ほんとうに久しぶりのFrom USです。最後が2006年10月の小樽グランプリのレポートでしたから、5年ぶりの復活となります。ずっと再開するチャンスを伺っていたのですが、2年前にTwitterを始めたら、そっちのほうがおもしろくなってしまいました。140字以内というのが見るほうも書くほうも気軽で、フレンドリーかなと。
今回こうして再びFrom USを書こうと思ったきっかけは、やはりインディジャパンです。今年で幕を閉じるという発表があってから数日経ったわけですが、その衝撃は僕らにとっても大きく、未だに様々なことが頭の中を駆け巡っています。みなさんはどうでしょう?
第一報を聞いて驚くと同時に、ついにその日が来たか、と思ったのも事実でした。毎年関係者の方から「厳しい」というのは聞いていましたし、リーマンショックがあってホンダがF1から撤退、多摩テックも閉園してしまったのですから、インディ・ジャパンだってひょっとしたら・・・、と一度ならず考えたことがありました。
それに、昔HPDの社長をされていたホンダの和田さんが、昨年、リタイアまであと1年というところで、広報部からモータースポーツ部に戻ったことも気になっていました。「最後にやることがあるんです」という一言が妙に気になり、何か大きなことがあるのではないか、とずっと頭に引っかかっていたのです。
その一方で、明るい兆しもありました。長年分裂していたアメリカン・オープン・ホイール・レーシングがやっと統合し、新経営陣のもとで盛り上がり始めていたことや、武藤英紀選手が2年連続で表彰台を獲得して日本人初優勝の可能性がぐっと近づいていました。どちらも長年続けてきたホンダの悲願と言えるもので、ヒロ松下が挑戦してから約20年、アメリカ最高峰での勝利がついに現実的なものになっていたと思います。
ところがその武藤選手の予算が、昨年は半分以下だったんだという事実を関係者から聞き、今年はインディカーのシートを失うという事態になりました。今思えば、昨年からすでにインディ・ジャパン中止の方向で、物事が進んでいたのかもしれません。
それでも佐藤琢磨選手の参戦をきっかけに、佐藤選手のファンはもちろん、CART時代に見ていたという人が大勢戻ってきたのも事実です。佐藤選手はF1と違う環境になかなか慣れなかったようですが、その分析力は素晴らしく、説得力のある彼の解説でインディカーのおもしろさに気づいてくれた方も多いと思います。テスト経験のあるコースで見せたパフォーマンスからして、2年目の今年はより一層活躍が期待できると誰もが思っていたことでしょう。
来年からシボレーやロータスが参戦してエンジン・バトルが再開するという点では、他のホンダ・ファンにも楽しんでもらえる要素が増えていました。様々なエアロパッケージの新シャシーが登場することで、空力的なアプローチの違いといったハード面でのおもしろさも増えるだけに、ポジティブな傾向もあったと思っています。
たしかに日本の観客は劇的に増えていませんでしたが、昨年は茨城空港が完成し、格安航空会社の台頭で上海から数千円で来ることができるようになっていました。ライアン・ブリスコーやウィル・パワーの地元であるオーストラリア、スコット・ディクソンの地元ニュージーランドからも大勢の観光客が訪れる今、日本人以外の観戦がもっと増える可能性もあったと思います。
何しろ、北米以外では唯一インディカーを観戦できるオーバルです。周辺国から観客を集めるために観光庁や周辺自治体と一緒になって、日光の世界遺産や秋葉原といった他の要素とコラボすることだってできたかもしれません。
こうして日本以外に目を向けると、次のような考え方もできると思います。これまで20年近くにわたってアメリカン・オープン・ホイールを支えてきたホンダは、インディカーにとって極めて重要な存在になっていたはずです。分裂、統合という不幸な歴史のなかで支えあい、ある意味、一緒に修羅場をくぐりぬけてきた戦友と言ってもいいでしょう。
中国が世界一の自動車市場となり、破竹の勢いで加速しているアジア全体のモータリゼーションを考慮すると、自動車レースの世界で100年の歴史を持つインディカーと強力なパートナーシップを結んでいるホンダは、アジア市場を考えた上で様々な可能性があったと思います。ApexBrasilのように、アジアとインディを結ぶパイプ役にもなれたと思いますし、インディジャパンがその中継地点として機能することもできたのではないでしょうか。
残念ながら今回は記者会見がなかったので、どのように決断が下されたのかは解りませんが、将来に向けてたくさんの可能性があったということを、おそらくホンダは解っていたと思います。それらをすべて考慮したうえで、なおかつインディジャパン継続を中止しなければならない理由が、あったのでしょう。
