インディジャパンまであと1週間となりました。ということは1週間後に僕はモテギにいるはずです(実はまだ in U.S.A)。そう思うとちょっと不思議ですね。半年もアメリカに居ると日本、そしてモテギにいる自分をまだうまく想像できませんよ。日本に到着してやっと実感するんでしょうね。
今年も飛行機のトラブルがなく無事帰れれば良いのですが、それだけは運みたいなもんですからね。何もないことを祈っております。
さて、インディジャパン前にはブラジル旅情を終らせたいなと思っているのでね、ぱぱっとお伝えしますよ。
−サンパウロ珍道中−
それではとロジャーと共にタクシーに乗り込み、一路イピランガ独立記念碑に向かうことになりました。ナビゲーター&タクシードライバー、Tさんのちょっとした身の上話を聞くと、2歳のころにご両親がこのサンパウロに移住し、それ以来70年住んでいるとのこと。
ということはもう72歳ってことです。もうおじいさんですよ。でもね、見るからにまだまだ元気そうだし、日本語も十分しゃべれるので、ある意味最強とまでは言いませんが、最高のナビゲーターじゃないかと。アメリカから来てしまった僕とロジャーは素直に身をゆだねることになりました。
タクシーに乗ると、僕らが歩いてきたリベルダージの道を戻るようにタクシーは進み、地下鉄の駅を過ぎるとすぐ左手に“セー大聖堂”が出てきました。「ここがね、サンパウロの中心地で、番地で言う0番地なんだな。ここから1番地ずつ増えてってるんだ」と、いつの間にスイッチが入ったのか、Tさんガイドがスタートしました。
あらららら、こんな近くにこんな見所満載の場所があったのねと、早速Tさんガイドに驚き、そしてその広場の脇をタクシーは進んでいきました。すると大聖堂の反対側に出てさらにびっくり。僕がサン・ベント聖堂より、実はこっちの寺院の方に行きたかったんだよなぁ、と思っていた写真の建物が目の前に広がったのです。
というのもこの“セー大聖堂”、ホームページで調べたら街の中心地と書いてあったので、そこまではいけないだろうなって思っていたんです。そしたらリベルダージからすぐ近くで、これが“セー大聖堂”だったのかと。やっと実物を見てわかったものの、今はタクシーの中だし、もう遅いやって感じでした。
そんなことをぼやいていると「なんならその辺でまっててやるから、写真でも撮ってくるか?」とTさん。でも、けっこう多くの人々が集まっていて、なんかちょっと危険を感じそうな雰囲気だったので、せっかくでしたが遠慮して通過してもらいました。
でもこれでね、来年またこのリベルダージまでくれば、歩いて“セー大聖堂”を見に行けることがわかったから大きな収穫ではありました。
あとはまっすぐ記念碑まで連れて行ってくれるのかと思っていたのですが、はっと気付くと東京、丸の内界隈のような場所に来ていて「ここ、サンパウロ美術館とかもあるパウリスタ大通り。有名ね。写真撮ってく?」なんていわれちゃったから、ここは治安もよさそうだし、今回も断るのもなんだったので「あ、はい」ってな感じで答えたら、いきなりクルマを歩道に乗り上げて駐車してくれました。
急だったので、ささっと僕とロジャーでクルマから降りて、なぜかわからないけど、なんでもないオフィス街で記念撮影して、そそくさとクルマに戻り、何もなかったかのように次の目的地へと向かいました。今思うと、なんか変な感じですよね。
すると今度はダウンタウンの抜け道的な細い路地を通っていきます。「この辺に日本のホテルあるんだよ」と、パウリスターノ(サンパウロっ子)しかわからないような情報もちょくちょく教えてくれます。(実は日本のガイドブックにあったりして)
クルマは大通りにでてからも、細かいTさんの解説は続きます。その状況を運良く動画で撮影できたところもあったので、ちょっとだけですがご覧ください。なんでも、リオデジャネイロ(?)に行く電車はここから出ているらしいです。
Tさんのありがたい情報に相槌を打っていると、目的地らしいところに近づいている手ごたえを感じる景色がやっと広がってきました。なんか記念碑っぽいのがありそうな雰囲気です。
ついにイピランガ独立記念碑を発見したのですが、その場所は僕が抱いていたイメージとはちょっと違って、なんだか閑散としています。なんかもっと観光客がわんさかいて、もしかしたら記念碑に誰か乗っちゃって? くらいの賑わいかと思っていたのですが誰ひとりいません。
Tさんにそのことを聞くと「今日は平日ってこともあるけど、そんなにここに来る人いないからな・・・」と寂しいお答え。
まあ、それでもせっかく来たんだからTさんに「記念に写真撮ってきますから、少し待ってもらえますか?」と言うと、もちろんだよっと軽く右手を上げて応えてくれました。ロジャーとともに記念碑へダッシュです。
なんかやっと目的地に着いたなっていう安堵感はあるものの、それ以上の感動というか、例えば奈良の大仏を見たときのような驚きはなかったですね。ただ、ここで「独立か死か」の雄たけびを上げたドン・ペードロ摂政王子(のち一世皇帝)と彼を囲む兵士達の劇的な史実を再現したというこの記念碑の前で記念撮影することで、ここに来たという証は残せたんじゃないかと思いました。
この間、本当にこの記念碑を見に来た人は見かけず(散歩、ジギングしている人はいました)、Tさんを待たせるのもなんだったのでクルマへ。その後サーキット内にある宿泊先のホテルへと向かってもらい、僕らのブラジル珍道中、そしてブラジル旅情は終焉を迎えることになりました。
今回のブラジルは10年振りで、しかもサンパウロは初めてだったし、治安は悪いんだろうなって思っていました。正直、あまり行きたいと思う国ではなかったのですが、実際のところ、危険な目に遭うこともなく、無事アメリカに戻ることができました(あったら、この話し書けていませんよね)。
右も左もわからない僕達でしたが、到着した初日からサーキットのイベントスタッフが暖かく迎えてくれ、シュラスコも堪能できたし、東洋人街では太陽堂の店員さん、そして旅行代理店のスタッフさん、レストラン&バーの店員さん、そしてタクシードライバーのTさんと、今回のブラジル旅情では多くの現地の方々にお世話になりました。
初めて訪れるような国で、同じ日本人の血が通っている人と話しができるだけで、なんともいえない安心感がありましたし、親身になって助けていただきました。あらためて御礼の言葉を。オブリガード!
そしてまた来年も新たな旅情を皆さんにお伝えできれば、これ幸い。
次回はfrom US改めfrom Japanになる予定ですよ。