INDY CAR

第15戦インディ・ジャパン情報 ツインリンクもてぎ創設と13年間のオーバル・レース

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ツインリンクもてぎのスーパースピードウェイを舞台に、98年に始まったアメリカンオープンホイールの最高峰レース。残念ながら14年で幕を閉じることとなり、震災の影響で最後はロードコースでの開催となりますが、これまでの歴史を少しおさらいしておきましょう。
 
サーキットの企画が公になったのはCART開催10年前の88年。ホンダ社内に“モビリティ・ワールドもてぎ”を検討するプロジェクトが3月に発足し、12月の栃木県県政記者クラブで公表されました。当時はロードコースだけのプランで、オーバルの追加が決まったのは後のことです。
 
90年2月に?ホンダ・モビリティワールドが設立され、栃木県に開発許可申請を提出したのは翌年10月。その頃からオーバルを加える案が検討され、当時の社長だった小林 修氏は「すでに8つの国際形式サーキットがある中で、同様のものを作る必要はない」と語っていました。
 
オーバルも加えたツインリンク構想のもと、?ツインリンクもてぎが94年1月に設立。「参加型のモータースポーツを提案できる場としてアメリカに注目し、その象徴ともいうべき本格オーバルを加えました」と小林氏は語り、開発の変更申請書が12月に県に提出されました。
 
95年1月に本格的な造成工事が開始され、山を削って平地を作り、約2年をかけて完成。96年11月には “PPGインディカー・ワールド・シリーズ”の98年開催が発表され、97年8月、96年CARTチャンピオンのジミー・バッサーを招いてオープニング・セレモニーが行われました。
 
98年3月26日に開幕した最初のCART、27日の予選は雨で中止となり、前日のプラクティスでスタート・ポジションが確定しました。28日午後1時5分、バッサーを先頭にグリーン・フラッグが振り下ろされて30台がスタート。102周をリードしたフェルナンデスが優勝したのです。
 
もてぎ初代ウィナーとなったフェルナンデスは通算2勝目、オーバルでは初優勝でした。2位はアンサーJr、3位はド・フェランとフォード、メルセデス・ベンツ、ホンダの3メーカーがそろって表彰台に。前年11月の合同テストにフェルナンデスは参加せず、初走行での勝利でした。
 
最初のレースに参戦した日本人は、90年からインディカーに参戦していたパイオニア、ヒロ松下が16位。インディ500に参戦していた松田秀士もスポット参戦し、18位でフィニッシュしています。松下はこの年の第5戦リオデジャネイロをもって、引退することになりました。
 
2年目のCARTは桜咲く99年4月10日、初年度同様第2戦として開催されました。予選は前年が雨だったため、この年初めてオーバルならではのシングルカークォリファイが実現。4台だけだったグッドイヤー・タイヤのド・フェラン(ホンダ・レイナード)がポールを獲得しました。
 
優勝は再びフェルナンデスで、チームは途中コーションが発生したことで3回のピットで走りきる作戦が奏功。2位はド・フェラン、3位はC.フィッティパルディでした。日本人はフル参戦予定の服部尚貴が開幕戦でクラッシュしたため、服部茂章が唯一の参戦となり20位でゴール。
 
3年目の00年CARTは5月14日に第4戦として開催、予選はトヨタが片バンクターボを投入してモントーヤがポールを獲得しました。土曜日の決勝はあいにくの雨となり、CART設立以来6度目となる決勝順延が決定。日曜日の午前11時39分にグリーンが振られました。
 
201周のレース中172周もレースをリードしたモントーヤ。しかしポップオフバルブの配線が外れて順位を落とし、予選8位から追い上げてきたマイケル・アンドレッティが優勝。2位はフランキッティで3位はモレノ、日本人は中野信治が14位、黒澤琢弥が20位でゴールしました。
 
4年目の01年CARTは5月19日に第5戦として開催され、7万2千人が来場。3日間ではじめて10万人を突破しました。予選はカストロネベスを筆頭に上位4台をホンダが独占。必勝体制で臨んだホンダでしたが、レースは燃費走行に徹した予選6位のブラックがCART初優勝。
 
またも地元日本でホンダとトヨタが勝てず、フォードの4連勝が実現しました。ホンダはカストロネベスが2位、カナーンが3位とあと一歩。2年目の中野信治が日本人の初トップ10となる8位、ルーキーだった高木虎之介はアクセルが戻らなくなるトラブルで20位に終わりました。
 