我々US-Racingは3年前にすべてのスポンサーを失い、インディジャパンがどうなるかも解らない状況でしたが、心配するだけでは無意味なので、とにかく僕らでできることは最大限やるしかないと思っていました。どうやったらインディカーを楽しんでもらえるのか、試行錯誤を繰り返して苦手な最新のIT関連技術も猛勉強。良いと思ったものはとりあえずやってみようということで、採算を度外視して後から猛反省することも度々でした。
今だから言えることですが、ある年のインディジャパンでは直前に予想外の事態となり、あるドライバーのスポンサーになってしまったこともありました。その影響で会社としてはかなり深刻な状態に陥ってしまい、まともに給料も出なくなってクラクラしましたが、ほんとうに貴重な体験だったと思います。
体験と言えば、僕自身1989年からどっぷりとアメリカのレースに浸かってきたわけですが、インディ・ジャパンがいかにすごいイベントであるかというのに気づいたのは、実は小樽グランプリに関わるようになってからでした。レースを主催する側として見てみると、これほど困難なイベントはないと思いますし、他にはなかなか真似できない貴重なレースだと思います。
山を切り開いてコースを作ってしまっただけでもすごいことですが、シリーズに多額の開催権料を支払い、アメリカから来るスタッフや機材の輸送料などの経費に加え、日本人ドライバーのサポートも含めれば、毎年数十億という支出になっていたはずです。そのような資金もさることながら、地元を含めた周辺自治体や住民への協力要請も必要で、気が遠くなるほどの時間をかけて関係を築き上げてきたことでしょう。
こうして様々な困難を乗り越えて開催にこぎつけても、雨が降ってしまうと走れないのがオーバルです。実際に予選は4回も雨で中止となり、2000年には初の決勝順延になりました。2008年は前日まで降り続いた雨がコースから滲み出してしまうアクシデントが発生し、その対応に追われたスタッフのみなさんのことを思うと、今も胸が締め付けられるような気持ちになります。
長年にわたるスタッフのみなさんの懸命な努力は称賛に値するもので、オーバルならではの致命的な大クラッシュに遭遇することもなく、もてぎならではの名シーンがたくさん生まれました。しかし運命とは過酷なもので、そのような努力とは裏腹にCART時代はホンダがまったく勝てなかったのです。CART最後の年となった2002年、トヨタに先を越されてしまった時の情景、関係者のみなさんの表情は、きっと忘れることができないでしょう・・・。
なぜこのようなリスクの高いオーバルのレースを始めてしまったのか。開設当初から色々なことが言われてきましたが、僕自身、納得できる答えに出会えたと思ったのは2年前でした。
ホンダのあるエンジニアの方が教えてくれたのですが、1964年と66年にインディ500を視察した創業者の本田宗一郎さんは、亡くなる前年に完成したインディの試作エンジンを見て「自動車レースっていうのは、スピードを競わなきゃ駄目なんだ」と言って、インディへの挑戦を大変喜んだそうです。ツインリンクもてぎを作る決断は川本社長の時代ですが、日本のファンにも世界最速のレースのおもしろさを知ってもらおうと、当時の首脳陣が考えたのは自然な流れです。
みなさんも聞いたことがあるかと思いますが、ホンダという会社は「(社員を)2階に上げてはしごを外し、火をつける・・・」ようなところで、困難に挑むのが社風としてあり、インディジャパンはまさにその象徴と言えるようなものだったと思います。そのようなホンダのチャレンジング・スピリットに勇気づけられたファンも多いと思いますが、現在の経済環境においては、許されなくなったということでしょう。
アメリカでインディ・プロジェクトを始めたのは、かつてのアメリカン・ホンダの社長で、本社の副社長でもあった雨宮さんと、研究所の朝香さんでした。今回の継続中止の決断に関わったモビリティランド社長の大島さんと和田さんは、ともに雨宮さんと一緒にアメリカで仕事をされていた方々です。特に和田さんは、もてぎでのホンダ初優勝を実現した時のHPD社長でもあったわけで、ほんとうに苦渋の決断だったと思います。
とても残念ですが、今回の決断が明るい未来への英断となるよう、願わずにはいられません。そしていつの日か、再チャレンジできるような環境になってくれることを、祈りたいと思います。Sayonaraっていうよりも、See You!ってことで、今年のインディジャパンを迎えたいですよね!
いつもUS-Racingをご覧いただいているみなさん、今年のインディジャパンは、ぜひご家族や友人と一緒にツインリンクもてぎへいらしてください。平均320キロのレースを日本で観るチャンスは、これが最後かもしれません。
世界最速レースをその目に焼き付けて、大切な人といつまでも語り合っていただければと思います。