Kazuki Saito's

“チャンプ・カー北の国へ” 日本初・公道グランプリ開催への道! 第7歩>>衝撃的なマカオの第一印象

マカオGPは“リオのカーニバル”!?
公道レースのイメージが膨れあがった
 2002年11月、マカオの公道レースを初めて視察し、「小樽でもできそう」と感じた北海道みちとくらしと未来のネットワーク委員、長谷川 岳さんと玉木正之さん。
 F1取材歴もある作家の玉木さんは、その光景を「祭り」に例えた。
 「東京の神田祭や大阪の住吉祭、京都の祇園祭も、それに命をかけるというのがお祭りです。これは現代のお祭りの最先端! コンピュータと電子機器を使った車のお祭り、それも一般の道でのお祭り。道もきれいになってますよ」
 YOSAKOIソーラン創始者の長谷川さんも、「日頃の街を舞台にするから、一般の人達も日頃から、道をきれいにしようという気持ちが湧くのではないでしょうか」と続ける。
 小樽を思い浮かべながらマカオを観戦していた二人の会話は、なおも弾んだ。
「ピットで働いている人が皆生き生きしているじゃないですか! 男も女もこれだけ生き生きと動けるなんてなかなか無いですよ、本当に。皆が楽しめるのが仕事になっているというのは良いですね、それがお祭りです」と玉木さん。
 10年以上YOSAKOIを運営していた長谷川さんは、公道レースという道の新しい使い方に、驚きを隠せないでいた。
 「こんなに道路の使い方が上手で、こんなに可能性があるというのは初めて知りましたね。ショックを受けました。リオのカーニバルも日頃は小学校の教室として使っている所を、カーニバルの時は桟敷席、観客席になるんです。一般の建物と道路の使い方のうまい組み合わせなんですよね。こういうのはすごく参考になりますよ」
 「札幌にワールドカップが来た時、皆が興奮したように、こういった国際的なレースが北海道にあれば、非常に意味があると思います」と長谷川さんは言う。この2002年、日本で初めて開催されたサッカーのワールドカップに人々は熱狂し、新しい世界を目の当たりにしたばかりだった。
 マカオは日本から最も近い公道レースの本場であり、かつて日本開催を夢見た者の多くは、一度ならずともこの地を訪れたことだろう。同じように小樽での開催を思い描いてやってきた長谷川さんと玉木さんは、決してレースのプロフェッショナルではなかったが、だからこそ柔軟な発想に富み、二人の中に様々なイメージが膨らんだのだ。

筆者近況
今年で15年目のオーストラリアは、新記録となる31万6千人の観客動員。経済効果は実に40億円以上あり、視察に訪れた小樽グランプリ推進協議会の人々もビックリしていた。火曜夜に帰国し、水、木と原稿&資料作りで金曜日は朝から永田町の衆議院議員会館へ。北海道出身の自民党幹事長、武部さんの秘書の方に説明に行き、終わってすぐに小樽へと飛んで関係省庁の代表が集まるプロジェクト・チームの会合に出席する。翌日は推進協議会メンバーと勉強会を行い、日曜日はスポンサーを紹介してくれるという方と面会。夜にやっと東京へ戻った。
(オートスポーツ誌 2005年11月24日号に掲載)