第98回インディ500のポール・ポジションに輝いたのは、地元インディアナで子供の頃からミジェットなどのオーバル・レースに参戦してきたエド・カーペンターです。エリオ・カストロネベスが2009-10年に獲得して以来、史上11人目の2年連続ポール・ウィナーとなりましたが、昨年とは違い、今年は予選の仕組みが大きく変わったことを忘れるわけにはいきません。少なくとも60年以上にわたって予選初日はポール・ポジションを含む上位グリッドを決める「ポールデー」となっていたものを、今年は予選初日の上位9台が、翌日に行われる最終ラウンドでもう一度4周走行し、ポールを含めた9位までのグリッドが決まります。その新フォーマットにおいても、カーペンターはポールを獲得したのです。
「どちらもハードだったけど、去年より少し厳しかったね」と彼は今年の予選を振り返ります。昨年は初日の土曜日に全車がアテンプト(予選出走)を終えた後、18時34分から上位9台によるファスト9がスタート。5番目に出走したカーペンターの4周平均速度、228.762mphを誰も上回ることなく、従来どおりその日のうちにポールが確定しました。今年は17日土曜日に最初の予選が行われ、翌日曜日の14時から最終ラウンドがスタートです。前日にトップ・スピードをマークしていたカーペンターは、最後となる14時38分に出走し、このセッションで唯一の231マイルオーバーとなる231.067mph(約371キロ以上)をマーク。それまでトップにいたジェイムズ・ヒンチクリフを破り、スピードウェイに大歓声が響きました。
カーペンターは新しい予選フォーマットについて、「初日に調子が良くても、昨日と今日ではコンディションが変わってしまう。これは去年とは違うプレッシャーだし、ストレスが多かったのは間違いない」と語りました。もうひとつ去年と違うという点では、今年から彼はオーバルのレースとチーム・オーナー業に専念することを決め、ロードと市街地コースではマイク・コンウェイを起用。伝統の市街地コース、第2戦ロング・ビーチを初制覇していました。「去年のフォンタナからレースをしていなかったけど、それほど寂しいとは思わなかったね。オーバル・レーシングとロード&ストリートは違うし、クルマも違う。フルタイムで走っていた時と同じように、精神的にもしっかりと準備もできたよ」とカーペンター。今回のポール獲得で、みごと10万ドル獲得です。
一方、最後に逆転されて2012年以来2度目の予選2位となったヒンチクリフは、1週間前のロード・コースのレースで破片がヘルメットを直撃し、脳震盪で休養を余儀なくされていました。代役として昨年のチームメートだったEJビソがプラクティスを走り、ドクターから許可が出たのは15日。翌日はあいにくの雨で8周、迎えた予選初日の朝は9周のみのプラクティスで予選に挑んだのです。「ちょっと前までは携帯電話を操作することも許されなかったのに、今日はインディカーを230マイルで乗り回してるんだから、信じられないよね」とヒンチクリフ。「ラッキーだったのはアクシデントのことをまったく覚えていなかったから、回復までにそれほどナーバスにならなかったことだ。チームメートを信頼して、彼らの言うとおりにやっただけだよ。もしこれが1台や2台体制だったら、ここにいるのは不可能だったろう」。彼のチーム、アンドレッティ・オートスポーツは通常の4台に加え、日曜のレース後に移動してNASCARのダブルヘッダーに挑むスプリント・カップの2004年王者、カート・ブッシュも含めた5台体制という布陣で参戦していました。
予選3位は、2度目のフロントロー・スタートを決めたポイントリーダーのウィル・パワーで、「おそらくダウンフォースのレベルはエリオと僕、ニューガーデンが特に軽かったと思う」と興味深いコメントを語っています。「クルマはあっちこっちでスライドしまくっていたよ。ドライバーはシートに納まったら、いい仕事をしなきゃいけない。でもストレスが多かったね」。ポイントでハンター-レイに1点差まで迫られていたパワーはこれで33点を手に入れ、ハンター-レイが予選19位に沈んだことで引き離すことに成功しました。昨年の最終戦フォンタナで優勝していますが、「こことは違うオーバルだし、レースのスタイルも違う。あのときは完璧だったし、来週もそうありたいよ。僕のこれまでのベストは5位。ここで勝つことがすべてだ」
2010年の初参戦以来、5回目の予選に臨んだ佐藤琢磨は、初日に228.786mphを記録して18位。もう一度アテンプトするために列に並んだものの時間切れとなってしまい、最終ラウンドに進むことはかないませんでした。予選前のプラクティスで初めて230mphオーバーとなる230.815mphを記録していたのですが、「朝の気温が低いコンディションの中、前のクルマに引っ張られて出たもので、単独で230は難しいと思っていました」と率直に語っています。実際に予選では、「自分たちが想定していた228マイル台にはいったんですけど、周りはもっと速かったです。1周目と4周目でクルマの動きが違い、想像を大きく超えるほど、リアのグリップが落ちてしまいました」
