[ブルーオーバルの刺客 -インディカー(もてぎ10周年)-]
「そろそろ勝つよね?」こんなファンの声が聞こえはじめた2001年。ここ数年最強状態だったホンダエンジンが、不思議なことに地元もてぎでは3連敗。今回は予選上位4台をホンダ勢(H.カストロネベス→D.フランキッティ→G.ド.フェラン→T.カナーン)が占め、必勝態勢で臨んでいるのがスタンドにまで伝わってくるようでした。5位にトヨタのB.ジュンケイラが入り仕上がり上々。いずれにしてもどちらかの地元勝利を観られるだろうと思ったものです。
この頃のCARTはエンジン、車体、ドライバー、いずれもハイレベルな競争が繰りひろげられていました。特にエンジンはパワー、重量、燃費、作戦が高度にバランスしなければ勝てない、「エンジンがどうだったか」がよく話題にのぼるレースでした。ホンダの強さ、トヨタの伸びもさることながら、印象的だったのはフォードの老獪さ。長年世界中のレースで活躍しているフォード・コスワースはF1やルマン、WRCなどで最強最速を経験した日本勢をうならせるに十分なポテンシャルを持っていたのでした。
さてこの年優勝をさらったのは、国籍(スウェーデン)もルックスも名前もすべてクールそうなケニー・ブラック。このドライバーのキャリアは資金面で苦労したようで、有名カテゴリーで走るより、限られた予算内で勝てる体制をとれるカテゴリーで勝利を重ねる方針に途中で変更。この方針変更が吉と出て1993年末にはウィリアムズF1のテストドライブのチャンスをゲット。その時の走りが認められて参戦した国際F3000では3年目にランキング2位(公式サイトによると最終戦でヨルグ・ミュラーに競り勝ったが、抗議で優勝取り消しでチャンピオンを失った模様)を勝ち取りました。とはいえ回り道があったためかこのとき既に30歳。どちらかというと遅咲きのドライバーとなっていたのです。
その後IRLに移籍して2年目にA.J.フォイトレーシングでチャンピオン。翌年はインディ500優勝とその実力を発揮。そしてCARTに移りルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得。勝負の2年目が2001年にあたります。
その走りはかなりアグレッシブで、ハイスピードオーバルで流れたテールを押さえ込んで走るという信じられないシーンを何度か見せてくれました。
ところでブラック選手はKenny Brack and the Subwoofersというロックバンドを結成したりするので、案外熱かったり面白かったりするのかも?
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4コマの内容はフィクションです。
登場する団体・人物等は実際とは異なります。
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