Hiroyuki Saito

復興支援酒場 仙台店に行けなくも、オープンしたての銀座店で心満意足

年末年始に里帰りし、何気なくテレビを見ていると、宮城テレビが放送する地元の夕方ワイド番組“OH!バンデス” が、仙台で復興支援をしている居酒屋を紹介していました(歌手のさとう宗幸さん、地元では通称“宗さん”が、総合司会を担当する人気番組。1978年、宗さんのデビュー曲となった“青葉城恋唄”は、ご当地ソングとして宮城県人の定番となっていますが、若い世代にはピンとこないかも。ちなみに宮城県の方言で“こんばんは”を“おばんです”と言います)。
 

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その名も“復興支援酒場”。9月13日から仙台駅前にオープンしたこのお店は、売り上げの利益を全額、被災地となった岩手、宮城、福島の3県に寄付するという飲食店です。被災地3県の地酒を取り揃え、各県の食材、郷土料理を中心とした応援コースメニューなども用意。さらに従業員に関しても被災地での雇用を最優先とした復興支援に取り組んでいる居酒屋でした。
 
秋田県に本社を構える“株式会社ドリームリンク”が、この復興支援酒場を出店しました。もともと“薄利多売 半兵ヱ”といった飲食店を中心に幅広い経営をしている会社で、震災直後には各地のお店で無料炊き出しなどをし、多大なる貢献をしました。
 

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このような素敵な居酒屋があるということを知ったからには「行かねばなんね!」と、翌日、地元の友人と一緒に仙台へと繰り出したのですが、詰めが甘いというか、予約をしなかったのでね、残念ながら満席で入ることができなかったのでした。
 
結局、帰省中に行くことができずに心残りとなっていたのですが、なんとこの“復興支援酒場の銀座店”が1月17日からオープンするということをホームページで知りました。これは是が非でも渡米前には「行かねっけなんね!」と、早速、行ってきましたよ。
 

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この復興支援酒場、迷わずに行ければJR新橋駅から歩いて4〜5分くらいの場所にありました。当日は雨が降っていたのでね、日比谷線新橋駅へと向かう地下通路を使って出口3から地上に出ました。するともう目と鼻の先に復興支援酒場があるビルディングを発見することができました。
 
早速、6階にあるお店に入ってみると、元気のいい店員さんがね、「足元の悪い中、ご来店頂きありがとうございます!」と、迎えてくれました。また、満席だったら困るなと思ったので、午後6時30分ごろにはお店に入ったのですが、カウンターの席に関しては結構埋まっていてね、大丈夫かなって思ったけど、なんとか座ることができましたよ。
 
店員さんが、おしぼりは暖めたものと冷たいものがあるというので、温かいものを選びましたが、どちらも用意しているという気配りはうれしいもんです。まずはビールを頼むと、ビールを持ってきた店員さんが一緒に持ってきたお通しのおでんについて説明をしてくれました。
 
「火が消えたら食べごろです!」と、わざわざお通しを七輪で温めるところなんかはうれしいねぇと思いつつ、ビールをぐびぐびーっと飲んでからおでんが温まる間にメニューをチェック。
 

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新鮮な魚介類をはじめ、岩手、宮城、福島の郷土料理を中心としたその内容に、何を頼むか迷いにまよっていると、七輪の固形燃料の火はとっくに消えていてね、食べごろをしっかりと見過ごしてしまいましたよ。
 

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こりゃ、迷ってる場合じゃねぇなって思ったのでね、料理に関しては出身地となる宮城県の郷土料理を中心に頼もうと、メニューを改めて見ました。笹かまや牛タンなどいろいろとありましたが、まずはおつまみになるようなものをと、塩釜産お刺身ギバサ酢、鱈の胃袋のキムチと岩手のページで南部焼き味噌を発見したので、それらをオーダー。
 
結局、宮城県の料理は実は塩釜産お刺身ギバサ酢だけだったということになってしまいましたが、まあ、いいかと、やっとお通しを食べることに。まだまだ余熱が温かく、美味しくいただけました。
 
