各シリーズとカテゴリーを代表するドライバーが、数多く参加した今回のデイトナでしたが、実は昨年の8月に帝国ホテルで行われた小樽グランプリの記者会見で、我々のために来日してくれたジム・マイケリアンもドライバーの一人として参加していたのです。彼はロングビーチ・グランプリ創設者のひとりで、昨年のロングビーチGP以来、小樽グランプリの件などでいろいろとお世話になっています。
レースが始まる前にエントリー・リストを見ていたらジムの名前が出ていたのに気がつきました。そういえば以前彼が「こう見えても俺は現役のレーシング・ドライバーなんだぜ」と言っていたことを思い出して、SpeedTVのライブ中継を見ていました。レース中、彼らチームが駆るゼッケン43番のポルシェGT43は、途中多くのトラブルに見舞われながらも無事総合41位でチェッカード・フラッグを受けていたのでまずは一安心。また近いうちにジムにあってデイトナ24時間レースの裏話でも聞いてみたいと思います。
耐久レースといえば、僕が一昔(10年以上前になりますが…)モーターサイクルでロードレースをやっていた当時に、仲間とチームを組んで何度か戦った24時間耐久レースのことを思い出します。自分が最後にライダーとして参加した1992年のレースでは、序盤クラス・トップを走っていたにもかかわらず、夜に入ってからトラブルが発生。オーバーヒートしてしまったエンジンの交換で、約50分のタイムロスを強いられました。
決してお金のあるチームではなかったので、メカニックをはじめ、ピットクルー、ヘルパー、それにライダーまでほぼ全員が一丸となってなんとか作業を終えてコースに復帰。その努力の甲斐もあって、レース復帰時点では最下位に近いところまで後退していた自分たちのチームも、周回を重ねてゆくなか徐々にポジションを上げていき、最後は惜しくも11秒差のクラス2位でのフィニッシュを果たしました。僕がアンカーを勤めたのですが、24時間走って11秒の僅差でしたから、やっぱりちょっと悔しかったですね。
1996年、はじめてデイトナ24時間を見に行ったときにパドックやピットで目にしたのは、お金のあるトップチームに混じりながら、おそらく当時の自分たちのように限られた資金でも、和気藹々とレースに挑んでいた小規模チームが精一杯頑張っている姿でした。あれから10年、まあモータースポーツといえば、資本主義をそのまま反映しているような文化があり、F1などはその頂点にあるともいえますが、やはりアメリカン・モータースポーツに関しては、アメリカン・ドリームの可能性を多少なりとも残しておいてほしいかな、と思ったりなんかもします。
アメリカで最も伝統あるロング・ビーチ・グランプリのCEOジム。小樽グランプリの件でも、親身になって色々と教えてくれます。ほんとうに助かってます。彼が東京へ来た時の様子は小樽グランプリの
http://otaru-gp.com/modules/news/article.php?storyid=9
をご覧ください。