最後のCARTとなった5年目は02年4月27日に第3戦として開催。前年にCARTからの撤退を発表していたホンダにとって最後のチャンスでしたが、6年連続でドライバーズタイトルを一緒に獲得していたレイナードが開幕前に倒産、急遽ローラに変更する事態に陥っていました。
 
すでに2年間ローラを走らせていたトヨタ&ガナッシのジュンケイラが予選でポール、ホンダ勢はレイナードのカナーンが最上位で予選2位。決勝はカナーンやトレイシーらホンダ勢がトップを争うも、ともにメカニカルトラブルでリタイアに終わり、ジュンケイラが優勝しました。
 
トヨタが日本初優勝を記録し、2位がフォード・レイナードのタグリアーニ、3位にホンダ・レイナードのフランキッティ。日本人は4番手を走行していた高木虎之介がピットの際にエア・レンチを踏んだペナルティで8位、中野信治はリア・タイヤ脱落で10位に終わりました。
 
最後のCARTから約一ヵ月、インディ500で03年からホンダがIRLに参戦し、もてぎもIRL開催を発表。CARTは03年からフォードのワンメイクとなり、翌年以降は現KVレーシング・オーナーのカルコーベン体制のもと“チャンプカーワールドシリーズ”として継続していったのです。
 
初のIRL、“インディジャパン”が始まったのは03年でディクソンがポール。200周のレース中9回、計64周もイエローとなる大波乱の展開で、トップを争っていたカナーンとディクソンがクラッシュして骨折。IRL初年度チャンピオンの一人、シャープ(トヨタ)が優勝しました。
 
日本勢は高木虎之介が予選3位から8位、中野信治は11位でゴール。インディ挑戦初年度の鈴木亜久里のチームから参戦したルーキーのロジャー安川は、46周目にカストロネベスと接触し、服部茂章は日本初登場の女性ドライバー、フィッシャーと接触してクラッシュに終わりました。
 
インディジャパン2年目の04年は、前年のルーキーオブザイヤー、ウェルドンがポール。200周のレース中192周もリードする速さで初優勝をマークし、CART時代から7年目にして、ホンダが悲願の地元初優勝を達成しました。2位はチームメートのカナーン、3位はカストロネベス。
 
04年の日本勢は3人、ルーキーの松浦孝亮がホーニッシュJrと接触して足回りにダメージを負った中で8位。4度目の高木虎之介は初日のクラッシュで不完全な体調ながら10位、スポット参戦のロジャー安川はシーズン初のレースでGフォースを初走行、11位でフィニッシュしました。
 
05年、3年目のインディジャパンはトヨタのホーニッシュJrがポール、ルーキーのダニカが予選2位から18周にわたってレースをリードしました。計8回、59周もイエローが発生し、10回トップが入れ替わった中でウェルドンが2連勝、2位シャープ、3位ライス、ダニカは4位でゴール。
 
05年の日本勢は前年にルーキーオブザイヤーに輝いた松浦孝亮が予選9位からスタートし、最初のピットでトラブルに遭った影響で、最終的に9位でフィニッシュ。一方、3回目のロジャー安川はピット戦略で一時3番手を走るも、エンジン・トラブルでリタイアを余儀なくされました。
 
初のホンダ・ワンメークとなった06年は、二日間雨に見舞われてポイント順にスタート。カストロネベスを先頭にグリーンとなり、ディクソンとバトルを繰り広げるも、ディクソンは最後のピットでまさかのエンジン・ストール。カストロネベスが日本初のフェンス登りを披露しました。
 
日本人は一人だけの参戦となった06年、松浦孝亮が3度目の凱旋を果たし、3列目の6番グリッドからスタートしました。この年ダラーラに変更した松浦は一時10番手前後を走るも、最後のピットでニュータイヤを履いて追い上げ、日本人のベスト更新となる7位でフィニッシュ。
 
もてぎでCARTがスタートして以来、記念すべき10回目のレースとなった07年。カストロネベスが2年連続でポール・ポジションからスタートし、中盤はウェルドンとカナーンのバトルとなっていた中、燃費と速さの両方を兼ね備えたカナーンが日本での初優勝を達成しました。
 
18台のレースとなった07年は、前年と同じく松浦孝亮だけが参戦。この年からパンサー・レーシングとパートナーシップを組んだチームは、4年目となった地元日本で9番手からスタートしましたが、スタート直後のターン1でリアが突然滑ってクラッシュ、まさかの0周リタイアに。
 
