2月なってから寒さも和らいできたかなと思っていたのですが、油断はできません。先週末から雪がちらほらと降っていたのですが、それは大地震の前震のようなものだったんですね。月曜日にはとうとうこれでもかというくらいの雪が降り、東京を一晩で銀世界にしてしまいました。4〜5センチくらいは積もったんじゃないでしょうか。
東京でこんなに雪が積もったときに居合わせたのは初めてかもしれません。さすがに自転車で帰ることもできずにその日は電車で帰りましたよ。駅から家までの帰り道、傘に積りはじめた牡丹雪の重さを手に感じつつ、街が雪で覆われていつもの夜よりぼわっと白く明るくなっている光景を見るとなんだか故郷の宮城を思い出してしまってねぇ。それに今年限りの開催となるインディジャパンのことを思うと、ちょっとセンチメンタルになってしまったのっしゃ。
なんでもいつかは終わりが来るけど、このタイミングだとは思ってもいなかったのでね、今週くらいになってやっと現実的に考えられるようになりましたよ。もう終わることが決まったのだから気持ちを切り替えて、今シーズンは最後のインディジャパンを盛り上げていくために、インディカーの情報を現場からしっかりと伝えていかなければなと。そういった意味でも今年はこれまでの集大成といえる仕事をしなければなりませんね。撮影にも気合が入るってなもんです。はい。
さてさて、日本滞在もあとわずかになりましたが、渡米までにキーウエスト旅情が終わるのか心配になってきたのでね、とびとびになってお伝えしてきましたが、これからは終わるまで一気に続きをお伝えしたいと思います。
キーウエスト旅情 −Ernest Hemingway Home Part 1−
そもそも前回お伝えした灯台に登ったのもその目的地の手がかりを発見することができるんじゃないかなっていう期待がありました。それはアメリカを代表する文豪で1954年ノーベル文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイの家です。キーウエストといえばアメリカ本土の最南端として広く世界に広まっていますが、ヘミングウェイが住んでいた街としても有名ですよ。たぶん。
そんなヘミングウェイが1931年から1961年のお亡くなりになるまで所有していた家も(実際に住んでいたのは2番目の奥さんポーリンと離婚した1939年までだと思われます。その後、海を隔てた90マイル先のキューバに移住。アメリカに戻る際にちょくちょく寄っていたようですよ)、前回キーウエスト灯台頂上で発見した“写真でわかる観光案内ボード”にもちゃんと紹介されていたのでね、しめしめと探してみました。
ただ、上空からだと街中は木々が多くて分かりづらいし、結構遠くにあるんじゃないかって勝手に目を凝らしてしばらく探していたのですがなんてことない、キーウエスト灯台のすぐ真下の道を挟んだ向かい側にヘミングウェイの家を発見。灯台下暗しとはよくいったもんで(実際には昔のロウソクの明かりを灯す台の下が暗くて見えにくいことから身近なことがかえって分かりにくいってこと)、灯台違いですがアメリカ最南端の地でその意味について身をもって理解したのでした。
ともあれ、事前に俯瞰から場所も把握できたし、キーウエスト灯台とそのミュージアムの観光を終えてから、方向音痴な僕でもさすがに迷うことなくヘミングウェイの家に到着。ほんとね、キーウエスト灯台の向かい側にあってある意味ではキーウエストの観光名所的な場所ってそれほど移動もせずに済むんだなって思いながら入場料を払い、お宅拝見がスタートです。それはもう気分はね、開始放送21年目に突入した長寿番組“渡辺篤史の建もの探訪(テレビ朝日)”ですよ。
お宅を拝見する前にまずは家の外周から説明しなければなりません。アメリカにしては珍しく家の周りに塀があるのですが、これらは当時、キーウエストにくる旅行者が「ここがあのヘミングウェイの家だってよ」と家を取り囲んでいた金網フェンスから覗いていくのでね、家族のプライバシーを守るためにこのような塀を作ったんですって。へぇーってな話ですね。家に入る前に玄関に立っていた案内役の人から日本語に翻訳された案内をもらったのですが(これが大いに役に立った)、それに書いていました。庭に植えられた木々の多さもプライバシーを守るためだったのかもしれませんね。もともと生えていたのかな?
家は2階建てで地下室もあるようです。外壁は白をベースとし、風通しと室内を明るくするために多くの窓が設置されています。すべての窓にはシャトルーズ・グリーンにペイントされた木製の開閉式よろい戸が設けられ、窓の壁際に塗られたアイビー・グリーンとの色の移り変わりが表現されています。
また、2階をぐるっと囲むように設置されたバルコニーはこれもさらに深い色合いとなるビリヤード・グリーンで塗装され、それらのグリーンのグラデーションが奏でるハーモニーはまさに緑に囲まれた家が自然に溶け込むかのような形で、いや、むしろ家から葉や樹枝が生えているかのようにも見えます。すばらしい調和です。早速、家の中に入ってみましょう。
玄関から家の中に入ると2階へと続く階段がありましたが、とりあえず、右手にあるリビングルームに入ってみると、ヘミングウェイと友人のグレゴリオ・フェンテス、そして釣り船ピラー号が描かれた絵画にその模型がありました。ピラー号も屋根や船底をフォレスト・グリーンにペイントされていたので、ヘミングウェイはグリーンが好きなんだなってことがやっと分かりましたよ。
さて、気になるフェンテスさんは20年以上にわたってピラー号のコックと航海士をしていたヘミングウェイの良き友人だったようです。絵画の周りにはそのピラー号に乗ってメキシコ湾流で釣った巨大なマカジキの写真が飾ってあります。釣りキチ俳優、松方弘樹もギャフンというか魚だけにギョフンと思わずいってしまいそうな魚たちです。
ダイニングルームに移動してみると、そこにはヘミングウェイの2番目の奥さん、ポーリンが収集したシャンデリアや食器棚などがおいてあり、また、壁にはヘミングウェイがいかにワイルドな文豪だったかが分かるような写真が展示されています。アフリカで猛獣狩りをし、メキシコ湾流で巨大マカジキを釣り上げたと思ったら、アルプスでスキーを嗜み、若いころは従軍記者として戦争を取材。小説ではピューリッツァー賞を受賞しているんですよ。
しかもね、ハドリー、ポーリン、マーサ、メアリーといった4人の奥さん(3度の離婚、そして4度の結婚)と子供たちの写真も展示されていて、なんかもうね、小説がというよりヘミングウェイ自身がハードボイルドなんですね。ただただその凄い生き方にびっくりしつつ今度は2階へと移動しますが、その様子はまたまた長くなってしまったので次回お伝えしたいと思います。この調子じゃ、アメリカ行くまでに終わんねぇな。こりゃ。