そもそも道路は市民のものじゃないか
祭りがOKならレースだってできるんだ
「公園や道路は、いったい誰のものだろう」
1992年に始まり、今年14回目の開催を迎えた“YOSAKOIソーラン祭り”。だがそのスタートは苦難の連続で、「道や公園の使用許可を得る闘いの歴史だった」と長谷川 岳さんは委員会で切り出した。2002年6月14日に行われた“北海道みちとくらしと未来のネットワーク”、第二回委員会でのことである。
このときに長谷川さんが初めて小樽グランプリを提案したのだが、現在もウエブサイトに掲載されている議事録(2002年度第二回委員会でキーワード検索が可能)から、まずは長谷川さんの実体験に基づいた興味深いコメントから紹介したい。
「(使用許可の)申請が難航していたときに、いったい公園や道路は誰のものなのかという根底的な問いかけがおこりました。制度上はどこかの役所が管轄して、使用許可権限をもっていたとしても、それは根本的には市民のものではないか。我々のものではないかと。役所の担当者は道路を学生に使わせてやるという意識を持ちがちであるが、そもそも自分たちが持っていたものの管理を委託しただけではないか。従って、我々は必要とする時にはその場所を確保する理由がきちんとしていれば許されるし、許されるような動きを作らなくてはならない」
長谷川さんがYOSAKOIを発案するきっかけとなったのは、高知のよさこい祭りを体験したことに始まる。このような大規模の祭りは日本各地の公道を使って行われているが、いくら同じような前例があるからといっても、無から有を生み出すことは並大抵のことではなかった。
さまざまな困難を乗り越えた末に、YOSAKOIソーラン祭りを軌道に乗せることができた長谷川さんは、次に「F1グランプリを小樽に誘致しよう」と続けた。札幌在住のF1フォトグラファー、澤田賢志さんとの出会いを紹介し、海と山に囲まれたモナコと小樽がとてもよく似ていると説明。「モナコと同じように小樽の公道でグランプリをしたい」、とぶち上げたのである。
つづく
筆者近況
10月8日、ケビン・カルコーベンのプライベート・ジェットに初めて乗せてもらい、一緒に小樽へ。カルコーベンから「チケットはもったか?」と聞かれて一瞬うろたえるものの、当然そんなものは必要なく、荷物検査もいっさい無し。ウン10億といわれるガルフストリームの最新型は極めて快適で、着陸の際は操縦席の真後ろに座らせてもらって感動したという。小樽のシンポジウムには約100人の市民が参加し、筆者はチャンプ・カー・ワールド・シリーズのストリート・コースの安全性と、開催地域にもたらす経済効果をテーマに熱弁をふるった。
(オートスポーツ誌 2005年10月27日号に掲載)