大雨で予選中止となった08年、ポイント順によりカストロネベスが3年連続ポールとなるも、決勝は水が路面から湧き出るアクシデントで順延。日曜日のレースはディクソンがリードする中、コーションをうまく使って燃費作戦に成功したダニカが優勝。初の女性ウィナー誕生です。
 
08年の日本勢はアンドレッティ・グリーンのルーキー、武藤英紀が9番手からスタート。ピットロードでペースカーを追い越すタイミングを誤ってスピンを喫し、最終的に11位でゴールしました。05年以来4度目の参戦となったロジャー安川は、ブレーキトラブルで無念のリタイア。
 
12回目の09年は初めて春から秋の開催へ。ポールは03年以来2度目のディクソンで、前年のチャンピオンは2年連続タイトル目指して磐石な走りを披露。途中チームメートのフランキッティが53周リードしますが、計139周もトップを走り、もてぎ挑戦10年目で初制覇を達成しました。
 
09年の日本勢は2年目の武藤英紀が予選でクラッシュ、体にダメージが残る中22番手からスタートして14位でフィニッシュしました。07年以来の松浦孝亮は16番手スタートの17位。5度目となったロジャー安川はサスペンショントラブルで長時間のピットを強いられ、20位でゴール。
 
結果的に最後のオーバルとなった10年は、カストロネベスがもてぎで5度目のポール。レースでも200周中153周リードする強さで優勝し、日本で2度目のフェンス登りを披露しました。フランキッティとブリスコーの2番手争いは、史上最高のバトルのひとつに挙げられるでしょう。
 
96年CART王者バッサーのチームで佐藤琢磨がデビューした10年、メカニカルトラブルでクラッシュしながら予選10位を得、最後に12位でゴールしました。ニューマン/ハース入りした武藤英紀は予選17位から14位、日本最多出場のロジャー安川は20位でフィニッシュしました。
 
 
■ツインリンクもてぎ・スーパースピードウェイ13年の記録【1998-2010年】
 
ツインリンクもてぎのスーパースピードウェイを舞台に、1998年からスタートしたアメリカン・オープン・ホイールの最高峰シリーズ。5年間のCART時代を経て、2003年よりIRLインディカー・シリーズの公式戦が8年にわたって開催されてきました。優勝したドライバーやマシン、地元で奮闘した日本人選手の全記録です。
 
●第1回 1998年3月26日〜28日
CARTフェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第2戦
バドワイザー500  
優勝:アドリアン・フェルナンデス
(パトリック・レーシング:フォード/レイナード/ファイアストン)
2位:アル・アンサーJr.
(チーム・ペンスキー:メルセデス・ベンツ/ペンスキー/グッドイヤー)
3位:ジル・ド・フェラン 
(ウォーカー・レーシング:ホンダ/レイナード/グッドイヤー)
PP:ジミー・バッサー※P
(チップ・ガナッシ・レーシング:ホンダ/レイナード/ファイアストン)
日本人ドライバー:ヒロ松下16位(予選30位)、松田秀士18位(予選25位)
 
●第2回 1999年4月8日〜10日
CARTフェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第2戦
ファイアストン・ファイアホーク500 
優勝:アドリアン・フェルナンデス
(パトリック・レーシング:フォード/レイナード/ファイアストン)
2位:ジル・ド・フェラン
(ウォーカー・レーシング:ホンダ/レイナード/グッドイヤー)
3位:クリスチャン・フィッティパルディ
(ニューマン/ハース・レーシング:フォード/スイフト/ファイアストン)
PP:ジル・ド・フェラン
(ウォーカー・レーシング:ホンダ/レイナード/グッドイヤー)
日本人ドライバー:服部茂章20位(予選24位)
 
●第3回 2000年5月11日〜14日
CARTフェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第4戦
ファイアストン・ファイアホーク500 
優勝:マイケル・アンドレッティ
(ニューマン/ハース・レーシング:フォード/ローラ/ファイアストン) 
2位:ダリオ・フランキッティ
(チーム・グリーン:ホンダ/レイナード/ファイアストン)
3位:ロベルト・モレノ
(パトリック・レーシング:フォード/レイナード/ファイアストン)
PP:ファン・モントーヤ
(チップ・ガナッシ・レーシング:トヨタ/ローラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:中野信治14位(予選11位)、黒澤琢弥20位(予選23位)
 
