Kazuki Saito's

“チャンプ・カー北の国へ” 日本初・公道グランプリ開催への道! 第22歩>>スクラップ・アンド・ビルドから免れた街

チャンプカーと同い年のSLが走った!
小樽の歴史を伝える数々の試み
 北海道鉄道開通100年の記念行事に携わり、小樽の偉大な鉄道の歴史に触れた北海道小樽グランプリ推進協議会理事長の木下 修さんは、以降も積極的に街づくりへ関わるようになった。青年会議所は現存する貴重な歴史的建造物に着目し、“歩こう、見よう、ふるさとへのみち”をテーマにしたスタンプ・ラリーを運営。夏はライト・アップした建物の下でサマー・フェスティバルを開催し、コンサートなどを企画する。
 かつて小樽が北海道経済の中心であった頃、明治の終わりから昭和初期にかけて造られた建物が、小樽にはまだ残っていた。旧日本郵船小樽支店を筆頭に、旧日本銀行や旧三井銀行などは日本の近代建築史を語る上で極めて貴重な存在であり、当時の最先端ともいえる技術と巨費を惜しみなく投入。幸か不幸か、その後経済の中心が札幌へと移ったため、スクラップ・アンド・ビルドから免れていたのだ。
 「鉄道以外にも小樽は様々な歴史的遺産をもっていたんですが、当時はほとんど使われていなくて、放置されたり閉鎖されたりしてたんです。そこを開放してもらって中を見学できるようにし、それぞれの特徴的なスタンプを設置して、街を巡るオリエンテーリングにしました。多いときは3000人が参加したぐらい、たくさんの人に小樽の歴史的価値を解ってもらえたと思います」と木下さんは振り返る。
 やがて青年会議所は再び鉄道に注目。小樽市手宮の鉄道記念館に“北海道鉄道開通起点”を示す0マイル・ポイントがあり、ここを出発点とする公園“0マイル・パーク構想”をぶちあげて総合的な交通記念館にする事業が立ち上がる。木下さんはその推進委員長に抜擢され、プロジェクトの牽引役として奮闘。1996年4月より小樽交通記念館として再スタートしたそこには、義経号やしづか号と同じアメリカのポーター社製蒸気機関車があった。なんとチャンプ・カーの初年度と同じ1909年製で、未だ現役のSLは真っ白な煙をもくもくと上げ、北海道鉄道発祥の地を駆け回ったのだ。

筆者近況
先週は財務省(北海道財務局 小樽出張所)や北海道開発局、小樽市港湾部などを訪問し、経過報告と今後についてのお話をしてきました。日曜日(12日)は小樽グランプリの発案者である“みちとくらしと未来のネットワーク”のシンポジウムに行ってきたのですが、この1年をうまくまとめて報告してもらい、多くの方から好評を得ることができました。ぜひこのときの映像を見て欲しいと思うのですが・・・・・・。
(オートスポーツ誌 2006年3月30日号に掲載)