僕の7度目のインディ500への挑戦は、わずか11日間で終わってしまいましたが、先日のバンプデーは、去年以上の凄いドラマがあったと思います。予選アタックに挑むドライバーの心理は、僕もこれまでの経験から痛いほどわかります。チーム&ドライバーにとって、かなり緊張感が高まる瞬間です。
もしドライバーのスピードが伸びず、僕が代役で予選を走るチャンスがあるとしたらドレイヤー&レインボールドになると思い、僕はミルカ・デュノのピットでずっとスタンバイしていました。結局ドレイヤーの4台は全員無事に予選通過したのですが、彼らが今年のバンプデーの流れを大きく変えたというのをご存知でしたか?
コラムの再スタートにあたり、今回はインディ500シート獲得奮戦記の番外編として、最後までエキサイトしたバンプデーを、僕なりの視点で解説させていただきたいと思います。なぜ番外編なのか、それはシートを獲得できなかった僕にとって、驚きの結末が待っていたからです。
まず、今年のバンプデーをおもしろくさせたのは、なんと言ってもコースのコンディションでした。風が強く、路面温度も若干上昇した予選3日目に比べ、バンプデーは快晴で涼しく風も強くなかったので、スピードを伸ばすコンディションとしては最良の日となりました。
涼しいとエンジン・パワーが出やすくなる上に、空気中の水分量が多く空気が重たくなるので、クルマを路面に押し付けるダウンフォースの量が増えます。従って、ドラッグ(空気抵抗)を減らすためにリア・ウィングの角度を下げたとしても、同じ量のダウンフォースを得ることができるので、一石二鳥ということになるのです。
朝の練習走行が始まると、案の定、ほとんどのクルマが前日と同じセットで走っても、1マイル以上平均スピードが上がっていました。この時点で予選通過が危ぶまれていたドライバーは、ミルカ・デュノ、スタントン・バレット、そしてバディ・ラジアでした。
特にミルカは2周目に入ってからクルマのセットのバランスが本人のスタイルに合わず、コース上のライン取りも正確にトレースできない状況に陥っていました。はっきり言ってしまうと、スタントンとバディのスピードに関しては、その様子から他のチームに追いつくことは難しいだろうと誰もが予測していたので、みんながミルカの出すタイムを気にしていたのです。
ドレイヤーとしては、何としてでも彼女を予選通過させるために、急遽、チームのマネージング・ディレクターであり、デイビー・ハミルトンの担当エンジニアであるラリー・カリーをミルカのサポート役に回しました。ラリーはみんなから“ビッグ・ダディ・ラリー”と言われるほど、インディでのエンジニアリングに関して尊敬されています。
僕もインディ・ジャパンで走る時は彼と一緒に仕事をするので、念のためにどんな流れでセットを進めるのかなと、ピット脇で見ていました。すると、ラリーはエンジニアと言うよりストラテジスト(戦略家)として優秀なんだということを実感したのです。
もちろん彼はクルマのセットも考えていますが、それ以上にドライバーに自信がつく進行プログラムを考え、まさにドライバーもエンジニアリングしちゃっている感じでした。この効果はばっちりで、ミルカの予選スピードはなんと221.106マイルに到達。このスピードを見て他のガレージにいた全員が、唖然としたのではないでしょうか。
いくらコンディションが良かったとは言っても、せいぜい220マイル前後のスピードだろうと誰もが予測していたはず。その時点でミルカは24位に相当するスピードを出してしまったため、それ以下のスピードのドライバーは全員バンプアウトされる可能性が出てきたのです。
その中には前日の予選で素晴らしいスピードをマークしていた、トーマス・シェクターも入ってしまうほど。さあ、大変なことになりました。色々なチームが突然慌て始めたのは言うまでもありません。
しかしそれは当のドレイヤーにとっても同じ状況でした。ミルカをほぼ確実に予選通過させることができたものの、まだジョン・アンドレッティがいます。前日までのスピードを見る限り、ジョンは余裕でスピードを出せるだろうとチームは思っていたのですが、なかなかスピードが上がらずに、全員が大パニックになっていました。
ジョンは前週の予選日にクラッシュしてから、リズムを崩してしまい、原因不明のままスピードが伸び悩んでいました。クラッシュに限らず、ちょっとしたことでリズムを崩してしまうと、セットアップであったり、クルマのバランスなどに自信が無くなってしまうことがあります。これがインディアナポリスの難しいところ。
ジョンがプラクティス中に予選のシミュレーションを行っている間、他のドライバーがどんどん予選に挑み、EJビソ、マイク・コンウェイ、そして僕と1日違いで先にコンクエストのシートを決めたブルーノ・ジュンケイラが、221マイルを超えるスピードを記録しました。
あっという間にトーマスが全車の中で最も遅い“オン・ザ・バブル”となってしまったのです。彼は急いでレースセットから予選セットにプログラムを変更。再びタイムアタックをして、バンプデーの最速となる221.4マイルを記録します。
