アメリカン・ルマン・シリーズ最終戦
Monterey Sports Car Championship
10月18日(土) アメリカ・カリフォルニア州ラグナセカ・レースウェイ
(フルコース:2.238マイル、約3.6km)
天気 予選日:晴れ/決勝日:晴れ
#10 野田英樹/アンドリュー・プレンデビル(ECO RACING/RADICAL SR10)
<予選>34番手 タイム記録なし
<決勝>32位 ベストタイム1分26秒671(野田)
今季、ヨーロピアン・ルマン・シリーズにフル参戦し、念願だったルマン24時間にも出場した野田英樹。来季の体制を決める前に、アメリカン・ルマン・シリーズ(ALMS)の最終戦参戦のオファーをもらい、今回の出場となった。チームメイトにはインディ・ライツ・シリーズに参戦中のアンドリュー・プレンデビルが起用された。
参戦したチームはECOレーシング。レース界では有名なイアン・ドーソンが代表を務めるチームだ。ドーソン氏はスポーツカー史上初めて、ディーゼル・エンジンを搭載したマシンをレース参戦させたことでも知られている。そのドーソン氏が2004年から開発をはじめた新しい試みの、新たなページを刻む今回のレースに野田が抜擢されたのだ。
この新しい試みとは、レースエンジンではなく、プロダクション・ディーゼルエンジンをベースに50%のバイオ・ディーゼル燃料を使用していること。また、昨今バイオ燃料に関連して問題となっている穀物の高騰だが、今回のバイオ・ディーゼルに使用されているのはジャトロファという中南米原産の落葉低木。食料にはならないので、食品の高騰などへも影響はない。また、森林伐採はせず、燃料生産を目的としたプランテーションで栽培しているため、自然への影響が比較的少ない。そんな「エコ・カー」、しかも量産型のプロダクション・エンジンでレースに出るということがECOレーシングの原点にある。
ドーソン氏は資金面の問題や政治的圧力などにも屈せず、試行錯誤しながらマシンを開発。今年に入ってテストを繰り返し、レース参戦できるパフォーマンスを発揮。そして、今回の参戦へと至った。ドーソン氏は今回の参戦に際し、経験と開発力のあるドライバーが不可欠とし、野田へのオファーを決めた。
参戦クラスはLMP1とスポーツカーではトップカテゴリーだが、性能的にはまだGTクラス並みと分かっていた。だが、史上初のプロダクション・エンジンでレースを完走することが快挙であり、それが今回の目的であった。
今回参戦するアメリカン・ルマン・シリーズの最終戦は、アメリカ・カリフォルニア州モントレーにあるMAZDAラグナセカ・レースウェイ。アメリカでは有名なロードコースのひとつでもある。
木曜日には公式テストデーが設けられ、この日が初走行となった。2時間ある走行枠でマシンに慣れ、かつレースに向けたセッティングを詰めていく予定だったが、チームも予想していなかった事態が起きる。まだ慣らしと動作確認の走行を続けていたチームに対して、シリーズから遅いという理由でテスト中止を勧告されてしまう。チームは抗議したが認められず、わずか20周でガレージにマシンを戻すことになってしまい、これがレースウィークまで後を引く結果になってしまった。
チームはテスト走行後、シリーズから1分30秒を切ることができなければレース参戦を認めないと勧告されていた。そして迎えたフリー走行1回目。第1ドライバーとして野田がマシンに乗り込みコースに出る。そうすると、1周目でいきなり1分29秒台に入れ、第一の関門をクリア。チームはこれに喜んだが、それも束の間。次の周でエキゾーストから白煙が吹き出ているのを確認した野田は、エンジンへの損害を最小限に抑えるため、マシンを止めた。ガレージに戻り、エンジンカバーを開けるとオイル関係のパイプが外れていた。幸いエンジン・ブローなどの大事には至らなかった。
