「マカオの雰囲気は小樽によく似ている」
普通の道でも安全性はクリアできるんだ
2002年6月、北海道みちとくらしと未来のネットワーク第2回委員会で提案され、多くの賛同を得た小樽グランプリ。委員会は早速、アジア最大の公道レースが行われている11月のマカオに飛んだ。
香港から西に約60キロ、フェリーで1時間ほどの場所にあるマカオは、1999年にポルトガルから中国に返還されたばかりだった。中国大陸でありながらヨーロッパの歴史的な街並みが混在し、リゾート地としてカジノ産業で栄え、人口は約46万人を数える。
このマカオで1954年に始まり、50回以上も開催されてきた伝統の一戦、それがマカオ・グランプリだ。F1への登竜門ともいうべきF3のレースで、アイルトン・セナやミハエル・シューマッハー、最近では佐藤琢磨といった数多くのスターを輩出したことでも知られている。
第49回目の開催を迎えたこの年、小樽グランプリの提案者である長谷川 岳さんと、同じく委員を務める玉木正之さん、それに北海道テレビのスタッフが加わった視察団は、マカオの街とその公道がどうやってレース・コースに変貌しているかを細かく見てまわった。
長年に渡り、数々の名勝負が繰り広げられてきた“ギア・サーキット”は 1周6.2キロで、街中に仮設されている。アップ・ダウンも多く、「小樽にとてもよく似ている」と長谷川さんはその第一印象を語った。
「これが一般の皆さんが使っている道で、隣には海がある。何をイメージするかと言えば、小樽運河の前の道ですよね。あそこでチェッカーフラッグを振れれば最高です! (マカオは)そういう事が現にできていて、思ったよりも普通の道を特別に整備しているというわけではなくて、警備とセーフティという問題だけをきちっとクリアすれば、最初の一歩というのは踏み出せるんじゃないかという気がします」と長谷川さんは北海道みちとくらしと未来のネットワークのテレビ番組、“南平岸・道未来”(毎週土曜日午前6時45分から放映)の中でコメント。
マカオの街中を疾走するレーシング・カー、その光景を初めて目の当たりにした視察団は、小樽でも決してできない事ではないと実感したのである。
筆者近況
10月14日にJAFを訪問し、コースとカレンダーの申請をするための手順を聞いた後、ロサンゼルスへ。IRLの最終戦を取材し、ホンダやブリヂストンの方々にも小樽の進行状況を説明させていただいく。月曜日にLAを出発して火曜日に成田到着、翌日は東京モーターショーのプレス・デーを取材し、オートスポーツ編集長に現状を説明した後、フォード広報にもご挨拶。木曜はリニューアルした小樽グランプリのウエブサイト(otaru-gp.com)を最終チェックし、夜の飛行機でチャンプ・カー第12戦オーストラリアへ。
(オートスポーツ誌 2005年11月10日号に掲載)