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第11戦フォンタナでレイホールが7年ぶりの勝利、トップを争った佐藤琢磨は無念のクラッシュ

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2012年から最終戦として、ナイトレースで行われてきたフォンタナの2マイル・スーパー・スピードウェイ。今年はシーズン中盤の11戦目に組み込まれ、同じ土曜開催ではあるものの日中のレースに変更されました。6月末の開催と2か月ほど時期が早まったにもかかわらず、午後1時30分の時点で気温は32度。カリフォルニアの強烈な日差しの下、今季2度目の500マイルレースがスタートしました。
 
それはまさに2011年までのスーパー・スピードウェイにおけるパック・レーシングを彷彿とさせるようなレースが繰り広げられ、250周のレース中14人のドライバーによって80回もトップが入れ替わる激しいバトルが展開。2001年のCART時代にここで記録された73回(雨の影響などで220周に短縮、19人がトップを走行)を上回る新記録が誕生しました。
 
レースの折り返しを過ぎた136周目から計6回(計46周)のコーションが発生し、2時間57分にもわたる熱戦を制したのはグラハム・レイホール(ホンダ)。2008年セント・ピーターズバーグで最年少ウィナーに輝いて以来、実に125戦目にして得た2勝目です。レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングにとっても、2008年のワトキンス・グレンでライアン・ハンター-レイが優勝して以来の勝利でした。
 
「今日はとても幸運だったと思う。レッドフラッグの後にトップをキープできたのは、とてもラッキーだった。今日のTK(カナーン)は僕より速かったからね。もし彼を前に出していたら、大変なことになっていたと思う。運よく、十分に彼をおさえることができた」と勝因を語るレイホール。彼にはもうひとつ、自分はラッキーだと認めたことがありました。
 
188周目のピットインの際、作業が終わったと判断したクルーがレイホールにスタートを合図したところ、ほぼ同時に燃料担当のクルーがいったん抜いたホースを再度差し込み、レイホールは勢いよく飛び出してホースがちぎれ、先端のリグを付けたままコースへ。燃料を撒き散らす大変危険な状況となり、マシンから落ちたリグがコース上に落ちる事態になったのですが、彼にペナルティは与えられませんでした。
 
「燃料担当のクルーは、おそらく十分に入っていなかったと思ったんだろう。彼はとても素晴らしいクルーで、正直、それまでのピットストップではかなりパスできた。はじめは何があったのか理解することができなかったが、ミラーでリグを見て『何かの冗談だろう』って思ったよ。クルマを前後に動かしたら外れて、確かに幸運だったと思う」とレイホールは語っています。
 
昨年までのレースにおいて、レース中のピットの際にタイヤ交換用のエアホースを踏んだり、タイヤに接触した場合などにピット・スルー・ペナルティが科せられていました。しかし今年からそのルールが変更され、他のチームに影響を及ぼさない限り、レース後のペナルティとなることに改定。インディ500で勝ったモントーヤもレース中にエアホースを踏み、レース後に500ドルの罰金を受けていました。
 
様々な物議を醸したパック・レーシングに関してレイホールは「これはレースだと思うよ。ここ数年はダウンフォースを減らしたことで、リーダーを追うシングル・ファイルのレースが続いていた。今日のようにここまで接近する必要はないけど……、僕を負かそうとした何人かにとっては簡単だったと言うかもしれないが、僕にとっては簡単じゃなく、走行レーンを選ぶのはとてもハードだった」
 
「どのレーンに行くかを理解するのは非常にむずかしく、自分の前に一台いるとレーンが決まってきて、それがホンダとシボレーでは違ってくる。自分の後ろには誰がいて、自分は今どのレーンにいて、どうやったらグリップを見つけられるか、路面の継ぎ目をまたぐ必要があるのかなど、常に考えていなければならないんだ。決して簡単なことではないよ」とレイホールはその難しさを語りました。
 
「そう、だいぶ前にやっていたレースに近いものがあるけど、どこででも欲しいだけ全開にしていた昔のパック・レーシングのスタイルとはまるで違う。勝つためにはベストなスポットを選ばなければならないんだよ」とレイホールは説明。2011年までのパック・レーシングとは、まったく異なっていたというのが彼の見解です。
 
