Nobuyuki Arai's

伝統の“グレン”を制したライアン・ハンター-レイとボビー・レイホールの関係

画像 終盤にトップが次々と入れ替わる劇的な展開を見せたワトキンスグレン。そのレースを制したのはライアン・ハンター-レイでした。“眠れる大器”と“名門復活”を印象付けた優勝は、シリーズ終盤戦を大いにかき回してくれそうです。

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 今年のワトキンス・グレンは、およそロード・コース戦とは思えない展開となりました。スタートから続いたライアン・ブリスコーとスコット・ディクソンの一騎打ちは、イエロー・コーション中にスピンを喫するというディクソンが“失態”に、直後につけていたブリスコーが巻き込まれ、あえなく終焉。代わってトップに立ったのが、ピット・ストップのタイミングがぴたりと的中したダレン・マニング。悲願の初優勝を視界に捉えたかと思ったのもつかの間、それを妨げたのがハンター-レイでした。残り9周からのリスタート。ストレートでしっかりマニングの背後につくと、ターン1進入でインを突き鮮やかにパッシングし、勝負を決めました。レース後、ビクトリーレーンでチームオーナーのボビー・レイホールとがっちり握手をした光景は非常に印象的でしたね。なぜなら、ふたりにとってこの優勝が、長らく低迷していたキャリアを打破するものになったからです。

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 テキサス州ダラス出身のハンター-レイは、レーシングカートでナショナル・チャンピオンに輝いて一気に注目を集め、その後スキップ・バーバー、バーバー・ダッジ・プロ・シリーズといった入門カテゴリーを駆け上がり、2002年にはロジャー安川のチームメイトとしてフォーミュラ・アトランティックに参戦。3勝を挙げ“ライジング・スター・アワード”を受賞し、翌年からチャンプカーに上り詰め、そのキャリアを順調にステップアップさせていったのです。初年度は戦闘力の劣るレイナード・シャシーに苦戦したものの、第18戦サーファーズパラダイスで見事初優勝し、翌2004年のミルウォーキーでは全周リードラップを奪うシリーズレコードで2勝目をマーク。当時のチャンプカーにはアメリカ人ドライバーが少なかったことから、期待のドライバーとして大きな注目を集めていたのです。しかし、パーソナル・スポンサーを持っていなかったハンター-レイは翌年には移籍先を探さざるを得ず、結局ロケットスポーツに移籍できたものの、現在トヨタF1のティモ・グロッグのナンバー2という地位に甘んじなければならなかったのです。走らないマシンに戦績は挙がらず、終盤の2戦は“スポンサー持ち込みドライバー”にシートを明け渡すことになり、チャンプカーでのキャリアは事実上終了してしまったのです。その後はA1グランプリやデイトナ24時間などに参戦したもののレギュラー・ドライバーのシートを得ることはできず、このまま埋もれていってしまうのではと思われていました。そんな不遇の時を過ごしていたハンター-レイの肩を叩いたのが、レイホールだったのです。

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 レイホールも、2004年にバディ・ライスがインディ500を制し、手塩に育ててきたダニカ・パトリックを2005年からインディカーに昇格させ全米中の注目を集めることに成功するなど、当時は“ビッグ3”と並ぶシリーズを代表するチームと見られていました。しかし2006年にはパノスシャシーの戦闘力不足もあり大不振に陥り、同年限りでダニカはチームを離脱。同じ年には、エタノールのスポンサーを持ち込んだポール・ダナが開幕戦ホームステッドで不慮の死を遂げた事故も起こるなど、チームは完全に下降線を辿って行ったのです。2007年にはジェフ・シモンズを擁して参戦したものの、実力不足が露呈し、戦績はパッとせず。ここで、レイホールは不遇の時を過ごしていたハンター-レイにチームの再建を託したのです。走りに飢えていた実力派若手アメリカ人ドライバーと、名門再建を目指すレイホールのコンビネーションは、デビュー戦のミドオハイオでいきなり7位フィニッシュする鮮烈でビューを果たし実力を見せ付けたのです。迎えた今シーズンは1カー体制も何のその、開幕戦からビッグ3に劣らない走りを見せ、特にテキサスでは最後にマルコ・アンドレッティと接触するまでは優勝も十分ありえた素晴らしいパフォーマンス。ドライバーのスピード、チームの戦闘力ともに優勝を狙えるほどまでに成長していたのです。そして先週のワトキンスグレンで、ついに優勝の二文字を手繰り寄せたのです。

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「夢がかなったよ!」とレース後に語ったハンター-レイ。「ボビーが僕にチャンスをくれて、そして今僕らはビクトリーレーンにいる。どんなに幸せか表現できないくらいだよ!」。レイホールとがっちり握手を交わしたシーンは感動的でしたね。レイホール自身も、「このシリーズは競争力がものすごく激しい。自分が信じた正しいドライバーをシートに乗せることが重要なんだ。ライアンはまさにそういうドライバーだ」とハンター-レイの走りを絶賛。記者会見でのレイホールは、うれしいというのよりも、安心したという表現を見せていました。最後に優勝した2004年ミシガン以来、チームに起こったさまざまなことを思い出していたのでしょう。レイホール-レターマン・レーシングにとってはもちろん大きな優勝になりましたが、シリーズ全体にとってもハンター-レイの優勝はビッグ・インパクトとなったことは間違いありません。ダニカに続き、今季ふたり目となるアメリカ人ドライバーのオーバルでの優勝は、アメリカ人ファンにとって非常にうれしい結果でしょうし、第2戦セント-ピータースバーグでのグラハム・レイホール(ニューマン・ハース・ラニガン)に続くビッグ3以外のチームの優勝は、シリーズがよりコンペティティブになっている証拠ともいえます。今後も、ビッグ3を大いにかき回し、優勝争いをしていってほしいですね。それができるだけの戦闘力は十分あると思わせた、ワトキンスグレンでの優勝でした。