アイヌ語で“砂の中を流れる川”の街
小樽には今年も記録的な大雪が降る
この冬、例年にない大雪に見舞われている日本海側だが、小樽も例外ではなかった。2006年1月9日午前3時、積雪がついに143センチを記録。1月の積雪量では1954年の172センチに次ぐ史上2番目となり、家々はすっぽりと雪で囲まれ、除雪が追いつかずに様々な事故が相次いでいる。
2年連続の赤字財政で、累積赤字が12億円に達している小樽市にとって、この大雪がさらに財政を圧迫するのは間違いない。昨年は地元経済の象徴ともいうべき、創業以来115年続いた総合百貨店、“丸井今井小樽店”が撤退。家庭ごみの有料化も始まるなど、市民への直接的な負担が確実に増えている。
「この小樽をなんとかしなければ・・・・・・」
誰も引き受けなかった小樽グランプリのアイデアを、北海道みちとくらしと未来のネットワークから2003年秋に引き継いだ木下 修さんには、ある思いがあった。大正時代に祖父が起した“木下合金”の四代目は、「私が子供の頃と同じように、小樽を復興させたい」と口癖のように語る。
今や札幌が北海道の中心地であることは誰もが認めるとおりだが、その昔は小樽が北海道の経済を支えていた。アイヌ語で“砂の中を流れる川”という意味のオタルナイが小樽になったのは、開拓使が置かれた1869年(明治2年)。同時に蝦夷と呼ばれていた地は北海道と改められた。
約400年も前から漁業が盛んに行われ、天然の良港である小樽の港には、やがて世界の船が出入りするようになる。北海道の豊富な石炭を港へ運ぶため、1880年に日本で3番目の鉄道が小樽−札幌間で開通。日本のエネルギー基地としての国家的プロジェクトに、北海道開拓に充てられた国家予算のほとんどが注ぎ込まれた。
1899年に横浜、神戸に次ぐ国際貿易港となった小樽の人口は6万人をオーバー。札幌より2万人も多くの人が住み、昨年撤退した丸井今井の前身である丸井呉服店は、この頃に開店したのだった。
筆者近況
12月22日に地域説明会を行い、内閣府の構造改革特区担当 地域再生事業推進室から来た参事官の方に、地域再生計画の主旨や補助金などについて説明を受ける。協議会はコース予定地周辺の方に小樽グランプリの主旨を説明し、僕はチャンプ・カーの代理として、市街地コースの安全性や設営などについてお話させていただいた。現在チャンプ・カーのショーカーはヒルトンホテル小樽に展示中です!
(オートスポーツ誌 2006年1月26日号に掲載)