その一方で、2位フィニッシュのカナーンは、「見ているほうにとってはエキサイティングだったけど、我々にとっては少しクレイジーだった。トラブルを避けて、ずっと前に居続けようとトライしただけだ。我々が予想していたよりも少し接近戦になったが、最終的に我々全員が生き残れたよ。とてもストレスが多くて、長い一日だった。イエローで終わって良かったね。楽しかったとは言えない」とコメントしています。
 
久しぶりの接近戦だったせいか、ターン4を中心に計7台がクラッシュに見舞われ、その中には佐藤琢磨もいました。予選9位からスタートした琢磨は、全車がグリーンの最中に行った最初のピットで最長となる38周目まで引っ張り、琢磨とスコット・ディクソン(シボレー)の2台が最後にピットへ。ホンダとシボレーの燃費は、ほぼ互角だったといえるかもしれません。
 
フレッシュ・タイヤを装着した琢磨は7番手からいっきにポジションを上げ、47周目にトップへ浮上。ペンスキーやガナッシといった強豪を相手に、トップ争いを繰り広げていきます。73周目に2度目のピットを終え、レースの中盤に入ってもトップ・グループに留まり続けていたのですが、ドラフティングを使っていっきに前に出てきたセイジ・カラムが突然レーンを変えたことで接触。フロント・ウィングにダメージを負ってしまいます。
 
その影響でタイヤの摩耗が激しくなり、ウィング交換が必要となった琢磨は、大きく順位を落とさなければならなくなりました。あろうことか、今度はレース終盤に入ってピットインする際に再びカラムが後方から接触し、197周目にピットへ入って後ろのバンパーまで交換。残り約50周というところで、周回遅れへの転落を余儀なくされたのです。
 
幸い、221周目のコーションで同一周回に戻ることができた琢磨は、227周目のグリーンで17番手から猛スパートをかけます。わずか10周を経た237周目に4番手まで躍進し、2勝目が見え始めたその矢先でした。ゴールまで残り9周のターン4で外側にいたウィル・パワーが出口でイン側に降り、それに気づいた琢磨もイン側へ行くと、そこにはディクソンがいました。
 
琢磨はディクソンと接触を喫し、はじかれる形でパワーとともにコンクリート・ウォールに激突。大きな衝撃音がスピードウェイに響きましたが、二人とも自力でマシンから降りることができ、メディカルチェックを受けてすぐに解放されました。今回はセーファーバリアではなかっただけに、あらためてIR12の安全性が証明されたといっていいでしょう。
 
「僕は3分の2車身以上入っていたんですけど、パワーが降りてきてディクソンもちょっと上がってきて、どんどん二台が近寄ってきて両側が接触するという感じでした。最後のハンター-レイのクラッシュにちょっと似たような状況ですけれども、それによって2台がクラッシュするという、非常に残念な結末になりました」と琢磨は振り返っています。
 
第2戦ルイジアナ以来となる今シーズン2度目のリタイアに終わったものの、2マイル・オーバルのスーパー・スピードウェイで、堂々たるトップ争いを見せた琢磨。優勝したレイホールや3位でフィニッシュしたマルコ・アンドレッティも含め、これまで劣勢だったホンダ勢が、このタイプのコースで大躍進を遂げることになりました。
 
今シーズンの開幕から戦闘力不足のエアロ・キットに悩まされ続けたホンダ勢は、これまでの10戦中、性能差が少なくなる雨の中でギャンブルに成功したルイジアナとデトロイト第1レースで得た2勝のみ。この第11戦フォンタナで、やっと今年初めてシボレーと互角に戦うことができたという点において、非常に価値のある勝利だったと言えます。
 
前回のスピードウェイだったテキサスで、3位のエリオ・カストロネベスがリア・バンパー上のウィングを外側にだけ付けていましたが、今回2位に入ったカナーンは内側にのみ装着。このようにほとんどのシボレー勢がどちらか片側にだけウィングを付けていたのに対し、ホンダ勢は両側に設置していました。
 
シボレー勢よりもダウンフォースを稼いでいながら、それでいて互角の戦いを見せたということは、相当なエンジン・パワーを実現してきたと考えられます。その点について琢磨は、「HPDのエンジニアはすごくがんばって、特にミッドレンジのトルクアップを果たし、非常にパワフルなエンジンになっています」と説明してくれました。
 
