Hiroyuki Saito

Period

アメリカでの取材や生活をとおして、僕が体験した様々な出来事をお伝えしてきたFrom US。突然ではありますが、みなさんにお伝えしなければならないことがあります。実は先週末にフォンタナで行われたインディカー最終戦で、僕自身の14年間のアメリカン・モータースポーツの取材撮影に終止符を打ち、地元に帰ることにしました。
 

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これで俺のアメリカでの取材撮影も終わるのかと思うと、いつものように10月中旬くらいまでレースがあればよかったなって思うのですが、今年は残暑が厳しい9月の半ばで終了。ここ数年はこの頃がインディジャパンで、最終戦がアメリカというパターンだったから、もう少しあってもよかったなって思う半面、まあ、最後なんてね、こんなもんかなって感じるところでもあります。
 
実は2〜3年前から帰国のことは考え始めてはいました。それに加え、昨年地元を襲った東日本大震災。地元に対する思いは募っていきました。さらに今シーズンは写真の仕事も激減。いろいろな状況が重なり、シーズン当初からもう今年で最後だなって決めてはいたし、アニキにもね、ちゃんと話してはいましたよ。
 

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US RACINGのUSTREAMをご覧になっていただいている方々ならご存知かもしれませんが、US RACING自体の運営も今シーズン当初はインディ500までのはずでした。ところがそのインディ500で佐藤琢磨選手が優勝目前までいき、日本人初優勝はもはや時間の問題だってことで急遽計画を変更。やれるだけやってみようということで、なんとかシーズンが終るまでお伝えすることができました。
 
いざ終わってみると、この14年間はほんとあっという間でしたね。突っ走ってきた、いや、駆け足ぐらいだったかもしれないけど、なんとか止まらずにやってこられたとは思っています。
 
思い起こせば、まだアメリカのことについてまったく右も左も分からなかった渡米当初。アニキに連れられて1999年フロリダ州ホームステッドで行われたCARTシリーズの開幕戦から取材撮影を始めました。
 
あの時は何をしていいのかもわからず、一眼レフカメラ(まだ35mmフィルム)とレンズのセットを2組、そしてショルダーバックに入れた500mmレンズを肩からぶら下げて、ただただアニキについていきましたね。英語もまったくしゃべれず(今もそれ程変わらない?)、話しかけられても作り笑いをするしかなかったような気がしますが、相槌を打つ名人にはなれましたよ!?
 
そんなホームステッドからレースの取材に行った回数を数えてみると、CART(CCWS)が112戦、IRL(インディカー)が最多の170戦、NASCARやALMSなどのその他レースが53戦、合計なんと348戦ものレース取材撮影をしたことになりました。年間平均レース取材数は24.8戦、最多取材年は2007年の33戦(IPSに武藤選手が参戦していた)、最少取材年はなんと今シーズンの16戦(ALMS+1戦)でした。
 
こんなにもアメリカ各地で取材をしてきたものですから、間違いなく一般のアメリカ人よりもアメリカ国内のいろんな街にいっているはずです。それどころか、アメリカの隣国カナダ、メキシコをはじめ、南半球はブラジル、オーストラリア、それにヨーロッパではイギリス、ドイツ、フランス、スイスといろんな国にも取材へと行きました。
 
そういう意味でもね、まあ、仕事は大変でしたが、日本にいたら経験のできないことをさせてもらいましたよ。なんでね、各地でのいろいろな出来事を、少しでもUS RACINGをご覧になっていただいている方々にお伝えしようと始めたのが、このfrom USのコーナーでした。
 
2006年から始めたのですが、まあ、ほんと様々なことがありましたね。リッチモンドではホテルに帰る途中、運転していたら鹿が飛び出してきたり(Oh Deer!!)、ナッシュビルではコースサイドの仮設トイレで雨宿りしたり(Stuck in the Restrooms)、カンザスでは半端なくでかいリブステーキを食べたりね(ビックリブ)。
 