●第4回 2001年5月17日〜19日
CARTフェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第5戦
ファイアストン・ファイアホーク500 
優勝:ケニー・ブラック
(チーム・レイホール:フォード/ローラ/ファイアストン)
2位:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:ホンダ/レイナード/ファイアストン)
3位:トニー・カナーン
(モー・ナン・レーシング:ホンダ/レイナード/ファイアストン)
PP:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:ホンダ/レイナード/ファイアストン)
日本人ドライバー:中野信治8位(予選13位)、高木虎之介20位(予選24位)
 
●第5回 2002年4月25日〜27日
CARTフェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第3戦
ブリヂストン・ポテンザ500 
優勝:ブルーノ・ジュンケイラ
(チップ・ガナッシ・レーシング:トヨタ/ローラ/ブリヂストン)
2位:アレックス・タグリアーニ
(フォーサイス・レーシング:フォード/レイナード/ブリヂストン)
3位:ダリオ・フランキッティ
(チーム・グリーン:ホンダ/レイナード/ブリヂストン)
PP:ブルーノ・ジュンケイラ
(チップ・ガナッシ・レーシング:トヨタ/ローラ/ブリヂストン)
日本人ドライバー:高木虎之介8位(予選11位)、中野信治10位(予選20位)
 
●第6回 2003年4月11日〜13日
IRLインディ・カー・シリーズ第3戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 
優勝:スコット・シャープ
(ケリー・レーシング:トヨタ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:ケニー・ブラック
(チーム・レイホール:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
3位:フェリペ・ジャフォーネ
(モー・ナン・レーシング:トヨタ/Gフォース/ファイアストン)
PP:スコット・ディクソン※P
(チップ・ガナッシ・レーシング:トヨタ/Gフォース/ファイアストン)
日本人ドライバー:高木虎之介8位(予選3位)、中野信治11位(予選21位)、服部茂章20位(予選22位)、ロジャー安川21位(予選15位)
 
●第7回 2004年4月15日〜17日
IRLインディ・カー・シリーズ第3戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 
優勝:ダン・ウェルドン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:トニー・カナーン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
3位:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:トヨタ/ダラーラ/ファイアストン)
PP:ダン・ウェルドン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:松浦孝亮8位(予選4位)、高木虎之介10位(予選21位)、ロジャー安川11位(予選13位)
 
●第8回 2005年4月28日〜30日
IRLインディカー・シリーズ第4戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 
優勝:ダン・ウェルドン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:スコット・シャープ
(フェルナンデス・レーシング:ホンダ/パノス/ファイアストン)
3位:バディ・ライス
(レイホール・レターマン・レーシング:ホンダ/パノス/ファイアストン)
PP:サム・ホーニッシュJr.
(チーム・ペンスキー:トヨタ/ダラーラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:松浦孝亮9位(予選9位)、ロジャー安川18位(予選21位)
 
●第9回 2006年4月20日〜22日
IRLインディカー・シリーズ第3戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 
優勝:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:ダン・ウェルドン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
3位:トニー・カナーン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
PP:エリオ・カストロネベス※R
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:松浦孝亮7位(予選6位)
 
●第10回 2007年4月19日〜21日
IRLインディカー・シリーズ第3戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 
優勝:トニー・カナーン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:ダン・ウェルドン
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
3位:ダリオ・フランキッティ
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
PP:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:松浦孝亮18位(予選9位)
 
●第11回 2008年4月17日〜20日
IRLインディカー・シリーズ第3戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 
優勝:ダニカ・パトリック
(アンドレッティ・グリーン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
3位:スコット・ディクソン
(チップ・ガナッシ・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
PP:エリオ・カストロネベス※R
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:武藤英紀11位(予選9位)、ロジャー安川14位(予選18位)
 
●第12回 2009年9月18日〜19日
IRLインディカー・シリーズ第16戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 
優勝:スコット・ディクソン
(チップ・ガナッシ・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:ダリオ・フランキッティ
(チップ・ガナッシ・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
3位:グラハム・レイホール
(ニューマン/ハース/ラニガン・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
PP:スコット・ディクソン
(チップ・ガナッシ・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:武藤英紀14位(予選22位)、松浦孝亮17位(予選16位)、ロジャー安川20位(予選17位)
 
●第13回 2010年9月18日〜19日
IRL IZOD インディカー・シリーズ第16戦
インディ・ジャパン300 
優勝:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
2位:ダリオ・フランキッティ
(チップ・ガナッシ・レーシング:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
3位:ウィル・パワー
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン) 
PP:エリオ・カストロネベス
(チーム・ペンスキー:ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)
日本人ドライバー:佐藤琢磨12位(予選10位)、武藤英紀14位(予選17位)、ロジャー安川20位(予選21位)
 
