“道の有効活用”として生まれたGP計画
最初はFニッポンからF1を目指していた
この小樽グランプリは、もともとF1を誘致しようということから始まった。YOSAKOIソーラン祭りで培った経験を活かし、路上を使いたいというのが長谷川 岳さんのアイデアで、もっと「北海道から発信したい」と彼は言う。重要なことは人々のモチベーションを高めることであり、「サッカーと同様、F1のボランティアをやりたい人は多分いくらでもいる」と“北海道みちとくらしと未来のネットワーク”第2回委員会で力説。200万人以上を動員する一大イベントへとYOSAKOIソーランを成長させた長谷川さんの発言は、十分に説得力があった。
道を使ってレースを行うという斬新なアイデア。といっても日本以外ではすでに当たり前のことだったのだが、北海道大学名誉教授や政策研究大学院大学教授といった他の委員も、この小樽グランプリ案にとても興味を示した。「札幌が大きく変わったのは冬季オリンピックでした」と語るのは、北海道大学名誉教授で、工学博士の五十嵐日出夫さん。「今度はF1という御神輿を担いで、小樽を良くしようと。そうすると人々の気持ちは一つにまとまって、皆さん喜んで楽しく参加してくださる。また、そこで経済的効果が上がれば、社会的効果も非常に期待できる」
F1の取材経験もあるスポーツライターの玉木正之さんは、「小樽の坂道を思い出しました。あそこがレース可能な道に変わるということはすごい」とイメージを膨らませる。続けて、「F1やる前にまずはフォーミュラニッポンを成功させて、日本で初の街中の時速200km/hレースができた後にF1を、10年計画ぐらいで。これはすごいことになりそうですよね」といった具体的な案までもが飛び出した。
こうして長谷川さんが提案した小樽グランプリ案は委員会で大いに盛り上がったわけだが、その最初の発想は道の有効的な利用方法を探ることからスタートしたということだ。つまり、はじめにレースありきという考えではなく、この点が非常に重要だと僕は認識している。みんなの道なんだから、できる限り有意義な使い方をしたい。こういった発想が根底にあったからこそ、小樽グランプリの企画は続いてきたのだ。
筆者近況
カルコーベンさん御一行が北京へと旅立った後、地元テレビ局とチャンプ・カーのテレビ放映の可能性を話し合う。翌日はスポンサーになっていただけそうな地元企業にご挨拶に行き、小樽青年会議所の次期理事長とも懇談する。合間にこの連載を書いて、なんてことをしているうちにコース・デザイナーのマーティン・セイクさんが到着して2度目の視察。翌日に東京へ戻ってセイクさんとともにJAFにご挨拶し、コース申請に600万円近くかかることが判明する。冷や汗かきつつ午後の飛行機でIRL最終戦のカリフォルニアへ。
(オートスポーツ誌 2005年11月3日号に掲載)