<US-RACING>
7月12日、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)第5戦ライム・ロックにて、参戦2年目で初めての総合優勝を実現させたアキュラ。ポール・ポジションからスタートしたハイクロフト・レーシングがアクシデントに見舞われながらも、レース終盤にコース上でペンスキー・ポルシェをかわす劇的な総合優勝を飾った。歴史的快挙からわずか一週間、興奮の余韻が残る第6戦ミド-オハイオは、ホンダの工場が近くにあることからアキュラにとってはホーム・レース。関係者も多く訪れており、US-RACINGはホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)のチーフ・エンジニアである堀内 大資氏にインタビューを行った。堀内氏はホンダのCART初参戦からエンジン開発に携わっており、もっとも長くアメリカのレースに関わっているひとり。今回は決勝レースを目前に控えていながら、快くインタビューを引き受けてくださった堀内氏に、歴史的総合優勝までの道のりと今後の展望について語っていただいた。その模様を2回にわたってお送りする。(インタビュアー:川合啓太)
Q:第5戦ライム・ロックでの優勝おめでとうございます。参戦2年目(17戦目)での初総合優勝ということですが、実感としては早かったでしょうか、それとも遅かったでしょうか?
堀内 大資氏(以下:HD):「早かったとは思いませんね。昨年の開幕戦セブリングでクラス優勝をして以来、今年になってようやく2勝目、3勝目ができたので、ここまで来るのは大変でした。しかし、もっと苦労すると思っていたところ、2年目にこういう状況になっているのは、私達としても非常に嬉しい限りです。みんなよくやってくれていますよ」
Q:ALMSという新たな挑戦にもかかわらず、わずか2年でこの栄光をつかんだわけですが、改めて参戦の経緯をお聞かせください。
HD:「CARTからIRLへ移るときに、HPDで開発からエンジン製作、テスト、レースの運営まですべてを北米だけで、しかも北米のメンバーのみでできるようにすることが目標でした。HPDの体制を変えるために、自前開発を目指してきたのです。当初、HPDでゼロから作り上げたエンジンは次期IRLエンジンとして開発したものですが、不本意にもインディカー・シリーズがワンメイク・レースとなり、必要がなくなってしまいました。ALMSは競争の中で開発を進めなくてはいけないというところから、次期IRL用として開発したエンジンを適用させやすかったのが3.4リッターのLMP2クラスであり、2005年の暮れに参戦を決めました。
私達としてもスポーツカーのレースと、リストリクター付エンジンの開発は初めてだったので、参戦を決めてからどういうマシンにエンジンを載せ、どういう走り方をするのかを研究し、いろいろ聞いて勉強しました。そこから2007年のセブリングを目指し、まるまる一年間かけてスポーツカーの開発を行ってきたのです。同時に、出場するなら市販のシャシーではなく、ある程度HPDで開発を始めたいということで、CART時代から付き合いがあったニック・ワースと共同開発という形で今のARXというマシンを作りました」
Q:ベース車両のクラージュLC75を選択した理由は何だったのでしょう?
HD:「クラージュを選んだ直接の理由はありません。ただ、開発するにあたって、いちばん手を加えることができるシャシーだと思います。初年度は、もう一つのマシンとして信頼性のあるローラ・シャシーをフェルナンデスのチームで走らせました。クラージュをベースに開発したARXをハイクロフト・レーシングでどんどん改良し、エンジンの開発は実績のあるローラ・シャシーを使って進めていくという方針でした」
Q:まったく初めての挑戦となったなかで、一年目に重点を置いていたのはどのような点ですか?
