INDY CAR

武藤英紀、ハンドリングに苦しみ無念のリタイア。次戦へ気持ちを切り替える

<FORMULA DREAM INDY>
<2008 IRLインディカー・シリーズ 第1戦マイアミGAINSCO AUTO INSURANCE INDY 300>
【日程】2008年3月28日〜3月29日
【開催地】アメリカ・フロリダ州マイアミ
【サーキット】ホームステッド・マイアミ・スピードウェイ
【距離】オーバルコース:1.485マイル(2.389km)×200周=300マイル(477.8km)
■■■3月29日 決勝■■■
【天候】晴れ/気温23.8℃
【時間】午後8時15分〜(日本時間30日9時15分〜)
<オープンホイール新時代の幕開け>
 2008シーズンの開幕直前にアメリカン・オープンホイールの世界は12年間に及んだ分裂状態を終え、IRLインディカー・シリーズへの統一がなされた。2シリーズがひとつになったことで参加台数は25台へと一気に増加。スタートを待ってダミー・グリッドにマシンがずらりと並んだシーン、開会セレモニーでファンの前に25名のドライバーたちが一列を作った姿は壮観で、アメリカのトップ・フォーミュラが再び隆盛の時代を迎えることを予感させた。
 
<7番グリッドからのスタートに変更>
 金曜日予選後の車検で予選2位、3位だったマシンに違反が見つかり、それら2台のスターティンググリッドは最後尾まで降格。これにより、武藤の予選順位は9位から7位へとふたつ上がった。強豪ひしめくインディカー・シリーズでの予選7位は実に堂々たるリザルトである。武藤はトップ争いに最初から加わって行くに十分なポジションである4列目イン側グリッドから、200周、300マイルのレースへとスタートすることになった。
<日が沈み、ナイトレースがスタート>
 前日までは雨の天気予報も出ていたフロリダ州マイアミ郊外だったが、雨雲は北に抜け、ふたつのサポートレースはドライコンディションで行われた。コースに乗ったタイヤラバーは流されなかったが、別のサポートレースであるスポーツカーの長距離レースの後とあって、路面コンディションは予選時とはグリップレベルも異なる荒れた状態。レース序盤の走行には慎重さが求められる。午後8時15分、オープンホイール統一後初のインディカー・レースのグリーンフラッグが振り下ろされた。
<レース序盤からハンドリング不調>
 7番グリッドからスタートを切った武藤だが、1周目で11位までポジションを落とした。最初のスタートでは隊列が整わず、次の周にグリーンフラッグが振られたのだが、武藤はもう1周してからのスタートになるものと考えていたからだった。集団の中で武藤はペースを上げることができず、5周目には13位、10周目には18位と後退。予選までは絶好調だったマシンのハンドリングが、タービュランスを浴びての走りではアンダーステア、オーバーステアの両方の症状を呈していたのだ。
<ピットストップでトラブル発生>
 20周目に最初のフルコース・コーションが出され、全車が1回目のピットイン。ここで武藤がピットボックスに止まろうとした時、チーム・ペンスキーのライアン・ブリスコーが飛び出しきて、武藤の進路を塞いだ。危うく接触は避けられたが、武藤は作業を受けることができず、もう1周してからタイヤ交換と燃料補給を行った。ここで装着されたタイヤにはスタート時とは若干異なる空気圧が設定されていた。
<リズムに乗って行こうというところでウォールにヒット>
 24周目に切られたリスタートを武藤はトップと同一周回の最後尾である20位で迎えた。そこからすぐさま3台をパス。タイヤの内圧を変えたマシンはハンドリングが向上したのだ。しかし、32周目にもう1台をオーバーテイクしようとアウトから仕掛けた時、そのマシンが武藤の前へとラインを膨らませてきた。ウイングに当たる風が遮られ急激にグリップを減らしたマシンを武藤は何とかコントロールしようと試みたが、マシンの右サイドがウォールに接触。サスペンションが曲がり、ドライブシャフトがギヤボックスの中へもダメージを与えていたため、武藤の2008年開幕戦はリタイアという悔しい結果となった。
■■■コメント■■■
<武藤英紀>
「レースが終わった瞬間は落ち込みましたが、来週はやりますよ!」
「スタート直後からクルマがすごくふらふらしてペースが上げられませんでした。クルマは前も逃げて、後ろも逃げるような状態でした。いま思えば自分でロールバーやウエイトジャッカーをアジャストすればよかったのかもしれませんが、どう触っていいのかわからないところもありました。僕が走りづらいと思っていたスティントでもチームメイトは速く走っていたので、まだまだ学ぶことがあると思います。20周目のピットインではペンスキーの1台がピットアウトするところと僕がピットインするタイミングが重なってしまい、接触を避けるためにもう1周まわってピットに入り直すことになってしまいました。レギュレーションでは僕がすでにイン側のレーンにいたので優先権があったはずですが、つまらないトラブルで無駄な周回を費やしてしまいました。正直、そこから自分の中で焦りが出てしまったと思います。ピットイン後はマシンバランスも向上し、ここから追い上げられると思っていましたが、気持ちだけが空回りして冷静な走りが出来ていなかったと思います。最後は第4ターンで、前にいたクルマが予想以上にふくらんできて、風を切られる感じでリヤが流れてしまい、なんとか立て直そうとしたらクルマが反対に向いて、マシンの右側を壁にヒットしてしまいました。そんなに強くは当たらなかったんですが、これでサスペンションが壊れレースを終えることになってしまいました。レースが終わった瞬間は気持ちが落ち込みましたが、そのぶん立ち直るのも早かったと思います。落ち込んだままレースをするのはイヤだし、明日はオフを取ってのんびり過ごします。もう気持ちは切り替わっているので大丈夫です。来週のセント・ピーターズバーグではやりますよ」
レイ・ガスリン:レース・エンジニア
「不運がなければ後半には上位へ食い込んでいけたはず」
「1回目のフルコース・コーションでヒデキが自分のピットに止まれなかったのは、彼のミスでも我々チームのミスでもない。ペンスキーのマシンは作業を先に終えていたが、ルールではピットへと入って来る側、つまり我々に優先権があった。停止していなくてはならなかった彼らが飛び出して来て、ヒデキは接触を避けたためにもう1周してからレースに戻った。これでポジションは20番手まで落ちたが、まだレースは序盤で、我々に挽回のチャンスは十分あると考えていた。リスタートが切られるとヒデキはスピードアップし、すぐさま何台かのマシンをパスした。しかし、オーバーテイクしようとしたマシンがアウトへとラインを変えて来たため、我々は進路を塞がれて壁に接触した。レースの後半にはさらにスピードを上げ、上位に食い込んでいけるはずだった。ヒデキがより多くの経験を積み重ねるためにも、今回のレースでは完走を目指していた。リタイアは非常に残念な結果だ。来週の第2戦、セント・ピーターズバーグでは持てる力を発揮して戦いたい」
■決勝結果
1.485マイル(2.389km)×200周=300マイル(477.8km)     出走25台
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順位 No. ドライバー     タイム    平均速度mph (km/h)
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1位  9  S.ディクソン   1:44:03.5914  171.248(275.596)
2位 26  M.アンドレッティ    +0.5828  171.232(275.571)
3位 10  D.ウェルドン      +1.4278  171.208(275.532)
4位  3  H.カストロネベス    +8.0340  171.028(275.242)
5位 20  E.カーペンター     +1 lap  170.282(274.042)
24位 27  武藤英紀       +168 laps  157.867(254.062)
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※全車シャシー:ダラーラ/エンジン:Honda/タイヤ:ファイアストン