INDY CAR

松浦孝亮、ボンバーディア・ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得


■日時:10月17日(決勝)
■開催地:テキサス州ジャスティン 
■サーキット:テキサス・モーター・スピードウェイ 
■天候/気温:快晴/23.5℃
すでに第15戦フォンタナで2004年度のチャンピオンはトニー・カナーンに決定済み。最終戦テキサスは、ポイントよりもストレートに勝利を目指すトップドライバーたちの激しいバトルが500kmに渡って繰り広げられた。
6月の第5戦テキサスで、予選4位からトップグループでの戦いを演じた松浦孝亮は、今回のレースを前に、シーズン終盤のスピード不足の原因がマシンにあったことが判明。対策を施して今年最後の戦いへと臨んだ。
金曜日に行なわれた予選でパナソニックARTA/パノスGフォース・Hondaのセッティングを順調に進めた松浦とスーパーアグリ・フェルナンデス・レーシングだが、そのタイムは15番手にとどまった。しかし、予選での車両規定違反が2台、予選終了後にマシンを交換したチームが1つあったことから、松浦は今シーズンの最終戦を12番グリッドからスタートすることとなった。
土曜日の夕方に行なわれたファイナルプラクティスで松浦は3番手のタイムをマーク。セッティングを大きく向上させた。
決勝日もテキサス州フォートワースは快晴に恵まれた。チームがワークショップを置くインディアナ州インディアナポリスはすでに紅葉も始まって秋模様に包まれているが、メキシコ湾に面するテキサス州は10月中旬を迎えてもまだまだ夏のような暖かい気候が続いている。サーキットに集まったファンはTシャツ姿で巨大なグランドスタンドに陣取り、インディカーならではの息詰まるハイスピード・クロースバトルが始まるのを待っていた。
グリーン・フラッグが振り下ろされたのは、午後12時。松浦は2周目には11位、3周目には10位へとすぐさま順位を上げた。4周目にターン3でエド・カーペンターがクラッシュ。これで松浦のルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得は決定した。
松浦のマシンはとてもハンドリングが良く、リスタート後にはさらに上位へと進出して行った。ブライアン・ハータを13周目、スコット・ディクソンを16周目に抜いて8番手に浮上。さらにはエイドリアン・フェルナンデスを19周目にパスして7位となった。
ところが、21周目のバックストレッチエンドで松浦は急激にスピードダウン。他車が追突する最悪の事態は避けられたが、コントロールラインへと戻って来た松浦の順位は16位まで下がっており、次の周にはさらに2つポジションを落として18位となった。
失速の原因はギヤボックスのトラブルだった。ギヤセレクターのトラブルで5速に入らなくなってしまったのだ。そこで松浦はここからはクラッチを踏んで5速へとシフトするドライビングで戦うこととなった。
いったんは18位まで落ちた松浦だったが、ギヤセレクターの不調をクラッチ操作でカバーしつつ再びアタックを開始。8周を費やして13位まで持ち返し、さらに10周を使って39周目にはトップ10へと復活した。
松浦はこの後9位までポジションを上げたが、58周目に1回目のピットストップを行なった後、コースに戻るとギヤボックスのトラブルはさらに深刻化しており、緊急ピットイン。チームはピットで修理を試みたが、それが不可能と判明し、無念のリタイアを喫した。
リタイアとはなったが、松浦は栄えある2004年度IRLボンバーディア・ルーキー・オブ・ザ・イヤーを手に入れた。日本人ドライバーとして初の受賞である。松浦はこの5月に初挑戦した世界最大のイベント、インディ500でもバンクワン・ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
●松浦孝亮
「マシンが好調なのにトラブルでリタイアは本当に歯がゆいでも最後に久しぶりに自分らしいレースを戦うことができた」