HD:「とにかく初めての体験なので、最初は完走することが目標でした。ですからエンジンとしては、最後まで絶対に壊れないことを目標に、耐久性を第一で開発して今では2レース継続してエンジンを使っています。耐久性を優先することで、速さはいまいちという結果に終わってしまった昨年の反省点を、今年の開発に活かしています。昨年はエンジンと車体を含めて、かなりオーバーウエイトでしたから、今年のセブリングの目標は耐久性をキープしつつ、できるだけ軽くすることでした。残念ながら今年は失格になりましたけども、スピードでは総合2位で終えることができました。失格に関しては部品製作の管理について非常に反省する部分があり、そこもどんどん手直しして部品の信頼性を確保するように目指しています。軽量化して何とか戦えるレベルになり、さらに戦闘力向上を狙ってエンジン側ではもっとパワーを上げ、やっと後半戦のライムロックから芽が出てきたと思います。車体側では重点的にダウンフォースを上げる目標で、エンジン・パワーと車体側の性能向上がちょうどマッチし、前回のライム・ロックでの優勝につながったと考えています」
Q:普通のロード・コースだけでなく、市街地レースなどコースバリエーションも豊富なうえ、レース時間も2時間から12時間と幅広く設けられているALMSにおいて、何か開発のポイントはありますか?
HD:「アメリカン・ル・マンの開発に関しては、セブリング12時間レースに耐え抜くエンジンを最低条件に開発しています。将来的にはもっと信頼性を上げ、運営コストを下げていきたいと思っています。今のところは北米のみ、12時間という設定で作っています。24時間ではありません。
また、ここに来るまでの間、開発を欲張らず、一歩ずつ進めてきたことが良い結果を生み出したと思います。最初はとにかく参加して、最後まで壊れずに走れるということだけが目標でしたが、今年は重い部分を改良し、パワーの足りないところは少しずつ上げました。車体についても空力を含めた様々な部分のなかで、ダウンフォース向上の一点に絞って開発したのが、良かったと思っています。もちろん、そういった開発しかできない体制ではあるんですが、できる範囲のところは確実にモノにするということでやってきました」
Q:1年間戦ってきた中でアメリカ・ル・マンとインディカーとの間に、どのような雰囲気の違いを感じますか?
A:「インディカーはマシン、タイヤ、エンジンもみんなワンメイクということで、同じ土俵で誰がいちばん速いドライバーなのかを決めるレースになっています。それはそれでアメリカのレースファンが非常に興味を持つことだと思いますし、むしろ一般的なファンにとってはいちばん興味のあることではないでしょうか。一方、アメリカン・ル・マンになるとマシンを含めた総合力で勝たなくてはいけないので、レースがほんとうに好きな人にとっては、絶好のカテゴリーだと思います。私達が見ていてもずっと面白いです」
Q:昨年と比べてチーム体制が変わりましたが、ド・フェラン・モータースポーツが加わったことにどのような効果がありますか?
HD:「昨年までは3台で戦い、ハイクロフトとアンドレッティ・グリーンがリタイアしてしまうと、アキュラ・シャシーのレースが終わってしまうというところがありました。そのため、今年はなんとかもう1台増やし、4台体制とするのが当初からの目標だったのです。ポルシェもペンスキーとダイソンの4台ですし、アキュラとしても4台は必要だということと、エンジンや車体の開発面ではレースを戦いながら開発していますので、3台よりも4台のほうが有利になります。緒戦には間に合いませんでしたが、今年からジル・ド・フェランさんに来てもらいました」
Q:初の総合優勝も果たし、昨年と比べてHPD内の雰囲気は変わりましたか?
HD:「昨年はいきなり開幕戦でクラス優勝してしまったので、そのあとちょっと停滞した雰囲気もありましたが、今年はP2チャンピオンを獲りにいこうという目標を持っています。そのためにはP1を含めた総合優勝というのが必要ですから、第一目標がライムロックでひとつ達成できたと思います。次の目標は、今年中にペンスキーを上回ってP2のチャンピオンを獲るということで、HPDのアメリカ人スタッフも非常にモチベーションが上っていますよ」
(つづく)
◆この続きは来週の水曜日にアップする予定です。