※P:雨で予選中止によりプラクティス順でスタート
※R:雨で予選中止によりランキング順でスタート
 
 
■データ集
 
●参戦ドライバー:95人
 
●参戦回数トップ3:1位トニー・カナーン全13戦、2位エリオ・カストロネベス12戦、3位ダリオ・フランキッティ11戦
 
●最多勝利:2勝(アドリアン・フェルナンデス98−99年、ダン・ウェルドン04−05年、エリオ・カストロネベス06、10年)
 
●表彰台獲得ドライバー:20人
 
●最多表彰台:5回(エリオ・カストロネベス:優勝06、10年。2位01、08年。3位04年。ダリオ・フランキッティ:2位00、09、10年。3位03、07年)
 
●最多トップ5フィニッシュ:5回(エリオ・カストロネベス、ダン・ウェルドン、トニー・カナーン、ダリオ・フランキッティ)
 
●最多トップ10フィニッシュ:8回(ダン・ウェルドン)
 
●キャリア初優勝を達成したドライバー:ダン・ウェルドン(04年)、ダニカ・パトリック(08年)
 
●勝利チーム・トップ2:1位アンドレッティ・グリーン・レーシング(4勝)、2位パトリック・レーシング、チップ・ガナッシ・レーシング、チーム・ペンスキー(2勝)
 
●勝利エンジン・トップ3:1位ホンダ(7勝)、2位フォード(4勝)、3位トヨタ(2勝)
 
●勝利シャシー・トップ3:1位ダラーラ(8勝)、2位ローラ(3勝)、3位レイナード(2勝)
 
●最多勝利(タイヤ):13勝(ファイアストン。2002年のブリヂストン・ブランドでの参戦を含む)
 
●最速レース記録:1時間44分48秒888。平均178.113mph(約286.584km/h)2001年5月19日ケニー・ブラック(フォード/ローラ/ファイアストン)が優勝
 
●最長レース記録:2時間21分17秒8256.平均129.090mph(約207.706 km/h)2003年4月13日スコット・シャープ(トヨタ/ダラーラ/ファイアストン)が優勝
 
●レース距離: CART時代は500キロ・レースで201周を周回。当時は1周を1.549マイルで計算していたことから、レース距離は311.349マイル(×1.609キロで約500キロ)。IRLになってからは300マイル・レースとなり、全200周のレースに。
 
●最多リード・チェンジ:13回(2003年4月13日)
 
●最少リード・チェンジ:3回(2000年5月14日、2010年9月19日)
 
●最多リーダー:7人(1998年3月28日、2002年4月27日、2005年4月30日)
 
●最少リーダー:3人(2000年5月14日、2010年9月19日)
 
●最多コーション:9回(2003年4月13日)
 
●最少コーション:2回(2001年5月19日、2009年9月19日)
 
●最多コーション・ラップ:64周(2003年4月13日)
 
●最少コーション・ラップ:13周(2001年5月19日)
 
●トップと同一周回数でフィニッシュしたドライバーの最多:18人(2010年9月19日)
 
●トップと同一周回数でフィニッシュしたドライバーの最少:2人(2001年5月19日、2002年4月27日)
 
●完走ドライバーの最多:20人(2009年9月19日、2010年9月19日)
 
●完走ドライバーの最少:11人(2003年4月13日)
 
●ウィナーのトップ走行周回の最多:192周(ダン・ウェルドン2004年4月17日)
 
●ウィナーのトップ走行周回の最少:3周(ダニカ・パトリック2008年4月20日)
 
●ウィナーと2位の差の最少:0.4828秒(2007年4月21日に優勝したトニー・カナーンと2位ダン・ウェルドン)
 
●ウィナーと2位の差の最大:12.282秒(2002年4月27日に優勝したブルーノ・ジュンケイラと2位アレックス・タグリアーニ)
 
