Kazuki Saito

チャンプ・カーって呼んで!

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今日はインディ・ジャパンの発表会に行ってきました。1998年から5年間のCART開催を経、インディになって今年で4年目。ツインリンクもてぎで初めてチャンプ・カーが走った1997年から数えると、ちょうど10年目にあたります。そう、もてぎができてから、もう10年になるんですね。
日本初の本格オーバルであるツインリンクもてぎが、CARTの初開催を発表したのは1996年11月でした。1994年からCARTに参戦していたホンダが、この年に初めてチャンピオンを獲得し、マニュファクチャラーズタイトルとルーキーオブザイヤーの3冠を達成。その報告会と一緒に、1998年のCART開催がアナウンスされたのです。
1996年は“インディ・カー・ワールド・シリーズ”だっただけに、当時誰もがインディ・カーと呼んでました。その年からIRLが始まり、CARTのマシンはインディ500を走らなくなったので、厳密に言うとインディ・カーではなかったのですが、シリーズの正式名がそうだっただけに、仕方がありません。
翌1997年、CARTはシリーズ名からインディカーの名前を外し、“CARTワールドシリーズ”となりました。CARTは1950年代に使われていたチャンプカーの名前を復活させ、この年から「チャンプ・カーと呼んでください」と要請されたものの、そう簡単にはいかないですよ。毎年進化こそすれ、昨年とほとんど同じ見慣れたマシンを、いきなりチャンプ・カーと呼べるわけがない。
もてぎもホンダも日本のメディアも、これには大いに困りました。「いよいよ日本で初めて、オーバルで公式戦を開催!」と盛り上げたいところでしたが、「チャンプ・カーってなにそれ?」ですから。「去年までインディカーだったやつ!」なんていってもねぇ。ファンも相当困惑したと思います。
そんなわけで、1997年に初めてツインリンクもてぎを走ったのはチャンプ・カーだったのですが、まだまだ混乱はしていましたよ。8月のオープニングセレモニーでジミー・バッサーがドライブし、11月には各チームを呼んで、本格的なテストを行ったのですが、ほとんどがまだインディ・カーって言ってましたね。あれから10年が経ったとは。