インディカーのイベントとして開催されるのは、2年目のエドモントン。ダウンタウンの北側にあるシティ・センター・エアポートが舞台となる特設コースでのレースですが、レース前の予想どおり、武藤にとって苦戦を強いられるものとなってしまいました。ほんとうは予想が外れてくれることを、祈っていたのですが……。
唯一ひかるものと言えば、予選で今季初の第2ステージに進んだことぐらい。チームメイトのカナーン、アンドレッティ、パトリックがそれぞれ第1ステージで脱落したことを考えると、武藤の意地が感じられるものでした。しかしレースでは跳ねて暴れるマシンを、コントロールするのがやっとの状態。武藤曰く、「激しい振動で視線が定まらず、コースがはっきり見えないくらいの状態」だったそうです。
その武藤のマシン、プライマリータイヤではオーバーステア、レッドタイヤではアンダーステアが酷く、どうしてチームはその中間のマシン・バランスを出してあげることが出来ないのか不思議です。武藤の代わりに、エンジニア関係者に“喝っ!!”を入れたいぐらいですね。
武藤はプライマリー、レッド、レッドの順でタイヤを装着し、後半はラップ・タイムも安定しましたが、レース終盤にウェルドンをパスするのが精一杯。2戦続いたカナダ・ラウンドは、武藤にとって悪夢のようなレースになってしまいました。全体的に見ても、エドモントンのレースは大きな展開も無く、面白みに欠ける大味なものだったと思います。
前戦トロントに続き、トップ・チームのペンスキーとチップ・ガナッシのオンパレードといった感じしか、脳裏に記憶されていません。優勝したパワーはインディカーに移ってきて初優勝達成。ポール・ポジションからスタートして完璧にレースをマネージメントし、優勝をさらっていきました。
彼は前戦トロントでも3位表彰台に入っていますし、特設サーキットでずば抜けた速さを誇っています。特筆すべきは彼のブレーキングの巧さ。ハード・ブレーキングからマシンの向きをさっと変えるドライビングは、見るものを魅了します。
しかし考えてみてください。パワーはペンスキーのバックアップ・ドライバーです。ご存知のとおり、ペンスキーは今年のはじめにカストロネベスが裁判で有罪になった場合にとパワーを起用したのですが、カストロネベスが無罪放免になったためにシートが無くなってしまったドライバーです。
もちろんペンスキーもただのリザーブ・ドライバーとして扱っているわけではないのですが、出場したのは第1戦セント・ピータースバーグ、第2戦ロング・ビーチ、第4戦インディ500、そして久しぶりに参戦したのが前戦の第10戦トロント。今回のエドモントンでレギュラー・ドライバー達は、パート・タイム・ドライバーに負けてしまったのです。しかもあっさりと。情けない。少々愚痴っぽくなってきたので、嫌な思い出のカナダ・ラウンドは忘れることにしましょう。
約3日間の休息を日本食の美味しいLAでノンビリと過ごし、いざ第12戦ケンタッキーへと乗り込んだわけですが、エドモントン前に日本に一時帰国し、久しぶりに高温多湿を満喫しながら仕事をしていたところ、机の下に落としてしまったUSBメモリーを拾おうとした時に腰から“グキッ”という異音が発生!
生まれて3度目のギックリ腰で、自身のサスペンション周りがトラぶってしまい、今回は飛行機に乗るのが苦痛です。ホテルのベッドが柔らかすぎて鈍痛、レンタカーの運転が辛痛という三重苦で、気分はSo Bad!! 今回はなんと立っているのが一番楽で、歩くことにも支障がないから回りに迷惑を掛けることはないのですが、痛みで夜はよく眠れないことが唯一の悩みです。
普段の運動不足を恨む自分自身ですが、いつもどこか痛いので運動が出来ないのですよ。言い訳ではありません。そんな身体に鞭を打ちながら、LAからシカゴ経由でシンシナティへ。LAを午前11時に飛び立ったのに、シンシナティ着は午後11時過ぎ。アメリカはでか過ぎます。今一番欲しいものは? と聞かれたら、間違いなく「どこでもドア」と答えるでしょうね。22世紀までは生きられないでしょうけど。
くだらない話はこれくらいにしておいて、痛みを堪えながら無事シンシナティ空港近くのホテルに到着することになりました。雨模様で明日の天候を心配していたものの、固めのベッドに救われて久しぶりに熟睡できたので一安心。あとは明日から始まる久しぶりの1.5マイルスーパー・スピードウェイで、武藤が活躍することを祈るばかりでした。
ケンタッキー・スピードウェイはIPS(現Indy Lights)で走っていた2007年に優勝、昨年はインディカーで予選4番手と、武藤が得意とするスピードウェイですからテンションが上がります。昨年はピット・タイミングの不運やマシン・トラブルによって結果を残すことができませんでしたが、ここケンタッキーでは必ず武藤らしい走りを見せてくれると期待しておりました。
