Hiroyuki Saito

カナダの日本食レストランにおける和食進化論 −トロント前編−

前回はアメリカ、ウィスコンシン州ミルウォーキーの日本食レストランにおける和食進化論をお伝えしたが、先日インディカー・シリーズのレースがカナダ、オンタリオ州トロントで開催されたので、今回からはアメリカ国境を越え、カナダの地で発見した日本食レストンランについてのレポートをお伝えしたいと思う。
トロントで滞在したホテルはトロント・ピアソン国際空港からわずか5分、ダウンタウンには交通状況にもよるが最短で20分ほどといった非常にアクセスの良い場所にあった。しかもそのホテルにはイタリアンスタイルのカフェ&レストランに深夜まで営業しているバー、そして中華レストランに日本食レストランが1階フロアで営業しており、外出することなく食事もできる条件の良いホテルだった。
到着した日はすでに午後10時をまわっており、残念ながらそれらのレストランの営業はすでに終了していたので場所だけを確認。翌日、ダウンタウンで行われた市街地レースの撮影取材後、ホテルの部屋に戻ってからコースサイドを歩き回ってかいた汗と髪に付着したタイヤのカスや埃をシャワーで洗い流し、いそいそと1階フロアへ向かった。

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行く先はもちろん日本食レストラン。エレベーターからホテル西口方面へ向かい左手の角にあることは昨晩確認済みだ。いざ入り口にたどり着くとエントランスの上部、一枚板の看板には店名となる“銀杏”(GINKO)が右から黒いしっかりとした字で書かれていた。
これまでの経験上、フジヤマ、ゲイシャ、トウキョウなどといった日本をシンプルに連想させる店名のお店はかなりの確立でニュースタイルの和食、そう、進化していることが多い。そういった意味ではこのお店の店名からいまだ経営に日本人が関与しているのではという淡い期待を寄せることができる。
店内に入ると私に気づいた木綿の着物を着たウエイトレスがやってきて最初は英語で「ハロー」と対応してきたが、私が日本人ということがなんとなく分かったようですぐに「お一人ですか?」と話しかけてきた。私も右手の人差し指を上げながら「はい」と答え、「こちらにどうぞ」と入り口のすぐ左手にある席に案内された。
お店の店名も重要なチェックポイントだが、そのお店で日本人が働いているということももちろん大事なポイント。日本人がいるというだけで安心感が増し、料理に対してもその淡い期待はどんどんと色濃くなっていく。もちろん、ウエイター、ウエイトレスが日本人でも料理人が現地の人となると話しは違ってくるが、“和食の味”というのを実際に知っている人がいるだけでその違いは大きい。

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席に座って落ち着くとまず目に飛び込んできたのは純白の生地に朱色の鳳凰が刺繍されたとてもエレガントな着物のディスプレイだった。改めて店内を見渡すと部屋の角には武士の鎧兜やその着物が飾ってある脇には囲炉裏は無いものの天井から鉄瓶をぶら下げてあり、店名とは裏腹に“JAPAN”を主張したディスプレイが目に付いた。それでも店内の全体の雰囲気はシックな感じで悪くはない。
まずは飲み物を注文しようとドリンクメニューを見ると、モルソン、カナディアンといった国内産のビールにキリン、サッポロといった日本からの輸入ビールがあり、ビールの銘柄が表記してある最終行にペール・ピルスナーとオールド・クレディット・アンバー・エールという聞いたことのない2つのビールを発見した。
早速、これらはどこのビールかとウエイトレスに聞いてみると「隣町のミシサガで造っているビールなんですよ」と答えてくれた。日本にもありそうな街名だなと思っていると「ミシサガの水は美味しいということを聞いていますし、私もこのビールは好きなんです」と彼女が追加情報をくれたので、どちらにするか迷ったがまずはペール・ピルスナーを頼むことにした。

