<US-RACING>
念願のインディ500初優勝を達成したホーニッシュJr.は「最高だね。これに勝るものは今見当たらないよ」と全身で喜びを表現する。「ピットでのアクシデントで、今日はもうダメだと思っていた。その時にこの状況からどうしたらいいかみんなで考え、グリーンの前にもう一度ピットに入って燃料を足したのが良かったと思う。燃料を濃くして追い上げることができたんだからね。あそこでミスが無かったら、どうなっていたか・・・。大事なのは、最後まで諦めないことだね」。2回もチャンピオンになりながら、これまでインディ500だけは勝てなかっただけに、その喜びもひとしおといった様子。7年目のホーニッシュJr.はこれまで完走したことが無く、初完走初優勝となる。ペンスキーにとって実に14回目のインディ500制覇だが、このような展開での優勝はなかっただけに、感慨深いものがあっただろう。終わってみればポールトゥウインの完全勝利だった。
今年でちょうど90回目の開催を迎えた伝統の一戦、インディアナポリス500。雨で予選が翌週になるなど、天候に悩まされた今年のマンス・オブ・メイだが、日曜日の決勝は朝から快晴に恵まれた。開幕以来最も暑い気温30度と真夏なみのコンディションの中、レースはこれまでの午前11時ではなく、今年から午後1時にスタート。全33台がクリーンなスタートを決め、いっせいにターン1へなだれ込んだ。
スタートしてすぐは予選ワンツーのペンスキー勢がリードするが、すぐに昨年の覇者ウエルドンが追いつく。10周目にトップへ立ったウエルドンは200周のレース中、最多となる148周をリード。2連勝を予感させる力強い走りで周回を重ねる。終盤にはチームメイトのディクソンも追いつき、チップ・ガナッシのワンツー体制となったが、ディクソンは後続のカナーンをブロックしたとしてピット・スルーのペナルティ。ウエルドンは最後のピットを早めたことでタイミングがずれてしまい、最終的にチャンピオンは4位でゴールするしかなかった。
カストロネベスは徐々に遅れ始め、110周目のターン2でライスのインに無理やり飛び込んで2台は接触リタイア。インディ500の優勝経験者同士によるクラッシュは、1992年のリック・メアーズとエマーソン・フィッティパルディ以来のことだった。カストロネベスは6年目で初めてインディ500を完走できず、これまで継続してきた連続周回数は1089でストップとなる(歴代2位)。
カストロネベスがいなくなってフロントローの1台が消え、ペンスキーの期待はポール・ポジションのホーニッシュJr.に集中する。終盤になってガナッシ勢に追いついたホーニッシュJr.だったが、150周目のピットの際に燃料ホースが完全に抜け切らないままスタート。毎回ピットで指示を出しているロジャー・ペンスキー本人の確認ミスでもあり、燃料を撒き散らしてピット・スルーのペナルティを受けたホーニッシュJr.の優勝はなくなったかに見えた。しかし、インディ未勝利のホーニッシュJr.は運良く周回遅れにならず、グリーンになる前にピットへもう一度入って燃料を追加。そこから猛追を開始し、ピット・ストップのタイミングも幸いして196周目の再スタート時に4位まで躍進する。198周目にトップのマルコに追いついたホーニッシュJr.はインへダイブするも、危険と判断してアクセルをオフ。これで2台はだいぶ離れてしまったが、最終ラップのターン4を立ち上がってホーニッシュJr.は再びマルコに並び、ゴール前でみごとパスに成功した。終わってみれば1992年の0.43秒以来となる史上2番目の0.635秒という僅差フィニッシュであり、90回目の記念レースは大興奮のうちに幕を閉じた。
1994年のマリオ対マイケル以来となる久しぶりの親子対決が実現した今年。最後のピットとコーションのタイミングがうまく作用し、残り4周の最後のリスタートはマイケルがトップでマルコが2番手という、ファン待望のシチュエーションで大歓声とともにグリーンが振られた。「今日は勝てる車を持っていたし、親父のクルマはそれほど速く無かったから、パスする時に絶対このまま勝とうと思っていた」と語るマルコ。レース中の自信溢れる走りや、ダウンフォースを失ってラインから大きく外れても立て直すあたりなど、とても3戦目とは思えない走りを披露した。父親から実戦で鍛えられたこの一ヶ月、大きな成長を遂げたのは間違いない。
残り4周でマイケルがトップに立ち、やっと優勝するかと思った往年のファンは多かったのではないか。まだコーション中の160周目に追加の燃料補給をし、そのまま最後まで走りきる作戦だったマイケルは、最後のイエローが出たためにアドバンテージを喪失。「イエローが出た瞬間、ノー、ノー、ノーって叫んでいたよ。あのまま走っていれば勝てたと思う。あそこでイエローになり、再スタートとなったらスピードでは今日の車だと絶対に叶わないのがわかっていたからね。また仕事をやり遂げられなかったような気持ちだよ」。インディ500の未勝利ドライバーで最もレースをリードしたという、あまりうれしくない記録を持つマイケルは、これまで鮮烈な走りを何度も見せながら、ただの一度も勝てなかった。昨年チームオーナーとして念願のインディ500優勝をモノにしたが、マルコが出るとなって復帰を決意。かつて父親のマリオから教わったように、この1ヶ月間マルコを鍛え続けてきた。トップに立ちながら最後に息子にパスされたマイケルだったが、「素晴らしかったね。とてもいい走りをしていた。彼は勝てなくてがっかりしていたけど、私はうれしかったよ」と息子の成長ぶりを素直に喜ぶ。2年のブランクを感じさせない走りを披露したマイケルは、まだまだ現役でいけそうな雰囲気もあった。マルコも「また走ってもらえるようにしたいね」と語っており、後はマイケル次第?