それにしてもさっき頼んだ塩釜産お刺身ギバサ酢って、塩釜で生まれたのに(幼少期を過ごす)その名前に聞き覚えがありません。なんでね、その正体を確かめたいということと、ネーミング的にもこれはうまそうだなってことで頼んでみたのですが、実物は想像とは違いましたよ。
 

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てっきりね、ギバサっていうお魚の刺身の酢の物かなんかと思っていたら、小さい器に入ってきたのは海草を刻んだようなものにすり下ろした生姜が乗せられたものでした。とりあえず、食ってみっかと箸を入れるとねばねばとしたとろみがあるんですね。酢であえてあるんで、粘りはそれほど強くなく、ほわっとした酢と磯の香りが口の中に広がるとそれらは残ることなく、するするっと喉を通り過ぎていきます。
 
こりゃ、うめぇっていうのと同時に、いざ食べてみてね、やっとこれだったのかと、思い出してきました。アカモクという冬に取れる海草の一種で(これは調べました)、熱湯を通して刻むとねばねばとしたとろみが発生し、それに醤油をかけてご飯のお供としてよく食べていたことを。
 
今でもね、雌株(メカブ)といった海草ものが好きなのは、子供のころにこれを食べていたからだなってしみじみと思い、なんだか懐かしさを噛み締めながらギバサを頂きましたよ。
 
鱈の胃袋のキムチは、なんか日本酒を飲むからあとでつまみにいいべなと思い、味見程度に食べるとして、ちょっと遅れてやってきたのが南部焼き味噌。しゃもじに味噌を乗せて店員さんが持ってくると、僕の目の前でその味噌をガスバーナーで炙ってくれました。しかもね、「おいしくな〜れ、うめぐな〜れ!」と、方言まじりのおまじないをしながら炙ってくれるのでね、うまくないわけがない。
 

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久しぶりにいただくと、これもまた懐かしい味というか。味噌だけを食べるとやはり、しょっぱすぎるんだど、表面を炙って焼きを入れているのでね、その焦げ目の香ばしさと味噌のしょっぱさが生み出すハーモネーっつうのがな、こいつがいいんだなって、ちょこちょこつまんでたら、そろそろ日本酒が飲みたくなってきてね。
 
日本酒に関しては岩手、宮城、福島の三県を制覇しようと思っていたので、まずは南部焼き味噌のしょっぱさに合うのは、岩手の地酒として有名な“南部美人”だべなって、店員さんにオーダーしましたよ。
 

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するとその店員さんが、受け皿の上に枡が乗ってさらにその中にグラスが入っているとい3段重ねを用意すると、一升瓶ごと持ってきた日本酒を「うまぐな〜れ、おいしくな〜れ!」と例の掛け声とともに注いでくれました。一番下の受け皿からお酒が溢れんばかりに注いでくれてね、これもまたうれしいんじゃねぇのってグラスに口を近づけてちゅちゅっと飲むとまた、うめんだな。南部美人。
 

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そろそろ腹にたまるものが食べたくなってきたのでね、それではと、頼んだのはやはり、仙台の名物となっている炭火焼牛タン。小皿に南蛮みそ漬けもちゃんと付いてくるとこなんかはうれしいんです。これらをね、七輪に乗せて一枚、いちまい頂く幸せ。ハッピー・ビーフ・タンですな。
 
ともあれ、お腹も徐々に満たされ、酔いもほろ酔い気分となってやっと落ち着いたのでね、ここらで店内を改めて見渡すと、なんと僕の対面となる遠くの席にひとり腕を組んで空を見つめる不思議な人を発見しましたよ。
 
あの見覚えのある坊主頭は仙台四郎さん(明治始め仙台に実在した人物で、四郎さんが行く店は繁盛するといわれ、没後も商売繁盛の福神として置物や写真などが飾ってある)じゃあねぇが? と思ったので店員さんに確認してみると「確かにそうです」とのこと。
 

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岩手県滝沢村のお祭り“チャグチャグ馬コ”の大きな置物の前に佇む四郎さん。「なんだや、ひとりで飲んでねぇで一緒に飲むべ!」って、誘いたかったのですが、残念ながら隣の席が僕も四郎さんも空いてなく、まあ、お互い気長にやるかってことに。
 