「このテキサスが今シーズン最後のレースでしたが、今年1年間応援してくれたホンダ、パナソニック、オートバックス、ブリヂストンの皆さんにまず最初に感謝申し上げます。今回は本当にクルマが良かったので、見ていた人たちはみんな思ってくれたと思うのですが、久しぶりに、今年の前半戦・中盤戦の僕の勢いが戻って来ていました。スタートからハンドリングがとても良くて、クルマのスピードが速かった。すぐに何台かをオーバーテイクして、少しギャップが空いていたトップとの差も一気に縮めることができました。それが、20周を過ぎたところで5速にシフトダウンしようと思った時、5速に入らずニュートラルに入ってしまったのです。ギアのセレクターが壊れていて5速に入らなかったのですが、クラッチを切ると5速に入れることはできたので、そのまま5速で走り続けることになりました。1回目のピットストップに入って、コースに戻るところで1速から2速に上げる時、ギヤが入らなかった。18位ぐらいまで落ちてから、また良いペースに戻って多くのマシンを抜くことができました。久しぶりに自分らしいレース、来年に繋がるレースだったのじゃないかなと思います。シーズン終盤に来て、ここ数戦は苦戦が続いていましたが、やっと最終戦で良いマシンにすることができました。そういう時にトラブルでリタイアとなってしまうのは本当に歯がゆいのですが、最後に少し自分らしいレースができて良かったと思います。今年はスーパーアグリ・フェルナンデスレーシングに自分がポコッと来た感じでしたが、来年は今年の経験を活かし、自分がもっとチームを引っ張って行ける感じにしたいと考えています。ルーキー・オブ・ザ・イヤーは、アメリカではとても意味のあるものらしいのですが、自分としては今年どうしても1勝が欲しかったですね。1勝するために自分は選ばれたと思っています。トラブルや自分のミスがあり、その夢はかないませんでしたが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに相応しい走りはしていたと思います。簡単そうに見えるレースかもしれませんが、外から見ているほど簡単じゃないことが自分でもよくわかりました。16戦以上の経験ができたと思うので、同じミスをくり返さずに来年1年戦えたらいいのじゃないかなと思います」
●トム・アンダーソン マネージング・ディレクター
「昨年逃したルーキー・オブ・ザ・イヤーを手にしたことを誇りに思う」
「今日の我々は素晴らしいパフォーマンスを見せたが、結果は非常に残念なものとなった。エンジニアのジョン・ディックはレースまでにマシンをとても良いハンドリングのものに仕上げ、コウスケは1回目のピットストップで何の変更も必要としないほどだった。しかし、それが我々にとって最初で最後のピットストップとなった。トランスミッションのトラブルは今年の我々にとっては非常に珍しいものだ。最終戦になって、初めてそれが出てしまったことは本当に残念でならない。今年の我々は運に恵まれておらず、クルマの良い時にトラブルが起こった。少なくとも3回はそうしたレースがあった。それでも、コウスケはルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。昨年は獲得目前で逃しているだけに、この賞を今年手に入れられたことを本当に誇りに思う。この冬には多くの仕事が我々を待っている。55号車のチームを強化し、5号車と同レベルにまで引き上げるつもりだ。ロードコース用キットを含めた来シーズン用パーツのデリバリーは11月の初旬には始まる。11、12月には空力テスト、7ポスト・リグを使ったシャシーシミュレーションも続け、1月中旬に行なわれる予定のテストに備える。とても短い冬となりそうだ。今日の結果はとても残念なものとなった。この悔しい結果を胸に、来年の3月初旬の開幕戦マイアミまで、オフを過ごさなくてはならない。コウスケには高いポテンシャルがある。それは彼を起用することになった時からわかっていたことだ。IRLという競争の激しいシリーズで勝利を手にするためには、集中力を保ち続け、進歩も続けなくてはならない。ポテンシャルがあるのをわかっていて、それを発揮できないのは非常にフラストレーションの溜まることだ。今年の我々はまさにそうだった。今シーズンを振り返り、自分たちが持てる力を発揮し切れなかった理由を深く追求し、それを明らかにして対策を施すつもりだ」
スーパーアグリ・フェルナンデス・レーシング公式ウェブサイト
www.superaguri-fernandez.jp