●ウィナーの平均年齢:31歳
・ウィナー 年齢
1998:アドリアン・フェルナンデス 34歳と342日
1999:アドリアン・フェルナンデス 35歳と355日
2000:マイケル・アンドレッティ 37歳と222日(最年長)
2001:ケニー・ブラック 35歳と59日
2002:ブルーノ・ジュンケイラ 25歳と174日(最年少)
2003:スコット・シャープ 34歳と303日
2004:ダン・ウェルドン 25歳と300日
2005:ダン・ウェルドン 26歳と312日
2006:エリオ・カストロネベス 30歳と347日
2007:トニー・カナーン 32歳と111日
2008:ダニカ・パトリック 26歳と26日
2009:スコット・ディクソン 29歳と59日
2010:エリオ・カストロネベス 35歳と132日
 
●PP獲得トップ3:1位エリオ・カストロネベス5回(01、06※R、07、08※R、10年)、2位スコット・ディクソン2回(03※P、09年)、3位以下は1回ずつ
※P:雨で予選中止によりプラクティス順でスタート
※R:雨で予選中止によりランキング順でスタート
 
●1周の最速スピード(平均)&タイム:219.000mph(352.371km/h)、25.463秒。1999年にジル・ド・フェラン(ホンダ/レイナード/グッドイヤー)が予選で記録。IRL時代は205.762mph(331.071 km/h)、26.5938秒で2004年にダン・ウェルドン(ホンダ/ダラーラ/ファイアストン)が予選で記録。
 
●PP獲得チームのトップ3:1位チーム・ペンスキー6回、2位チップ・ガナッシ・レーシング5回、3位ウォーカー・レーシング&アンドレッティ・グリーン・レーシング1回
 
●PPエンジン・トップ2:1位ホンダ(9回)、2位トヨタ(4回)
 
●PPシャシー・トップ3:1位ダラーラ(7回)、2位レイナード(3回)、3位ローラ(2回)
 
●PPタイヤ・トップ2:1位ファイアストン&ブリヂストン(12回)、グッドイヤー(1回)
 
●PPから優勝したドライバーは13回中5人、最も低い予選順位から優勝したのは2000年のマイケル・アンドレッティで8位から。
・ウィナー 予選順位
1998:アドリアン・フェルナンデス 2位
1999:アドリアン・フェルナンデス 4位
2000:マイケル・アンドレッティ 8位
2001:ケニー・ブラック 6位
2002:ブルーノ・ジュンケイラ PP
2003:スコット・シャープ 7位
2004:ダン・ウェルドン PP
2005:ダン・ウェルドン 5位
2006:エリオ・カストロネベス PP
2007:トニー・カナーン 3位
2008:ダニカ・パトリック 6位
2009:スコット・ディクソン PP
2010:エリオ・カストロネベス PP
 
 
●日本人ドライバー参戦数:10人
 
●日本人ドライバー参戦数トップ3:1位 ロジャー安川(6回)、2位 松浦孝亮(5回)、3位 高木虎之介&中野信治(4回)
 
●日本人ドライバー最高位:7位(松浦孝亮06年)
 
●日本人ドライバー最高予選順位:3位(高木虎之介03年)
 
 
●女性ドライバー参戦数:4人(ダニカ・パトリック6回、サラ・フィッシャー2回、ミルカ・デュノ、シモーナ・デ・シルベストロ)
 
 
●シリーズ・チャンピオンのツインリンクもてぎでの順位
・チャンピオン ツインリンクもてぎの順位
1998:アレックス・ザナルディ 23位(ワースト)
1999:ファン・モントーヤ 13位
2000:ジル・ド・フェラン 9位
2001:ジル・ド・フェラン 13位
2002:クリスチアーノ・ダ・マッタ 13位
2003:スコット・ディクソン 7位
2004:トニー・カナーン 2位
2005:ダン・ウェルドン 優勝(ベスト)
2006:サム・ホーニッシュJr. 4位
2007:ダリオ・フランキッティ 3位
2008:スコット・ディクソン 3位
2009:ダリオ・フランキッティ 2位
2010:ダリオ・フランキッティ 2位
 
●ウィナーの最終ランキング。全員がランキング8位以内
・ウィナー ランキング
1998:アドリアン・フェルナンデス 4位
1999:アドリアン・フェルナンデス 6位
2000:マイケル・アンドレッティ 8位(ワースト)
2001:ケニー・ブラック 2位
2002:ブルーノ・ジュンケイラ 2位
2003:スコット・シャープ 8位(ワースト)
2004:ダン・ウェルドン 2位
2005:ダン・ウェルドン チャンピオン(ベスト)
2006:エリオ・カストロネベス 2位
2007:トニー・カナーン 3位
2008:ダニカ・パトリック 6位
2009:スコット・ディクソン 2位
2010:エリオ・カストロネベス 4位