それからヒューストンの空港で購入したプレゼントを機内に忘れてきたり(うっかり広兵衛)、インディアナポリスでは、パレードの取材帰りにおもちゃのゴールドメダルをもらったり(ゴールドメダリスト)、アメリカの地元トーランスでは、ハロウィンで初めてパンプキン・カービングを経験したり(パンプキン・カービング)、お菓子を用意していたのにキッズがひとりも来なかったり・・・・・・(Trick or Treat)。
 
シリーズものも結構ありました。“ま、いっかー?!”は、僕が初めてアメリカで購入した愛車、1992年型のビュイック・ロードマスターにまつわるドタバタ劇。ミルウォーキーの日本食レストランから始まった“アメリカの日本食レストランにおける和食進化論”、そして“カナダの日本食レストランにおける和食進化論”ではトロントとエドモントンをご紹介しました。
 
オート・ショーの取材もお伝えしましたね。デトロイト・ショーでは、初めて電動自動車(三菱のiMiEV)に乗ったり(電動自動車初試乗)、個人的には気に入っているキャラクターで“オーット斉藤”のお伝えする“LAオーット・ショー!!!”や、セマ・ショー(2009 SEMA SHOW)に東京オートサロン(東京オートサロン)にも行かせてもらいました。
 
そんな旅先での出来事を数々の旅情シリーズとしてもお伝えしました。初めてル・マン24時間の取材で行った“フランス旅情”から始まり、人の優しさ、温かみにふれた“オーストラリア旅情”、逆に財布をすられたが運よく戻ってきた“スイス旅情”。
 
やはり田舎もんなんだなって実感し、あえて宮城弁でお伝えした“ニューヨーク旅情”、トロントのレース後にちょろっと寄ってみた“ナイアガラ旅情”、10年ぶりのブラジルでは、初めてサンパウロの東洋人街を探索することができた“ブラジル旅情”。そして旅情シリーズ最長編となったフロリダでの“キーウエスト旅情”を最後に、これまで様々なところをお伝えできました。
 
個人的なことでしたが、もし、今後フルマラソンを走ってみたいという人の参考になればと、LAマラソン(2012 HONDA LA MARATHON)に参加したときの僕なりの経験をお伝えしました。最近ではアイオワ(アイオワでみつけたコーンなお酒)やトロント(The Beer Store)で見つけた地ビールのことなどもお伝えしましたね。
 
今回のを含めるとこの6年間でね、なんと237話も書いたんですよ! 自分でもびっくりです。でもね、いろいろとお伝えしてはきたのですが、結局のところfrom USの最終形といえば、やはり、前回お伝えした“時すでにお寿司”かなと、個人的には思っています。最後に実に僕らしいストーリーをお伝えできたのではと。そういう意味ではひとしきりやりきった感がありますよ。
 

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ただ、残念なのはやはりメインのレース取材でね、日本人選手の優勝する姿をこの手で撮影できなかったことではあります。僕の思いはアニキ(まだ行けるかどうか解りませんが)や、来年も琢磨選手が参戦してくれれば、琢磨選手を長年撮影取材している松本浩明さんに託すことになりますが、優勝するチャンスは今年の感じからして十分にあると思います。お願いしますよー!
 
僕がお伝えするfrom US、そしてレースのフォト・レポートに関しては最後となりましたが、これまでご覧になっていただいたみなさん、本当にありがとうございました。みなさんの存在がね、僕がこの仕事を続ける原動力になっていたのは確かです。
 

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また、現場で出会えた素敵な仲間に支えられ、ここまでがんばって取材することができたと思っています。関係者の方々、そしてこの仕事で会うことができたすべての方々にも、この場を借りてお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。
 

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最後にカメラマンとしての技術はもちろん、その姿勢やあり方を教えてくれて、これまでの貴重な経験をさせてくれたアニキにね、まともには言い辛いのでこの場で感謝の気持ちを伝えられればなと・・・・・・あんちゃん、ありがとね!
 
これからもUS RACINGを続けられるよう、アニキががんばっていきますので、ご覧になっているみなさん、今後も応援をどうぞよろしくお願い致します!
 

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また、いつかどこかでお会いできる日まで、お元気で!