Hiroyuki Saito

フランス旅情 −最後の晩餐−

ル・マン24時間の取材を終え、パリのダウンタウンへと向かいました。ル・マンからパリまで渋滞がなければ2時間30分くらいで到着するのでしょうが、中心地に向かう渋滞は想像以上で3時間30分以上はかかったと思います。
中心地は古い建物が立ち並び、しかも道幅は狭い。そんなところへ地方からパリへと向かう高速道路が集結するのですから混むのはしょうがないですね。東京の道路事情と似ているような感じがしました。

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やっと到着したホテルはアメリカで聞きなれた名前のホリデイ・インです。しかし、アメリカの広大な敷地に建っているホテルとはまったく別で、大きなレンガ造りのビルディングの一角にありました。
早速チェックインしたのですが、またこれまでのような狭い部屋だったら嫌だなと思いつつ恐る恐るドアを開けると、そこはさすがダウンタウンのホリデイ・イン。立派な部屋作りで室内も程よく広く、東京のビジネスホテルの高級な感じというか(泊まったこと無いのであくまでイメージです)、ベッドで横になった瞬間になんだかこれまでの疲れがどっと取れるのを感じました。目を閉じるとあっという間に寝てしまいそうだったので、気力を振り絞って夕食に出かけましたよ。
といっても、周りにどのようなレストランがあるのかまったくわかりません。ホテルの人に聞くと、とりあえず歩いて10分くらいの場所に何件かあるというのでその方面へと向かいました。

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太陽が沈み、暗くなりかけたパリの街で探索していると、まず目に付くのが路上に駐車してある車の間隔の狭さです。ほんと、どうやって停めたの? と聞きたくなるくらいゆとりはありません。
するとちょっとしたスペースに車をちょうど駐車しているところを見かけました。その縦列駐車にはびっくりしました。多少、前後の車にぶつかるのはオッケーです。がつんとぶつかるわけではなく、前後の車をやさしく押し出すような感じで切り返しを繰り返し、ちょっとずつ自分の車が停められるスペースを作っていました。
そういった意味でもヨーロッパでは街のサイズに合わせた小型車が多いです。しかもディーゼル・エンジンがほとんどでなぜかマニュアル車。オートマチック車は高級車以外あまり見かけません。
日本のオートマチック車専用運転免許なんてないでしょうね。女性もタバコを吸いながらマニュアル車を小粋に運転していました。そう、タバコを吸っている人も多く見かけました。男性はもちろん、女性もかなり多かったですね。歩きながら普通に吸っていましたよ。喫煙率は日本並みくらいでしょうかね? 

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そんな光景をみつつ、あたりも暗くなり始めたころやっとフランスらしい? オープンカフェ的なレストランを発見しました。日曜日の夜ということもあり、選べるほど多くのお店がオープンしているわけでもありませんので、そのレストランに決め、本場フランス料理とは何ぞやということを確かめる最後のディナータイムがスタートしました。
まずはビールを頼み、料理はなにがお勧めかを聞きます。そこで僕は「フランス料理が食べたい」と、とんちんかんな質問をすると、サッカー選手のロナウジーニョを若くしたようなウエイターが「これぞ本当のフランス料理だよ」と、進めてくれたものを頼みました。
それがこちら。

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いや、料理がどのようなものかは把握していました。でも、もっとこう手の込んだものかなっていう淡い期待はしていたのですが、ただのステーキです。フランス料理の決め手となるソースもありません。
お肉自体はとてもおいしいものでした。フレンチフライも。ただ、なんといえばいいのでしょうか、結局、アメリカとかわらなくね? と、思った次第です。違いを強いて言えばパンがフランスパンだってことくらいですかね。それくらいしか違いが判らなかったのかもしれませんが・・・・。
やはり高級そうなレストランに行かないと僕の思い描くフランス料理(なんか結婚式の披露宴でだされる料理。この考えがまちがっているのか?)にはめぐり合えないのでしょうね。いや、別にそういう堅苦しいレストランにはあまり行きたくはないのですが、そんなフランス料理がふらっと入ったパリのレストランでも食べられるのではと期待していたわけです。

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今回はある意味、身近なレストランで食べられるフランス料理を堪能できたんだと思います。でも、なんか納得できない部分もあるので日本に帰ったらフランス料理という名前のつくお店にいってみなければなりません。アメリカでもいいんですけどね。いや、そこまで食べたいというわけでもないんですけど、フランス料理とはなんぞや、ということを改めて知りたくなった最後の晩餐でした。
2ヶ月に渡ってお伝えしたフランス旅情はこれにて終わりです。多くの話題をお伝えすることができ、ル・マンの取材に行けてよかったなぁと改めて思いましたよ。ネタが無くなったら取材と称して今度はブラジルにでも行ってきます・・・・無理だな。
次回からは再びアメリカでの出来事をお伝えしますよ。