Kazuki Saito's

“チャンプ・カー北の国へ” 日本初・公道グランプリ開催への道! 第23歩>>現存する日本最古の線路

かつては扮装で盛り上げた木下さん
チャンプカー開催時の演出にも期待!?
 小樽交通記念館を設立するにあたり、北海道小樽グランプリ推進協議会の理事長、木下 修さんら青年会議所は“義経としづかの再会”(1980年)でできた基金を元に90年以上も前の蒸気機関車“アイアンホース号”をアメリカから輸入した。交通記念館の前身だった北海道鉄記念館は、1880年の鉄道開業時に手宮駅があった場所で、明治期に作られた機関車庫や転車台などが残っている(前号の写真参照)。そこに当時の蒸気機関車を走らせ、当時の鉄道の様子を実物で再現。だからこそ義経号やしづか号と同じ、ポーター社製にこだわった。
 “北海道鉄道開通基点”のある手宮は、まさに北海道の鉄道の発祥地であり、1880年の開業時にここから札幌まで開通。しかし1985年をもって、手宮から南小樽駅までの手宮線は廃線となっていた。「残念ながら線路は使われなくなりましたが、その歴史は後世に残さなければなりません」と考えていた木下さんらは、交通記念館のオープン時に様々なイベントも企画する。わざわざ人力車を小樽から札幌まで引いていき、木下さんが北海道開拓の長官だった黒田清隆に扮装。北海道庁にアメリカ人鉄道技師のジョセフ・ユリー・クロフォードを迎えに行くという、粋な演出を行った。
 「鉄道は北海道開拓の原点であり、小樽の開拓の原点でもあると思うんです」と語る木下さん。青年会議所の任期を終えた後は“北海道開拓鉄道協議会”を立ち上げ、手宮線の有効利用を考える“小樽まちづくり協議会”に参加。トロッコを走らせるなどして、現存する日本最古の線路をアピールした。「日本初の路線である新橋−横浜間や、2番目に開通した大阪−神戸間は、すでに高架となっています。こっちは3番目ですが、オリジナルの線路がそのまま残っているという意味で、その価値はとても高いんですよ」と木下さんは熱く語る。
 鉄道や運河の浄化を通じて、積極的に街づくりを推進してきた木下さん。そこにはいつも気の合う仲間がいた。北海道小樽グランプリ推進協議会で木下さんの右腕ともいえる存在、荒澤之博さんもその一人だった。

筆者近況
今度の小樽訪問の楽しみは、なんといっても日本最大の客船である飛鳥?が小樽に来ることです。当日は見学できるということなので、いったいどんな風に客船から見えるのか、この目で確かめることができます。全長が240メートルもある船ですから、埠頭に停泊したその光景も、ハンパじゃないでしょうね。ちなみに客船での船旅は時差にならないそうで、一度はクルーズしてみたい! と思う今日この頃。
(オートスポーツ誌 2006年4月6日号に掲載)