インディで自己最高予選順位の7位からスタートした松浦だが、レースは今日のこの暑さにあったセッティングが決まらず、徐々に順位を落とすことに。その後もオーバー・ステアに悩まされながらもサバイバルレースを完走し、15位でフィニッシュした。「10周目くらいまではいいんですけど、それからはマシンがすごいオーバーステアになって、トラックに留まることだけで精一杯という感じのレースでした。3連戦続くので車は壊したくないですし、無理もしたくなかったです。思ったより気温が上がって、タイヤの持ちが悪かったのだと思います。自分でもインディ・カーのレースで一番、辛いレースだったと思います」と、3年目のインディを振り返る松浦。昨年はアクシデントで17位リタイアに終わったが、今年は完走したものの、マシンのセッティングが決まらず、初年度の11位フィニッシュを追い越すことが出来なかった。次戦は4日後にワトキンス・グレンのレースがまっている。得意のロードコースで、今回の悔しさを忘れるような活躍に期待したい。
終わってみれば、一ヶ月走りこんだ松浦のすぐ後でフィニッシュした安川。間際になって突然の参戦となった今回、マシンが不完全なまま安川はスタートするしかなかった。スポッターとのやり取りも今日が初めてで、だいぶフラストレーションが溜まったという。「マシンを徐々に仕上げていき、最後は思いどおりに走ることができました。こういう状態で最初から走れれば、絶対にトップ10はいけたと思うんですが」。厳しい条件とはいえ、安川は与えられた環境でしっかりと自分の実力を発揮した。願わくば、このまま今年の残りのレースでもシートを獲得して欲しいところ。
今年からホンダ・エンジンによるワンメイクのシリーズとなったインディ・カー・シリーズ。これまで行われてきた90回のインディ500でも予選から通して、ワンメイクのエンジンを全車に供給したことは初めてとなった。ホンダとしては、このインディ500で全車にエンジントラブルがないことを目標としていたが、レースではエンジンによるトラブルはなく、見事その目標を達成した。「33台すべてのマシンにエンジンのトラブルがなく、レースを無事終えることが出来ました。この500マイルというレースでエンジンによる問題がなかったのは、正式な発表はありませんが、多分初めてだったのではないでしょうか。33台のマシンに搭載されているエンジンは、ひとつひとつ人の手によって約100時間の時間をかけて製作されています。そのエンジンがこのインディ500でトラブルなくレースを終えることが出来たことを誇りに思います」と、HPD社長のロバート・クラークがレース後の記者会見で嬉しそうに話していた。また、今回のエンジンは次戦のワトキンス・グレンに引き続き使用される。レースを行う上で最も重要な壊れないという安心感をすべての人々に印象付けることができたと思う。
決勝日の翌日、毎年恒例の優勝者記念撮影が行われた。朝9時30分からスタートし、約1時間30分ほどかけて撮影が行われる。この撮影には、スポンサーの人々をはじめ、共に戦ったチームクルー、オーナー、その家族などがかわりがわりに撮影を行っていく。チームクルーのひとりひとりの撮影になったとき、撮影する間隔が間延びしていた感があったのだが、チームオーナーのペンスキーがそれを見て、「もっと早く撮影してくれ」と、専属のカメラマンにいうと、自らクルーを引率しひとりずつ送り出していた。すると、クルーもカメラマンも機敏になってすぐに撮影が終了。ペンスキーの性格がよく分かるワンシーンだった。チーム・ペンスキーがトップチームである由縁は、やはりロジャー・ペンスキーの統率によるところが大きいのだなと改めて感じた。