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右手を見れば神棚には福島県会津地方の郷土玩具“赤べこ”もあり、そういえば小学生の時に赤べこのような張子人形をね、工作の時間に新聞紙をちぎって薄めた糊で風船に貼り合わせて作ったなって思い出したのですが、神棚の隣にあるあまり見覚えのない“釜神様”のお面の下には宮城県と書いてあって。
 
出身地なんだけど、こういう神様いたっけかな? って、クエスチョンマークが頭上に浮かんだとおもったら、真上にあったのは仙台の“七夕まつり”をイメージした七夕飾りでした。
 

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七夕が行われる8月上旬になると、中央通りと言われている商店街のアーケードに巨大な七夕飾りがぶら下がっていて、当時は宮城を代表する祭りなのに「あんな人ごみの中、飾りだけみてなにがおもしぇんだべ?」なんて思っててさ。
 
山形花笠祭りとか、秋田竿燈に青森のねぶたとかね、ああいう踊って練り歩く“お祭り”っていうのが、なんか楽しそうでうらやましかったんだけど、もう十数年も七夕まつり見てないなって思うと、なんだか懐かしく、そして恋しくなってきてね。
 
久しぶりに見に行きてぇなあって思い出していると、宮城のお酒が飲みたくなったので、塩釜が誇る銘酒“浦霞”を飲むべって早速オーダー。また、「おいしくな〜れ、うめぐな〜れ」って掛け声で注がれた浦霞をね、グラスに口をつけてちゅちゅっと飲むとまた、これがうめんだなって。
 
浦霞を堪能していると、なんか笹かまも食べたくなってきたのでオーダーし、やってきたその笹かまをおつまみに呑んでいると、元気のいい店員さんがおもむろに「記念撮影タイムです!」ってな感じでお客さんの写真を撮りだしたんですね。
 

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なにやら来店したお客さんと店員さんが持った復興支援酒場の看板と共に撮影するらしく、釜神様のお面がなんとここで登場。店員さんが釜神様のお面を自分の顔の前にもってきて「釜神様のお面つきで撮影しますか? それとも無しですか!」って聞いてきたのでね、記念だから「ありでお願いします」といったあと撮影してくれました。
 
この時点でも釜神様ってなんだかわからないままでしたが、まあ、いいかと撮影してもらった後、せっかくだからあそこでひとりたたずむ仙台四郎さんと撮影できないかとお願いしてみると、言ってみるもんですね。
 

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歩くことができない四郎さんを店員さんがね、わざわざこっちの席まで運んでくれてね(俺が行けばよかったんだってことには今、気づきました)。「なんだや、わざわざきてくれて、ありがとね!」と、撮影後、やっと一緒に飲み始めることに。
 
「四郎さんも飲んだらいっちゃ」って進めたんだけど、なんかおしょすい(はずかしい)のか遠慮しちゃってね。じゃあ、代わりに俺が飲むよって言いつつ今度は福島の酒飲むかって選んでいると、“酒は大七”の大きな野立て看板で有名な“大七”を発見。そう、これしかねぇなってお願いしてみるとなんと売り切れたってんだから残念無念。
 
んじゃ、福島のお勧めのお酒をって、店員さんが持ってきたのは“榮川”でね、また例の掛け声の後、ちゅちゅっとグラスに口をつけて飲みだす福島の酒も、うめぇってなもんで調子に乗って飲んでいたら、小腹が空いてきたんで、最後になんか食べようと頼んだのが盛岡冷麺でした。
 

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冷麺を夢中で食べてはっと我に返ると、いっぱいだったカウンターのお客さんの姿は少なく、隣にいた仙台四郎さんがその細い目で空を見つめていました。んでは、そろそろけえっかと、お勘定をお願いし、復興支援酒場をあとにしました。
 
仙台で行きそびれた復興支援酒場に東京で行くことができ、料理もお酒も堪能することができました。いつもなら2回位に分けるレポート内容でしたが、早くお伝えしたくていっきにまとめてしまいましたよ。
 
また、アメリカに行く前にね、近々行きたいと思っています。皆さんも新橋方面で飲む機会があれば、チャグチャグ馬コ、釜神様、そして仙台四郎さんが待ってっからいってみてけろ。