この時点で最後のポジション争いはジョン・アンドレッティVSライアン・ハンター-レイになるだろうということで、会場の人々は両選手を注目。ジョンは終了まで残り15分なのに、まだ予選を通過するスピードには到達していませんでした。決勝に進出するためには、ぎりぎりまでドラッグを減らすしかなく、そうなるとマシンが安定しないので、再びクラッシュしてしまう心配があります。
しかしジョンは、チーム・オーナーであるNASCARの大御所、リチャード・ぺティに恥をかかすわけにはいかないと思ったのでしょう。意を決した彼はウィング角度をさらに寝かし、極限までドラッグを減らして最後のアタックへ。するとクルマのバランスは甦ったかのように良くなり、221.3マイルの平均スピードを記録したではありませんか。
これでバンプアウトされたのはライアン(ハンターレイ)で、この時点でのオン・ザ・バブルは、アレックス・タグリアーニになりました。アレックスもトーマスと同様、前日の予選では好スピードをマークしていたので、まさか自分までそうなるとは思っていなかったでしょう。ここまで他の選手のスピードが上がるとは、考えていなかったと思います。
実際にチームメイトのブルーノのスピードや、本人の練習走行のスピードを見ても、彼が十分に予選を通過できるスピードを持っていたのは誰もがわかっていました。
実はジョンが最後のアタックに挑む前に、アレックスは予選出走者が並ばなければならないラインに並んでいたのです。しかし、その時点ではまだオン・ザ・バブルになっていなかったので、あえて予選に出走するリスクは避けて、いったんラインから外れてしまったのでした。
ところがその予想は大きく外れてしまい、ジョンが見事アタックに成功してしまったので、あっと言う間にアレックスがオン・ザ・バブルとなってしまったのです。彼はすぐにラインへ戻ったのですが、時すでに遅し。
いよいよ残り3分となり、最後のアタッカーとして順番が回ってきたのは、ライアンでした。彼もジョンと同様、220マイル以上のスピードを保つのがやっとだったので、いちかばちかでウィング角度を目一杯寝かせてアタック。1ラップ目はアレックスのスピードを大幅に上回り、会場がどっと盛り上がりました。
しかし2ラップ目からはスピードが落ちてしまい、最終ラップまで手に汗を握ってしまうほど、会場の全員がライアンの走りに注目。4周を終えてチェッカーを受け、ライアンの平均スピードが電光掲示板に表示された瞬間、会場からひときわ大きな歓声が上がりました。わずか、0.0324秒差でアレックスのスピードを上回ったのです!
アレックスはまさかライアンまで自分のスピードを上回り、自分が予選落ちするとは思っていなかったと思います。大歓声が響く中、しばらく状況が把握できず、呆然とクルマのシートに座ったままでした。きっと、悔しさを隠したかったのでしょう。ヘルメットのバイザーを下ろし、クルーに押されてガレージへ戻っていったのです。
そこに、バンプアウトされた去年の自分の姿が、ダブって見えました。この辛さは、同じ状況になった者にしか解らないと思います。僕のスポンサーがもう一日早く見つかっていれば、彼がチームメイトになっていたかもしれない。そう思うと僕自身も複雑でした。
午後6時の空砲が鳴り響き、無情にもバンプデーは終了。2009年のインディアナポリス500のグリッドが確定しました。タラレバではありますが、もしアレックスがジョンの前に予選に出ていれば、彼は余裕で決勝に進出していたでしょう。ほんとうに、最後のさいごまでわからないのがインディ500です。
白熱のバンプデーを振り返りながら、みんなとイタリアン・レストランで夕食をとっていたら、そこに決勝進出が決まったブルーノが一人で来ていました。「参戦おめでとう」とみんなで声をかけたのですが、なぜかさえない顔で返事がありません。なんか変だなと思ったのですが、ホテルに戻ってメールをチェックすると、コンクエスト・レーシングから驚きのリリースが届いていたのです。それは、予選を通過した36号車のドライバーを、ブルーノからアレックスに変更するという内容でした。
一般的には「エッ?!?」って思うかもしれませんが、インディ500で予選を通過したとしても、実際にはドライバーではなく、クルマが決勝を走る権利を得たことになります。要するにチームの決断次第で、予選後にドライバーを変更することが可能なのです。ということは、ブルーノではなく僕自身が交代させられていたかもしれない……。
この件に関してはチームの決断と言うよりも、チームやスポンサーとの間で取り決めがあったのでしょう。チームの存続を保証するために、ドライバーをチェンジしなければならなくなってしまったのだと思います。
それにしても、両ドライバーは複雑な心境だったに違いありません。ブルーノは僕より1日早くスポンサーが決まって、コンクエストのシートを手に入れたのですから、とても他人事とは思えません。しかし、これもインディ500なのです。
このようにたくさんのドラマがあった、2009年のバンプデー。普通レースというと決勝だけが注目されますが、4日間の予選もインディ500の重要な要素となっていることが、お解りいただけたでしょうか。
決勝はいよいよ今週末。みなさん、ぜひレースも楽しんでくださいね!