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地方では地元のビールを飲むことを楽しみとしているので、このトロントでもその恩恵にありつけたと喜んで待っているとペール・ピルスナーをトレーに乗せてウエイトレスが持ってきた。テーブルにまずグラスを置くとビールを持って「注いでもいいですか?」と親切にいってくれたので、そのサービスの良さに笑顔で「ぜひ、お願いします」と答えたのをきっかけに情報収集を開始。その結果、料理人は日本人であることが判明し、これは料理にも期待できることをこの時点である程度確認した。
ウエイトレスを引き止めてばかりもいられないので一旦区切りをつけ、ペール・ピルスナーを飲む。シャワーを浴びてすっきりとしている私にぴったりのさっぱりとした喉越し、そしてライトで苦すぎない麦芽の味わいにはほんのりとした甘さを感じる爽やかなビールだった。製造元となっている「ミシサガの水が美味しい」といったウエイトレスの言葉にも改めて納得した。
地ビールの美味さに喜びを感じながらメニューを開き、料理の内容を確認する。もちろん最初にチェックするのは私の和食進化論としての判断基準となるトンカツ丼があるのかないのかということだが、このレストランにも「当然、ありますよ」といわんばかりにトンカツ丼が明記されていた。
オーダーを聞きに来たウエイトレスに迷うことなく「トンカツ丼をください」と注文し、ビールを楽しみながら待っていると、黒いトレーに乗せた味噌汁と洒落た器に盛られたトンカツ丼がそっとテーブルに置かれた。私はトンカツ丼に七味をかける習慣があまり無いので必要としないが、トンカツ丼の脇には丁寧に七味まで用意されていた。
今年の初夏に「男の料理塾」という本を購入して料理を本格的に始め、時間があれば味噌汁も昆布、花かつおから出汁をとって作ることにしている。はじめたばかりなのでそれほど味が分かるかといえばそうでもないが、ここで最初に口にした味噌汁はしっかりとした出汁の味を感じた。具に関してはアメリカの日本食レストラン定番の豆腐にワカメだったが、それらはある程度バランスの良いサイズ、量が入っていた。

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前回のミルウォーキーの日本食レストランのようにトンカツ丼の上に沢庵が乗っていないことを確認し、ほっと胸をなでおろしてからいよいよ箸を入れようとした瞬間、卵でとじられたトンカツの上に見覚えのある具を発見。
それはミルウォーキーで食したトンカツ丼のトンカツとご飯の間に挿入されていた“椎茸”だった。トンカツ丼に椎茸というマッチングに対しての免疫はそのときにできてはいるが、まさか表舞台に出ているとは夢にも思っていなかったので少し戸惑いは隠せない。
しかしいざ食べてみると、トンカツの揚げ具合や卵のとじ具合、そして出汁を含んだ玉葱に椎茸といった具材は絶妙にマッチしており、日本で食べるトンカツ丼に限りなく近い食感、味わいに少しだけ驚いた。肉の厚さも厚過ぎでもないし、薄過ぎでもない。トンカツ、そしてご飯の量も変に多いわけでもなくバランスもいい。アメリカ地方の日本食レストランではとじた卵が硬くなっているのが常だが、このトンカツ丼はとじた卵のやわらかさがちゃんと残っていた。
ほんのりとした懐かしさをゆっくり味わいたかったのだが、空腹だったので器の中にあったトンカツ丼はあっという間に胃の中へと納まってしまった。この日本食レストランでのトンカツ丼の進化は日本人が働いていることもあって“椎茸”の混入だけでとどまっていたのは幸いだった。
美味しい地ビールを味わい、そして久しぶりに日本で食するようなトンカツ丼にめぐり合えたことに満足し、チェックをもらって会計を済ませ、親切な対応してくれたウエイトレスに「明日も来ます」というと「このホテルにお住まいですか?」といわれた。言い間違いに気づいたウエイトレスは慌てて「このホテルにお泊りですか?」と言い直したので「はい、そうです」と私は笑顔で答え、再びちょっとした情報相集をしてから席を立った。
地ビール、トンカツ丼も堪能できたが、なによりトロントについて様々な情報提供してくれたウエイトレスとの会話まで楽しむことができたのは何よりの収穫だった。初日は木綿の和服の良く似合うチャーミングなウエイトレスにうしろ髪を惹かれつつお店をあとにした。
次回は二晩目の“GINKO”をお伝えしたいと思う。