2度目のアテンプトができなかったことについては、「データの解析に時間がかかり、これで行けるぞという時に雨が降ってしまい、予選がしばらく中断しました。再開に合わせてレーンに並んだ時点で、10番目ぐらいだったんです。その時点で2時間ぐらい時間があったので、大丈夫だろうとは思っていたのですが、雨が降って路面が冷え、空気も冷えて風も止んでとすごくコンディションが良くなったところで、ファースト・レーン(それまでに記録したタイムを捨ててすぐに走れる列)に並ぶクルマが増え、230マイル台が連発しました」
「その時に走りたかったんですけど、自分のタイムを捨てて走った場合、もしクルマに何かあったら、そのタイムがなくなってしまうわけです。さらに、もう2台エントリーするという噂もあって、予選落ちの可能性も出てきました。クルマとしてはそういうレベルではないんですけど、何が起こるか分からないので、それだけのリスクは負えないというチームの判断でした。一時ファースト・レーンに行こうと考えたこともあり、チームメートのマーティン(プラウマン)の走りを見て決めようとはなったのですが、気温が上がってスピードが遅くなったのを見て、最終的には走りませんでした」
迎えた翌日の最終予選、琢磨は壁ギリギリまで迫る走りで初日を上回る229.201mphを記録したのですが、「バランスが今ひとつ良くなくて、クルマが非常に滑りやすく、リアが落ち着かない状態で苦労しました」と語っています。「後ろがしっかりグリップしないので、ステアリングを切りこめず、ほんとうはもう少し内側で加速していきたいんですが、リアが我慢できないので、それに合わせて修正していくと徐々に膨らんでいくんです。もちろんスピードも乗っていますし、ダウンフォースも少ないので、あれ以上内側を走ろうとすると巻き込んじゃうんですね。それをおさえるために外側へ膨らんでいったんだけど、あんなところは走りたくないですよ。壁ギリギリのところで止めたので、少しぶれたように見えますが、実際には壁にあと数センチだったと思います。大事なポイントはスロットルを緩めないことで、全開で走ったからタイムは落ちていないのですが、最後は伸び悩んでいました。リアタイヤのグリップダウンが激しかったです」
最終的に琢磨は8列目の真ん中、23番グリッドとなりましたが、ガナッシと激しいトップ争いを演じたあの2012年は19番グリッドからスタートしています。しかも一時20番手に落ちてから先頭まで追い上げていったことを考えれば、それほど大きな問題ではないかもしれません。今回は単独走行の予選でしたが、パック(集団)から抜け出て順位を上げていくにはどうすればいいのか、そして最後にトップに立つためには、どの位置にいなければならないのかを彼はよく知っています。もちろん、あの時は記録的な暑さになったことも味方したので、コンディションも一つのカギとなるのは間違いありません。
みなさんは新しくなった今回の予選を、どのようにご覧になりましたか。僕がインディの取材を始めた93年当時は決勝の4週間前にルーキー・オリエンテーション・プログラム(ROP)が行われ、3週間前にプラクティスが開始されました。予選は決勝の2週間前に始まり、土曜日がポール・デーで日曜日が予選二日目。その後もプラクティスが続き、1週間前の週末は土曜日が予選3日目で、日曜日が最終予選のバンプデーでした。当時は約1か月間にわたって行われていたものが、近年は経費削減のため2週間前の週末にROPとプラクティスが始まり、予選は決勝の1週間前の土曜日がポール・デーで、日曜日がバンプデーとなっていました。
それが今年はほぼ3週間前にROPが行われ、シリーズの第4戦としてロード・コースを使ったレースをインディ500の2週間前(木曜〜土曜)に開催、その翌週にインディ500の予選となったわけです。要は、長年にわたって4週間で行われていたものがやがて2週間となり、今年からロード・コースも含めた3週間になったということですね。このようにスケジュールが大きく変わったことに加え、冒頭にも書きましたが、予選初日にポールポジションが決まっていた予選システムそのものも変わったのが今シーズンです。これだけの大きな改革は近年なかったので、今我々は歴史が変わる節目にいるのかもしれません。何十年か経った後、「この予選が始まったのはいつ?」、「ロード・コースのレースが始まったのは?」なんて話になるんでしょうね、きっと。
ちなみに昨年までは予選終了後、最後の調整となる金曜日のカーブデー(1時間)以外、決勝まで走行はありませんでした。今回は二日間にわたって予選だけに集中(以前は予選の合間にプラクティスがありました)していたので、さすがに翌月曜日は決勝に向けたプラクティスが初めて行われました。8日にロード・コースのプラクティスから始まり、12日間にわたって毎日走行があったので、現場はやっとひと休み。カーブデーのプラクティスの後はインディ・ライツのレースがあるだけです。そういえば、2003年に始まった最初のインディ・ライツでポール・トゥ・ウィンを達成したのも、カーペンターでしたよ!(斉藤和記)
●スターティング・ラインアップ
●予選初日ハイライト映像