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第45回デイトナ24時間レース決勝 ロジャー安川、6位完走でフィニッシュ

<Speed of Japan>
2007年1月27〜28日(土・日曜) フロリダ州デイトナ・ビーチ

レース・ウィークは例年よりも肌寒い気候に見舞われていたデイトナ・インターナショナル・スピードウェイだが、第45回デイトナ24時間レース決勝日は気温も上昇し早朝から快晴のいい天気に恵まれた。
この24時間レースは、デイトナの全長2マイルのオーバルとインフィールドのコースを組み合わせた全長3.560マイルのコース。デイトナのDシェイプド・オーバルのターン1手前からクランクと2つのヘアピンからなるインフィールドに入り、再びターン1手前からオーバルに戻り、オーバルのバックストレートエンドにあるバス・ストップ・シケインを利用するコース。
ロジャー安川がドライブするサマックス・モータースポーツの?7(ポンティアック・ライリー)は、走行初日となる25日の予選でトラブルがあり、26日のセカンド・クオリファイも出走をキャンセルしており、クラス最後尾の28番手グリッドからの決勝スタートとなる。
この決勝を前に安川がこの7号車をドライブしたのは、年明けの合同テストとレースウィーク初日のナイトセッションのみ。初めて乗るデイトナ・プロト(DP)タイプのスポーツカーで、わずか20周ほどしか走行していないものの「フィジカル面では全く問題ない」と決勝に意欲を見せていた。
「Grand-Am – Rolex 24 At Daytona」は、27日(土曜)午後1時30分(米国東部標準時)にスタートした。スタート・ドライバーはチーム・メイトのトーマス・エンゲ。エンゲは1分46〜48秒でラップを重ね、最後尾から次々と前車をパスしていく。エンゲは、2スティント連続で走行を続け、9番手まで順位を上げ、午後3時26分、第2ドライバー、クリス・フェスタに交替する。フェスタも快走を続け7番手まで順位を上げていたものの、走行を開始して30分もしない午後3時53分、バスストップ・シケインでコースアウト。マシンはピットへ戻ることができたものの、フロントフェンダーの交換作業を行ったため、トップから3周遅れ、18番手まで順位を落としてしまう。
しかし、その後はフェスタも踏ん張り、クリス・ザッカリアにバトンを渡す。上位のマシンがトラブルに見舞われるなどラッキーなこともあり、午後5時を経過した時点で、7号車は12番手まで順位を上げ、そして午後7時過ぎ、ロジャ−安川にステアリングが託された。
安川は自身でも「慎重になりすぎた」とコメントするほど、丁寧にラップを重ねたが、安川の走行中に、このレース初のイエロー・コーションでペースカーが入ったこともあり、チームは早めにドライバー交替をすることを決定。このため安川は1時間足らずで最初の走行を終え、クリスチャン・モンタナーリに交替をした。結局、7号車の全5人のドライバーたちが最初の走行を追えた時点で、トップから5ラップダウンの8番手まで順位を上げていた。
低気圧の通過が予報されていたデイトナ周辺だったが、真夜中を過ぎると予報どおりに雨が降り出し、風も吹き始める。その雨は明け方前に一旦は上がったものの、午前7時をまわったところでそれまでよりも激しい雨が降り、この2度の降雨により度重なるイエロー・コーションが出され、周回数もトップとの差を縮めることにも成功するなど、サマックスの7号車は淡々と走行を続け、5番手まで順位を上げることとなった。
そして午前11時38分、安川にステアリングが託される。長かった24時間のレースも残り2時間弱、残り2スティントを残すのみとなっていた。しかし、走り出した安川に、ギヤ・トラブルが襲い掛かった。「最初の10周くらいはごまかしながら走っていたんですが、ピットインする前5周ほどはダウンシフトもできず、コーナーに入ってから無理やりギアを落とすような状況で、1コーナーやバス・ストップ・シケインは怖かったですね」という。チームはマシンに慣れているエンゲに最終スティントを任せる決断をし、ロジャーは1時間弱でマシンを降りた。サマックスの7号車は、そこまでに後続を引き離していたので、順位を大きく落とすことはなく、午後1時30分、無事24時間の耐久レース6位完走でフィニッシュした。

ロジャー安川コメント
「最初の走行は、自分の走行のタイミングで、何台かのマシンがコース脇で止まっていてペースカーが入ってしまいました。イエロー・コーション中のピット作業は時間が稼げますし、雨の予報が出ていたので、雨の得意なエンゲを投入することも考え、チームは早くローテーションを回したかったようですね。
 一回目の走行はまだ多くのマシンがコース上にいて、トラフィックにはまってリズムが悪かったです。マシンは、フェスタがコースアウトした影響はそれほどなかったんですが、なにしろマシンが重いので、ハンドルを切ったり、ブレーキを踏んだりするのも早いタイミングから始めないと動いてくれないですね。トラフィックとマシンの挙動に慎重になりすぎてしまいました。
 その後も、ローテーションの順番で乗る・乗らないと、雨の予報とにらめっこ状態で変更が続いて、たまたま、レース前に雨の夜間走行を経験していたフェスタを重視する流れもあったため、走行の順番が繰り越されたりしました。
 そして、最後のスティント、その前のスティントからギヤ・ボックスが怪しかったのですが、自分が走り出して2周目に、ついに壊れて4速が使えなくなってしまいました。我慢して乗っていましたが、ラストのスティントは、エンゲが担当すると決まっていましたし、クルマに慣れている度合いが違うのでやはりエンゲのほうがロスとタイムを減らせるというチームの指示が入って早めにピットインしました。
 レースを終えてみると、24時間レースなのに1時間半ほどしか乗れなかったです。もうちょっと乗りたかった、というのが本音ですね。しかし、フォーミュラとは違う、耐久レースですから、チームの戦略、チームワークによって、結果につながるのだと思います。ですからチームの決めたことに従うしかありませんね。ただ、このレースを経験したことで、ひと回り成長したと思いますし、この24時間以外にもこのシリーズには長いレースがありますからそういったものに出てみたいと思います」