「あとは空気効率ですね。今回のパッケージはサイドウォール、ディフューザーが使えることになって、なおかつダラーラ純正の大きなメイン・プレート(リア・ウィング)を使えるので、ダウンフォースを十分なところまで引き上げることができました。インディやテキサスと違って、そこから後はダウンフォースを削っていく方向でした」
 
「インディやテキサスでは、僕らはダウンフォースをつけたくてもつけられない状態だったんです。今回差がなかったのは、ダウンフォース量を引き上げることができて、ドラッグ・レベルも非常に似たようなところにあったのではないかと思います。そういう意味で、非常に接近した良いレースになったと思います」と琢磨は語りました。
 
HPDに駐在している栃木研究所のエンジニア、田辺豊治さんは「他のレースでは暑くても気温30度ちょっとですが、ここでは35度ぐらいを想定し、いかにエンジンをうまく使うかをダイナモでテストして、細かく煮詰めてきました。毎日気象情報を見ながら、朝から晩までの温度変化を調べ、できる限り最適化しようということです」と今回のエンジンについて語っています。
 
「エンジンもエアロ・パッケージもホモロゲされているので、1シーズン変えられないのは辛いものがあります。できる範囲の中で、できることをやるしかない。少しでも何か性能向上になるものがあると思ったら、テストしてモノにするとか、そういう積み重ねを諦めずにやりましょうってことです。重箱の隅をつつくようなことを積み重ね、『やり残してない?』っていうところを見つけて、少しずつでも前進するように、やるしかないのかなと。大玉はないです」
 
いっきにスピードをアップさせるような改良はできず、地道な開発に専念せざるを得ないのがホンダの現状であり、「このルールでやるって決めた以上、やるしかありません」と田辺さん。「もともとレギュレーションでエアロ・キットは来年に向けて変えられることになっているので、当然そこはしっかりやろうと思います。エンジンもホモロゲし直せる部分があるので、そこに向けて開発しているところです」
 
スーパー・スピードウェイで好バトルを展開したシボレーとホンダですが、次からのショート・オーバル2連戦では、ロード・コース用のエアロ・パッケージを使用。エンジンのパワーよりもシャシーのセット・アップが重要となるだけに、ホンダにとってまだまだ厳しいシーズンが続くことになると予想されます。
 
さて、みなさんは今回のレースをどのようにご覧になったでしょう。久しぶりのパック・レーシングで様々な感情が露わになりましたが、「今年は新しいエアロに加えて気温が高い日中のレースとなり、リーグはダウンフォースを許容してくれました」(佐藤琢磨)ということで、突如我々の前で復活することになったのです。
 
2011年の最終戦でダン・ウェルドンを亡くして以来、封印されてきたパック・レーシング。レイホールのようにポジティブな意見から、カナーンのようにネガティブなものまで、色々な意見を目にしていく中でふと、もしウェルドンが生きていたら彼はなんと言っただろうと考えました。
 
あのような悲劇が起きなければ、パック・レーシングは今も続いていたはずです。ある程度レースの数は減ったとしても、ゼロにはなっていなかったでしょう。そして、その中にはパック・レーシングを得意としていたウェルドンもいて、嬉々としてドライブしていたかもしれません。彼自身はパック・レーシングがなくなることを、決して望んではいなかったのではないか……。
 
パックでレースをするには、極めて高度なテクニックを要します。オープンホイールで4ワイドや時に5ワイドといった接戦を繰り広げられるのは、この地球上でインディカーのドライバーたちだけです。今回あらためて彼らのドライビングに感動し、尊敬の念を抱いた自分がそこにいました。
 
もともとIR12(DW12)はパック・レーシングを想定して設計されたもので、これまでのアクシデントからもわかるように、安全性は確実に向上しています。しかしさらなる安全対策も必要不可欠であり、リーグはそのための様々な技術開発やルールを導入し、その過程においてはドライバーやチームの声も積極的に取り入れるべきでしょう。
 
僕としては、ドライバーやチームが自ら望んでエントリーしてくれるのであれば、ぜひまた観たいと思います。パック・レーシングを制して歓喜するドライバーを、心から祝福したいです。そう、かつてのウェルドンのように。(斉藤和記)
 
●決勝リザルト

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