Hiroyuki Saito

ブラジル旅情 −サンパウロ東洋人街探索−

アイオワのレースが終了し、今週末はお休みです。今年のレース・スケジュールは隔週が多いので、アメリカを拠点として取材している僕にとってはうれしいです。昨年までは3週連続はあたり前田のクラッカー、たまには4週連続で行われていた時期もありましたからね。それはそれで大変でした。
 
そういった意味で今年は良いペースでレースが行われていますが、気がついたらシーズンはもう折り返し点に来ているんですね。早いです。@いう間です。この調子だと、気がついたらモテギにいそうですよ。次回からはロード、ストリート・コースが続きますから、それはそれで楽しみですね。
 
レースのない週末なので、ぼちぼちブラジル旅情の続きをお伝えしたいと思いますが、このペースだとシーズンが終るまで、いや、来年のブラジル開催までブラジル旅情ネタでこのコラム引っ張っていくかもしれませんよ。ご了承ください 😛
 
 
−サンパウロ東洋人街探索−
 
 
初開催となったブラジルでのストリート・コース、しかも開幕戦といったとても重要なレースでしたが、メインストレートのサンバ通りが僕のギャグくらい滑りまくるからレースになんねってんで、急遽、道路を削るという突貫工事をして事なきを得ました(僕のギャグも突貫工事で滑らないようになればいいのになぁ)。レース中も大雨が降って一時中断なんてことになりましたが、皆さんもだいぶ前にご存知のとおり、無事、終了しました。
 
そんなこんなで予定通り、レースデイ翌日の夜のフライトでアメリカに戻ることになったのですが、それまで時間あるし、そういえばまだコースの敷地外に出ていない“井の中の蛙”状態でしたから、ロジャー安川と世界最大規模の日本人街、サンパウロの東洋人街に行ってみんべと、タクシーで向かいました。元々は“日本人街”と呼ばれていたのですが日本人が減少し、中国人や韓国人が増えてきたことから2004年に“東洋人街”と呼ばれるようになったようですよ。
 
そんなオリエンタルな街にレース開場から30分くらいで到着。リベルダーデ(最近の発音ではリベルダージなんですって。ポルトガル語で“自由”という意味だそうです)にあるこの東洋人街のたぶん中央通りと思われる、ガルボン・ブエノという通りの途中でタクシーから降り、そこから中心地だろうと思われる方向に歩いて向かいました。
 

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その通りには提灯の形をした街灯があり、歩道のタイルは三つ巴の模様と日本ちっくな雰囲気をかもし出しています。見ようによっては赤道に近い、もうひとつの沖縄って感じの商店街にワープしたような、そんな雰囲気です。
 

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中心地の方へと向かっているつもりで歩いていると“居酒屋かぶら”を発見しました。ここはブラジルだから日本のように名前が“かぶら”ないでしょうね。
 

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交差点の角には“梓”(現地ではAZUSSAアズッサって感じなのでしょうか)という宝石店もありました。あとでみた地図の広告には“ブラジルはコーヒーとサンバと宝石の国”ってうたい文句が書いてあったのでね、土産品も兼ねた宝石店もこの界隈に多かったですよ。
 

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さらに進むと日本庭園を発見。日本ちっく度は徐々に高まっていきます。
 

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そういえば事前に調べて写真で見ていた神社によくある赤い大きな鳥居がねぇなぁって思いながら進むうちに、とうとう中心地らしき場所に出ました。お昼時とあって多くの人々で賑わっています。
 

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そこでとうとう日本ちっく度の完成系というべき建物を発見。なんとこれ銀行なんですよ。すごいですね。なんかインチキくさいけど、このご時世でもお金ありそうな銀行ですね。
 

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ここまではなんとかこれたけど、いい加減、地図かなんかほしくね? ってロジャーと話していると、なんと“太陽堂”という書店を発見しました(写真左)。さっそく地図を物色しようと入ってうろうろしていたら、日本人の店員さんが「なに探してるの?」って感じにいわれたので、実は「地図を探しているの」っていったら「もしかしたら旅行代理店に行けば日本語の地図がタダでもらえるかもよ」って、お店の売り上げのことは考えずにアドバイスしてくれましたよ。「目の前の広場通って道渡ったら旅行代理店あるから」って。
 
異国の地での同胞のやさしさに感謝しつつオブリガードとお礼をして太陽堂をあとにしました。まぁ、その旅行代理店で地図が手に入りそうだし、お腹も空いたってことでね、ロジャーがなんか調べておいたブラジルちっくな料理のランチが近くにあるからそこに行こうということになりましたよ。
 
お腹も空いたってことで、ブラジルちっくなランチのようすは次回にお伝えしますよ。