Kazuki Saito's

“チャンプ・カー北の国へ” 日本初・公道グランプリ開催への道! 第14歩>>北海道とアメリカの風景が似ている理由

北海道の開拓に深く関わったアメリカ
100年のときを超えて結びつく風景
 100年以上の歴史を誇るアメリカのオーバル・コース、“ザ・ミルウォーキー・マイル”。ウイスコンシン州にはこの伝統的なオーバルのほかに、豊かな緑に囲まれた“ロード・アメリカ”という全米一美しいロード・コースがあり、ともにチャンプ・カーの舞台となっている。
 農業と酪農が盛んなこの州の郊外の風景は、まさに北海道を髣髴とさせるもので、つい“ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー”なんて懐かしいコピーを思い出す。1958年のサッポロ・ビールの広告で使われたもので、同社によるとこの3都市は北緯43度(ミュンヘンは48度)とほぼ同緯度にあり、ビールの3大産地だったりするのだ。150年の歴史を持つ全米トップ3のビール会社、ミラーはこのミルウォーキーが本拠地。ミルウォーキー(Milwaukee)産だから、ミラー(Miller)なのである。
 北海道とウイスコンシンが似ているのは、なにも同じ緯度にあるからだけではない。開拓使が置かれた1869年以降、北海道の開拓には多くのアメリカ人たちが関わってきた。当時の開拓次官だった黒田清隆(後の総理大臣)は、同じ緯度にあるアメリカの開拓技術導入を求めて1871年に渡米し、ユリシーズ・シンプソン・グラント大統領に協力を要請。政府の農務長官だったホーレス・ケプロンを開拓使顧問として招聘することになった。
 その年のうちにケプロンと彼のブレーンを含む4人が北海道に訪れ、トウモロコシやホップ(ビールの原料!)などはこの時に持ち込まれたといわれている。やがて地質や鉱物といった様々な調査をもとに、道路や港、鉄道の整備を含めた“開拓使10年計画”を制定。つまり、北海道開拓の歴史を語る上でアメリカは重要な役割を担っていたわけで、その光景がアメリカに似たのは当然のことだった。
 黒田はケプロンに続いて他のアメリカ人も招き、「Boys be ambitious(少年よ大志を抱け)」で知られる札幌農学校教頭(現北海道大学)のウイリアム・スミス・クラークや、農業の基礎を築いたエドウィン・ダンなど、70人以上が船で太平洋を渡ったのだ。

筆者近況
1月10日に理事長の木下さんと事務局長の荒沢さんが東京に来て、専門メディアにご挨拶。週末は僕が小樽に行って今年初の定例会に参加し、小樽商科大学学長に学生の研究課題として取り上げてもらうようお願いした。このページをご覧のみなさんにもぜひお願いしたいのだが、小樽グランプリのWebにある“プロジェクトポリシー”に関して、ぜひご意見をお聞かせください。よろしくお願いします!
(オートスポーツ誌 2006年2月2日号に掲載)