<Honda>
2006年5月28日(日)・決勝
会場:インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(全長2.5マイル) 天候:快晴 気温:32℃
世界で最も長い歴史を誇るインディアナポリス500マイル・レース(Indy500)はこれまでにも多くのドラマを生み出して来たが、今年は最終ラップの大逆転という劇的な幕切れとなった。観客席を埋め尽くしたファンは、終盤を迎えてからの度重なる逆転劇に沸き返った。
ゴール目前の198周にルーキーのマルコ・アンドレッティ(アンドレッティ・グリーン・レーシング/ダラーラ)が、父マイケル・アンドレッティ(アンドレッティ・グリーン・レーシング/ダラーラ)をパスしてトップに立ち、そのマルコを最終ラップの最終コーナーからのストレートでサム・ホーニッシュJr.(マールボロ・チーム・ペンスキー/ダラーラ)が抜き去って優勝を飾ったのだ。ホーニッシュJr.にとって初めてのIndy500優勝は、チーム・ペンスキーにとっては通算14回目となった。
晴れ渡った空の下、Indy500ならではの華々しいセレモニーが行われ、アメリカ東部時間の午後1時過ぎに33台のマシンはローリング・スタートを切った。決勝日の天候は、プラクティスと予選の行われた2週間とは異なり、朝から気温、湿度ともに非常に高いものとなっていた。真夏のような暑さの中でシリーズ最長の500マイルレースは争われたのだ。気温が上昇すると空気の密度が下がり、マシンを地面へと押し付けるダウンフォースは減少する。インディカーの前後に装着されたウイングの角度のセッティングをどの程度にし、ダウンフォースをどれだけ確保して走るかが今年のレースでは大きなポイントとなっていた。
レースの大半は昨年度ウイナーのダン・ウェルドン(ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング/ダラーラ)がリードした。しかし、終盤土壇場を迎えて彼は失速気味となり、絶妙のタイミングでピットストップを行ったマルコ・アンドレッティ(アンドレッティ・グリーン・レーシング/ダラーラ)が、やはり的確な作戦でピットタイミングをずらしていた父マイケル・アンドレッティ(アンドレッティ・グリーン・レーシング/ダラーラ)とともに、ゴールまで残り10周を切って1-2態勢を築き上げた。
最後のリスタートが196周目に切られた後、親子対決は息子のマルコが制し、ルーキーは初優勝に向かって疾走を続けた。ところが、マイケル・アンドレッティをパスして2位へと浮上して来たポールシッターのホーニッシュJr.が、最終ラップの最終コーナーを立ち上がってからマルコ・アンドレッティをかわし、念願の初優勝を手にしたのだった。
今年で90回目の開催を迎えたIndy500は、30万人を優に越す観客を集める世界最大のモータースポーツイベントである。その伝統あるレースは、今年は出場する全員がHonda Indy V-8を搭載して争われた。決勝に進む33台がすべて同一のエンジンだったことはIndy500の長い歴史の中でもこれまでに4回(1954、1955、1959、1960年:すべてオッフェンハウザー・エンジン)あったが、予選からすべてが一種類のエンジンで行われるのは今年が史上初めてとなった。
今回のIndy500開催中には、HPD社長のロバート・クラークと、Honda Indy V-8の開発及びメインテナンスで技術パートナーを務めて来ているイルモア・エンジニアリング社長のポール・レイに対し、インディアナポリス・モーター・スピードウェイからハーブ・ポーター賞が授与された。同賞は技術的進歩に意欲的な姿勢を見せた、あるいは革新的技術の達成を果たしたエンジニアに贈られるもので、2009年までIndy500へのエンジン供給を行い、伝統のイベントをサポートして行く姿勢に対しての授賞となった。
松浦孝亮(スーパーアグリ・フェルナンデス・レーシング/ダラーラ)は、今年が3回目のIndy500出場。自己ベストの予選7位からスタートしたが、高温となったレースコンディションでマシンのハンドリングが万全ではなく、15位でゴールした。
Indy500へのスポット参戦を果たしたロジャー安川(プラヤ・デル・レーシング)は、予選28位からのスタートから、16位までポジションを上げて4回目の出場で3回目の完走を果たした。
コメント
■サム・ホーニッシュJr.(優勝)
「本当に素晴らしい仕事をしてくれたチームに感謝したい。ピットで燃料補給のトラブルがあった時と、ゴール前2周のターン3でマルコをオーバーテイクできなかった時は、もうチャンスは再び訪れることはないだろうと思った。しかし、諦めずにシフトダウンして追いつこうと頑張り、最終ラップの最終コーナーで追いつくことができた。子どもの頃はIndy500に出場することだけでも夢だった。こうして伝統のイベントで優勝することができ、最高に嬉しい」
■マルコ・アンドレッティ(2位)
「ゴール前2周のターン3でホーニッシュJr.のパスを防いだ時、勝てると思った。あの後にリードは大きなものとなっていたからだ。しかし、彼はまだスピードを隠し持っていたようだ。あんなスピードはどうやったら出せるのか、僕らはそれを解明しなければならない。初めてのIndy500で、もう少しで勝てるというレースを戦えた。文句は言うべきではないと思うが、僕は2位じゃなく、優勝がしたかった。来年のIndy500が待ち遠しい。まだ僕は若いから、これから何度もIndy500での優勝にチャレンジができる」
■松浦孝亮(15位)
「10周ぐらい走るとハンドリングが一気にオーバーステアになってしまう状況で、それを直そうとピットストップのたびにセッティングを変更していたのですが、結局最後までハンドリングを良くすることができませんでした。非常に悔しい、フラストレーションのたまるレースになってしまいました。次のワトキンス・グレンでは絶対にトップ争いに加わり、今後のシーズンはランキング・トップ5入りを目標に全力で戦って行きます」
■ロジャー安川(16位)
「最初の2スティントはマシンのバランスに苦労しましたが、ピットインをするたびにタイヤの空気圧調整などを行い、後半は良いハンドリングのマシンにすることができていました。乗り始めた時期が遅かったので、レースのスタート時ではかなり出遅れてしまいましたが、最終的には16位でゴールできたことを嬉しく思います」
■ロバート・クラーク: HPD社長
「出場車全員がHonda Indy V-8を搭載しているため、優勝は保証されていた。しかし、我々には全員がエンジンに何のトラブルもなく500マイルを走り切ってもらうという大きな課題が与えられていた。そして我々はその目標を達成した。33台という多くのマシンにエンジンを供給し、そのすべてがノートラブルであったことを我々は誇りに思う。出場した全車にひとつのエンジントラブルも起こらなかったのは、Indy500の歴史の中でも初めてのことだと思う。この約1ヶ月間、多くのチームオーナー、そしてドライバーたちから、Honda Indy V-8の高性能ぶりと信頼性に対する賞賛を頂いた。優勝したサム・ホーニッシュJr.と、チームオーナーのロジャー・ペンスキーにおめでとうと言いたい。彼らは素晴らしいフィニッシュを見せてくれた」