がしかしです。翌朝は雨が上がっていたものの、コースに到着するやいなやスコールが襲来。通りすがりの雨と高をくくっていたら、待てど暮らせど何のスケジュールも始まりません。スコール後に太陽が出てコース上は完全に乾いているように見えたのですが、ターン3からターン4にかけて地下水が染み出してしまう事態になってしまったのです。
昨年もてぎでもこのような事態が発生したのですが、これまで降り続いた雨により、土壌に染み込んだ水がオーバー・フローしてしまったという状態ですね。何度となくタイム・テーブルが改定され、オフィシャルはスケジュールを進行させようとしたのですが、その努力も実らず午後8時30分過ぎに、1日目のスケジュールが予選も含め全てキャンセルされることになってしまいました。
インディカーの規定で武藤の決勝スターティング・グリッドは、現在のポイント・ランキングである11番手に決定してしまい、今年のケンタッキー戦は何やら暗雲立ち込める感じに。武藤もこのウェイティング状態にはかなりイライラしていたようですし、予選を走れなかったことが相当悔しかったようです。
主催者側はどうにかスケジュールを進行させたいために、ギリギリまで引っ張るのに対して、ドライバーや我々メディアなどは駄目なら駄目で早く結論を出して欲しいという、双方のせめぎ合いがあるので難しい問題です。一番の被害者はスピードウェイに集まってくれた、ファンの人達であることを忘れてはいけません。何の情報もなく右往左往しているのですからね。本当にごめんなさい。
その夜は即行でホテル近くの日本食レストランに駆け込んで、どうにか夕食にありつけたので少々不満も解消されました。しかし武藤はスピードウェイ内のモーターホームに寝泊りしているので、同行を断念することになり、私としては申し訳ないという気分でもありました。武藤の好物、親子丼美味しかったー。ゴメンネ武藤。
そして決勝レース当日、ようやく午後4時過ぎから始まった練習走行。今回から採用されることになったプッシュ・トゥー・パス・ボタン(オーバーテイクボタン)と新しいエアロパッケージ(タイヤランプやホイール内側のカバーなど)を初めて試すことになったのですが、武藤のマシンはその新しいデバイスを試すどころか、予想外のマシン・バランスの悪さに悪戦苦闘することになってしまいました。
1時間15分設けられた練習走行で、サスペンション回りの調整を何度となく加えられた武藤のマシンは、ハンドリングが徐々に改善されていくもののまったくスピードが伸びない状態。アクセルをフラット・アウトしていても、トップ・グループに0.3秒弱遅れを取ってしまうことに。このセッション参加23台中15番手という結果になり、武藤をはじめチーム・スタッフ全員が顔面蒼白でした。
新しいデバイス(プッシュ・トゥー・パス・ボタン)も数回使用してみたらしいのですが、マシン・バランスが悪すぎてその効果を味わうこともできなかったようです。2 Dayイベントならまだ改善の余地があったのかもしれませんが、決勝レースは約3時間後にスタート。事態は深刻です。
迎えた決勝レース。ダミーグリッド上で武藤とルーティンの挨拶を交わした時に、何か開き直った落ち着きを感じ、「やってくれるかも」と儚い期待を持ちましたが、レースはそんな簡単なものではないということを、改めて思い知らされることになってしまいました。
私は武藤のピットに張り付き、スタートからフィニッシュまでエンジニアのテレメトリー・モニターを見ていたのですが、武藤のアクセルは常にフラット・アウト状態。しかしトップとのラップ・タイム差は1周当たり0.3秒弱で、プッシュ・トゥー・パス・ボタンを使用してもトップ・スピードは変わらず。
ライン取りを変えたりして、どうにか打開策を見つけ出そうという努力が見えますが、原因不明のスピード不足は200周にわたって変わることはありませんでした。武藤を擁護するわけではありませんが、よくラップ・ダウンせずに200周を走りきったというのが正直な気持ちです。
シャシーに個体差があることは承知していますが、ここまでスピードが遅いと成す術が無いといった感じ。インディ500で急遽カナーンが武藤のマシンに乗り換えたように、武藤も思い切ってマシンを換えるという対策が必要かもしれません。次のオーバルとなるシカゴは、もてぎ前の最後のオーバル・レースですし。
レース終盤はブリスコーとカーペンターの一騎打ち。プッシュ・トゥー・パス・ボタンの恩恵を受けながらのバトルは、久しぶりに白熱したものでした。本音はブリスコーと武藤のバトルを見たかった……。
次戦はテストでペンスキーやチップ・ガナッシよりも好タイムを出しているミド‐オハイオ。久しぶりに武藤の弾ける走りが見られるかもしれませんよ。