Hiroyuki Saito

2012 HONDA LA MARATHON −フルマラソンに初挑戦 ハリウッドからウェストウッドへ

見覚えのある街が見え始めたところに、何度目かの給水ポイントがありました。ここらでね、ぼちぼちオレンジとかバナナを食べたほうが良いかと思い、それらしいものが配給されている人に近づきました。
 
そこには小さなバケットを持ったボランティアの方がいて、小さいビニール袋に入った“何か”を配っていました。「なんだべ?」と、その中身を覗いてみたらなんと“ビスケット”でね。
 
これは喉が乾いているときには逆効果! と珍しく瞬時に判断でき、その近くで配給していたオレンジやバナナを無事にゲットしました。
 
走りながら食べるっていうのは初めてでしたが、ロジャー安川が言うようにね、それらを食べるとなんか体力が復活する不思議な感覚を、あとから感じることができましたよ。
 
僕らの世代ならほぼ知っている“ファミリーコンピューター”(ファミコン)のゲームソフト、“ドラゴンクエスト”というロールプレイングゲームで、主人公の体力を復活させる魔法の呪文“ホイミ”というのがあります。
 
ゲームですのでもちろん実際に体験することはできませんでしたが、この給水ポイントのオレンジやバナナを食べるとね、なんかその“ホイミ”の効果を体験するような不思議な感じがしましたよ。
 
それからは配給があればできるかぎりそれらのフルーツをいただき、ちょっと復活したなあと思って走っていると、ハリウッドの観光名所、コダック・シアターやグローマンズ・チャイニーズ・シアター付近に到着しました。
 
マラソンコースではダウンタウンからここまで約11マイル(17.6キロ)。経過時間では約1時間45分ですが、チャイナタウンなどを通過してきているので、ドジャー・スタジアムから直接向かえば約7マイル(11.2キロ)くらいでしょうか。
 
車だといつも混んでいるので結構時間がかかるものですが、走れば1時間ちょっとくらいなんだなって思うとね、それほど遠くはないってことがわかりましたよ。
 
そんなことを実感しながら走っていると、あの星条旗を持って走っていたランナーが、歩道側にとまって子供を抱いた女性と話しているのを発見しました。たぶん、奥さんと待ち合わせしていたんでしょうね。さすがに疲れたのか小休憩しているような感じでしたよ。
 
ほのぼのした光景を見送ると、コースはHollywood Blvdからいつの間にかSunset Blvdに変わっていました。すると、ちょっとしてから右手に列車をレストランに改良した“CARNEYS”レストランを発見しました。
 
友達の知り合いのバンドのライブを観にきたとき、このレストランでうまいと評判のホットドッグを食べたなぁ、なんて思い出しながら走っているとね、14マイル(22.4キロ)地点に到着しました。
 
とりあえず、半分以上は走ったんだって思ったんだけど、まだ半分ちかく残っているんだなっていうことにも気づいてね。なんだか足も重くなってきて、うーん、大丈夫かなぁ、なんて思っていたらコースはいつの間にかSanta Monica Blvdへと変わっていました。
 
すると、Doheny Drとの角に見覚えのある“Troubadour”(ライブハウス)が視界に飛び込んできました。
 
渡米して1年目くらいのことですが、日本でよく聞いていたパンクバンドのメンバーがレドンド・ビーチに住んでいて、なんとか連絡を取ることができ、それからちょくちょくライブを一緒に見に行くようになったんです。
 
その友達とね、ベースのメロディが格好良く、二人いるボーカルの掛け合いがとびっきりいかしたバンド“Hot Water Music”っていうハードコアなパンクバンドのライブをこのライブハウスに観にきてね。
 
とても興奮したことを感慨深く思い出していたらなんとか16マイル(25.6キロ)地点を通過。残り10マイルだと思っていると、やはりというか、案の定、足の裏がぴりぴりと痛くなってきたんです。
 
それを防止しようと昨晩から足の裏に貼っておいた“2nd Skin”ですが、右足の裏に貼っていたのは、スタート前の待機中に取れちゃっているし、左足の裏のも走り出してすぐはがれてしまってて。
 
どっちも靴下と足の裏の間をさまよったあと、つま先のほうにとどまっているという残念な状況だったので、これによる防止はできず、残念だなあって思っていたわけです。
 
ただ、冷静に考えると、水ぶくれができてから治すためにはるもんなんだってことにあとから気づいてね。そんな勘違いをしていたんだなっていう自分にも残念でしたよ。
 
まあ、そんなこともありつつ徐々に足取りが重くなり始めてきましたが、心配していた右ひざの痛みはまだありません。右ひざですが、インディカーに参戦していた武藤英紀選手がロサンゼルスに来た際、よくトレーニングに付き合っていたら、海岸沿いの砂利道を走っているときに痛めちゃって。
 
トップアスリートに合わせて無理して走ってたらね、そりゃあ、どこかおかしくなるわって、それ以来久しぶりに走ったり、長い距離を走ると右ひざがうずき始めることが多々あったんですね。
 
今回のマラソンでも痛み始めたらどうしよかと思っていたのですが、今のところ大丈夫でして、その代わり、両足の太腿のね、前の筋肉が痛くなり始めたんです。なんか、はってきたといった感じでしょうか。
 
そして高級ブティックが立ち並ぶRodeo Drを通過し、再びコースがSanta Monica Blvdに戻るとね、確かにきりきりとした痛みを感じるようになってきたのです。
 

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ロジャーが「どうせ30キロ地点を過ぎると足が痛くなってきて走るのが大変になるから、走れるうちにいいペースで走っておいたほうがいいよ」という言葉どおり走ってきたわけですが、いよいよ足が悲鳴をあげる準備をしはじめてきたんですね。
 
それから「メディカル・ステーションがあったらこまめに冷却スプレーで足を冷やしてもらったほうがいいね」という最後のロジャー語録を思い出し、その場所を探します。
 
大概そう思ったときに近くにあって欲しいところって、遠くに感じます。実際には2マイルおきにあるメディカル・ステーションですが、なかなか姿を見せません。やっとあったと思ったのが18マイル地点(約29キロ)でね、シューっとスプレーしてもらうとちょっと楽になりましたよ。
 
それから仕方なくペースを下げるとね、ランナーが次々と僕を追い越していき、遠ざかっていきました。過ぎ去るランナーの後姿を見ていると、なんだか切ないものがありましたが、これもマラソンなんだなって足の痛み同様、しみじみと感じることになりました。
 
なんとか走れているけど、このままじゃあ、いつか足をつりそうだなって思っていると、目の前に空気で膨らまされたオレンジ色の巨大なゲート的なものが現れました。
 
“あれ、もしかしてもうゴールなの?”なんて思っていたら20マイル地点(約32キロ)をあらわすゲートでね。ガクッときたものの表示されていたタイムはなんと3時間を切っていたんです!
 
ということは、あと6マイル(約10キロ)とちょっとだから足さえもてば4時間を切ることができるんじゃねえの? なんて淡い希望が沸いてきたのですが、初めてのフルマラソン、そう、甘いものではありませんでした。
 
インディカー写真
 
次回は、ゴールできるか雲行き(広之)が怪しくなったサンタモニカまでをお伝えします。