームへ投資する資金を増やしていき、今年からやっと2人のトップ・ドライバーとともにフル・シーズンを戦うことが実現したのです。
 

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他にチームを支える大きな役割として、チームのブレーンとも言うべきエンジニア部隊があります。チーム・マネージャーのラリーも元エンジニアなんですが、基本的に24号車はフランス人のイヴス・トゥロン、22号車にはラリーの息子であるマット・カリーに任せています。マットは以前ラリーが指揮を執っていたチーム・メナードや、モー・ナン・レーシングから得たオーバルの経験が豊富。イヴスはヨーロッパ仕込みのロード・レース経験を持つので、チームにとってはバッチリな組み合わせだと思います。このエンジニアたちが力を合わせてマシン・セットを良くしていくことによって、レース・ウィーク・エンドにドライバーが活躍できるのです。
 
先日、24号車のエンジニアを任されているイヴスと話をしたところ、昨シーズン・オフは風洞実験やシェーカー・テストに相当な回数クルマを持ち込んで開発したそうです。まだペンスキーやガナッシ、アンドレッティといった3大チームとの差はありますが、トップ5じゃ満足しないチーム・スタッフの雰囲気を見ていると、近いうちにトップ・チームへの仲間入りを果たすんじゃないかという勢いまで感じてしまいます。
 

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そんなDRRですが、実は2000年のデビュー・レースでの優勝経験はあるものの、それ以来ビクトリー・レーンにマシンを運んだことがありません。僕自身、オーナーのデニス(写真右)には長年お世話になっているだけに、できるだけ早くDRRのマシンが勝ってくれることを願っています。
 
もちろん、僕も9月のインディ・ジャパンにDRRから参戦できるよう、引き続きスポンサー&チームとの交渉をがんばっていきたいと思っています!