2009年シーズン最終戦のホームステッド-マイアミは、武藤にとって大きな不安を抱えるレースでした。第15戦シカゴランドでマシン・トラブルによる不意のクラッシュ、そして記憶に新しい第16戦インディ・ジャパンの予選で自らが招いてしまったクラッシュと、2戦続けてオーバル・コースで大きなダメージを心身に負っていただけに、その後遺症が肉体的にも精神的にも、必ず残っているはずだと考えられていたからです。
オーバル・コースのレースは、300Km/h以上のスピードでクラッシュしてしまうことが当たり前。そのクラッシュ時に受ける100G以上というインパクトは我々の想像を超え、ドライバー自身が意識してなくても、どこかに恐怖心としてトラウマが残ってしまうものです。
今だから話せますが、武藤もインディ・ジャパン後は三半規管が正常に機能せず、日常生活でも目眩がしてしまうダメージと戦っていました。これはインディ・ジャパンのレース中から症状が出ていたのですが、本来ならば安静にしていなくてはならない状態だったにもかかわらず、オーバル独特の右側だけにかかる横Gに長時間さらされていたことが、症状を悪化させてしまったのです。自分の体力に自信をもっていた武藤も、初めての後遺症体験に少しへこんでいました。
ホームステッド-マイアミで行われる最終戦のために再渡米する予定を大幅にずらし、大学病院で様々な検査を受けていたことを知っていた私は、正直最終戦に出場できないのではと思ったほどです。結果的にドクターから激しい運動は避けて、レースが行われる日ギリギリまで安静にしているように、そして少しでも異常を感じた場合はマシンから直ぐに降りるようにという指示を受けてマイアミ入り。そのタイミングが木曜日の午前中で走行前ギリギリだったことからも、武藤の状態が良くなかったことが想像できると思います。
万全な状態とは程遠いところで臨んだフロリダ半島南端にある最終戦の舞台、ホームステッド-マイアミ。そんな不安を一杯抱える武藤を待ち受けていたのは連日気温34℃、湿度も80%を超える高温多湿のコンディション。インディ・ジャパン後は安静のためトレーニングも出来ず、少しやつれた武藤の身体に更なる負担をかけるレースとなりました。
ちょっと不安が残る中、形式的なIRLオフィシャル・ドクターの検診を受けて、晴れて最終戦へ出場できることになった武藤。今回操るマシンはインディ・ジャパンでクラッシュした車体をリペアーしたものです。我々の武藤に対する心配は尽きることがありませんでしたが、いざ1回目の練習走行が始まると、その不安は少しずつ解消。武藤は普段にも増して、冷静にマシンの状態をエンジニアに報告し、着実にセット・アップ・プログラムを進めていったのです。
ニュー・タイヤを装着した時は必ずQFトリムと呼ばれる予選シミュレーションから走行を始め、コース上で巧みにスペースを見つけては単独走行を行い、予選用に施されたロー・ダウンフォース仕様のマシン特性を煮詰めます。続いてレース用にセッティング変更されたマシンで、集団走行しているグループを見つけ出してトラフィック内でのマシン特性を的確に把握。その一連の様子を見ているといつもの武藤よりもたくましく見えてきました。
午前、午後の練習走行を通して予選用セット・アップのマシンではスピード不足に悩まされたものの、レース用セット・アップのマシン・ハンドリングは武藤の許容範囲に収まっています。トラフィック内ではかなりいい走りを見せていたので、「大丈夫、これならいける」と我々メディア関係者も太鼓判を押せるものだったのです。2回の練習走行が終わったあとに武藤と話した時、「なんだかマシンに乗っている時の方が体調は安定している」という力強いコメントももらい、レースを戦うという武藤に課せられた最低限のハードルを、乗り越えることができそうだと思いました。
迎えた予選ではタイム・アタック4周で徐々にタイムを削り、自己ベスト・スピードを記録するパフォーマンスを見せましたが、予選用マシン・セットアップのスピード不足と不安定なハンドリング、そして2戦連続でクラッシュをしていることから無理なチャレンジは封印。23台出走中19番手という結果に、いつも武藤に大きな期待を持ってしまっている私は一瞬「はぁ〜」とため息をついてしまいましたが、贅沢は禁物です。最終戦で走れること事態が危ぶまれていたのですからね。
不甲斐ない予選結果に、私が思うよりも遥かに強く武藤自身がむかついていたはず。武藤は手抜きをすることが一番嫌いなんです。でも今回の予選はセーフティを重要視して、武藤本来の攻めるタイム・アタックを封印せざるを得ませんでした。その悔しさは予選後のインタビューで「リスクを犯せばもっと上を狙えた。でも我慢することも大切」というコメントからも滲み出ていました。(決勝編は10月28日掲載予定のその2に続きます)