チームは午後に行われたフリー走行直前までにマシンを修復させた。今週に入り、これまで走行した周回数はわずか20周弱。野田はまだ10周も走っていなかった。予選までに残っているのは午後のフリー走行のみ。そして、修復が終わったばかりのマシンに野田が乗り込み、コースに向かおうとした。ガレージから出たところで、エンジンに火をつけ、マシンをスタートさせようとしたが、ギアを入れた瞬間に、クラッチがちゃんと入らず、ギアも入らないことに気がつく。野田がすぐにメカたちに合図をし、マシンが再度ガレージに押し戻された。
クラッチオイルが減っていることがわかり、補充するがすぐになくなる。それはどこかでクラッチオイルが漏れていることを意味していた。チームはパイピングなどを調べたがオイル漏れは確認できず、残すのはクラッチ本体あたりしかなかった。これはエンジンをある程度ばらす必要があり、それには相当な時間がかかってしまう。メカたちは懸命な修復作業を試みたが、フリー走行直後に予定されていた予選までにマシンを修復できず、予選に出場することはできなかった。
レギュレーションでは予選に出場できなかったマシンは決勝への出場が許されていない。だが、チームはオーガナイザーに嘆願をし、翌日の午前中に行われる最終ウォームアップ走行でのパフォーマンスを見てから決勝出場の不可を決めるという判断がくだされた。
これまで10周しか走っていない野田は、その中でもサスのセッティングやジオメトリーの変更を指示した。そして、運命の最終フリー走行を迎えた。マシンに乗り込んだ野田は、エンジン出力が前日ほどなく、最高速が伸びないと無線でチームに伝えた。それでも1分26秒台までタイムを上げることができた。ドライバー交代でピットに戻ってきた野田は、最高速度を上げるため、チームにセッティングを指示。そのセッティングで出て行ったチームメイトのプレンデビルが1分23秒台までタイムを伸ばし、クラス4番手、全体でも15番手のタイムで無事決勝出場の許可がおりた。
決勝を最後尾からスタートした野田は数台を抜き、順位を着実にあげ、レース開始25分後には24番手まで順位をあげていた。だが、GT2クラスのマシンの中に埋もれていた野田はオイル温度の上昇に伴うエンジン出力の低下に苦労していた。それでも完走という目標に向って走っていたが、前を行くマシン2台が接触をしたのを避けるために急ブレーキ。そこで後続が追突されてしまう。それでもどうにか立て直し、走行を続けたが、駆動系に異変を感じ、ピットイン。マシンはガレージに戻り、ドライブシャフトが折れたことが判明した。
完走が目的のチームは懸命に修復を試み、1時間後にマシンをまた復帰させることに成功した。ドライバーはここでプレンデビルに交代。プレンデビルも1分27秒台のアベレージで周回。残り1時間30分のところで再度野田に交代した。野田は1分26秒台のペースで周回していたが、再び駆動系のトラブルに見舞われた。チームはレース終了までの修復は不可能と判断。ここで残念なリタイアとなってしまった。
野田英樹、ドライバー
「開発が目的だったとはいえ、今まで経験したことがないタフな週末でした。木曜日のテストで最後まで走ることさえできれば、レースウィークに入ってからの問題はおこらなかったと思いますし、また違う結果になっていたと思います。このマシンが持つポテンシャルを十分に発揮させてあげられなかったことが悔しいです。チームが一生懸命に準備をしてくれたのに、完走できなかったことが残念です。今後のテストなどでスピードが上がれば、来年はもっと強いチームになると思います。」
イアン・ドーソン、チーム代表兼監督
「決勝日のウォームアップを総合15番手に入れたことはチームにとって励みになりました。英樹は一流のプロフェショナルであり、期待以上の務めを果たしてくれました。今までやって来て、不可解な事をわずか20周しか走ってない彼のフィードバックで理解できるようになった問題点も多々あり、本当に感謝しています。彼のような優秀なドライバー、速いだけではなく、開発力もあるドライバーが参加してくれた事はチームにとって非常にプラスとなりました。プロダクション・ディーゼル・エンジン初の完走を果たせなかったの残念ですが、来年はもっと強くなって再チャレンジできると思っています」