Hiroyuki Saito

2012 HONDA LA MARATHON −フルマラソンに初挑戦 ウェストウッドからサンタモニカへ−

20マイル地点を過ぎると、スポンサーの“CLIF SHOT”が自社製品のエナジー・ジェルを給付していました。この手のエナジー・ジェルを走っている途中に食べると、とても効くんだよって以前聞いていたのでね、早速、ひとり目の配給係が配っているそのジェルを受け取ると、なんとそれがチョコレート味でした。
 
無償配給されているものに文句など言えませんが、個人的にはフルーツ系のジェルを期待していたんですね。なんで、次の人が配っていたシルバー系の包装をされたエナジー・ジェルをさらに受け取りました。これならなんかフルーツ系だと思って表示を見たらね、なんとモカ味。
 
どっちも喉が乾いているこの状況では濃いわ〜と、ひとり思いながらも体力アップのためには必要です。どっちにしようか迷った結果、チョコレート味のほうがまだいいだろうと、意を決していただきましたよ。これがね、するっと喉を通過していくゼリーのようなジェルだったらいいものの、小学生のころの給食によく出たパンにぬって食べるビニールの子袋に入ったチョコレート・ジャムを食べているような感覚でした。
 
“飲む”っていうよりは、くちゃくちゃと“食べる”といった感じでしょうか。しかもなんか喉に留まろうとするので、ちょいと飲み込むのも大変でしたが、それを見越してか、給水コーナーがすぐあったのでなんとか流し込むことができましたよ。
 
このエナジー・ジェルに期待しているのはフルーツ以上の復活。そう、前回お伝えした“ホイミ”のさらに上の呪文“ベホイミ”くらいの体力アップを期待してはいたのですが、しばらくしてもいまひとつそれを感じることができません。体力も限界にきていると、わかりづらいのでしょうね。
 
痛がる足を一歩ずつ前に出していくと、21マイル、22マイルと1マイルごとに、もうゴールかって思わせぶりな空気で膨らませた巨大なゲートがありました。ゲートがあるたびにまだゴールじゃないのはわかっちゃいるんだけど、あと5マイル、4マイルもあるのか〜って、疲れているからネガティブにもなってきます。
 
そんな気弱になっていた矢先、残り3.2マイルとなる23マイル(37キロ)のゲートを目前とし、とうとう、そのときはやってきました。突然、右足太腿裏の筋肉がピキーンとつってしまったのです! 感じていた痛みは太腿の“前”のほうの筋肉だったので、まさかその“裏”の筋肉がつるとは思ってもいませんでした。
 
「イタタタタ」と、邪魔にならないように右足を伸ばしながらひぃこらひぃこらコースの右側へ向かっていると、左足に負担がかかったせいか、今度は左足太腿の裏の筋肉までつってしまったのです! これにはね、さすがに参ったというか、どうしようもなく、痛みに耐えながら中央分離帯の芝生が生えている場所まで向かい、なんとかたどり着きました。
 
中学生のとき、サッカー部の試合で両ふくらはぎを同時につったとき以来のピンチです。そのときは選手交代したあとコーチがマッサージしてくれてなんとかなりましたが、今は自分自身でなんとかこのピンチをしのがなければなりませんから、さあ大変。
 
はじめに右足からと、アキレス腱を伸ばす要領で足を前後に深く開き、痛めた筋肉を伸ばしました。右足の痛みが収まったら、今度は左足と、それを何度か続けると、ぴくぴくしていた痙攣てきな感じも収まってきましたが、完全に収まるのには5分くらいはかかったでしょうか。
 
今回のマラソンでは歩かないぞと決めて臨んだのですが、両足をつった直後にいきなり走り始めることもリスキーだなと思ったのでね、様子を見るために仕方なく歩き始めました。ちょこちょこと進みながら23マイルのゲートを通過し、足の様子を確かめながら、歩くのとそれほど変わらないペースで、とぼとぼと走りはじめました。
 
もちろん、足をつる前のペースには戻ることができず、歩いているのか走っているのかわからない微妙な感じです。ペースアップできる状態ではないし、現状で出せる最高のスピードを記録して走ってはいました。そんな感じだから1マイルが本当に遠く、そして長く感じてね。
 
23マイル(38.6キロ)地点からは本当につらかったです。なんとか24マイル地点のメディカル・ステーションを見つけたときは、もうそこで休んじゃおうかなってへこたれるくらい、疲れきっていましたよ。
 
でもね、そのメディカル・ステーションに日本人のボランティアの方々がいて、足をつっちゃってとその場所を説明すると、冷却スプレーを万遍なくスプレーしてくれました。応援の言葉もいただいたので、なんとかまたがんばろうって気持ちが湧き上がり、とぼとぼと走り始めました。
 
なんとか25マイルのゲートを通過しました。いよいよあと1.2マイル(約2キロ)です。最も過酷だったSan Vicente Blvdの終点となるゆるい左のカーブを通過し、海の香りを含んだ冷たい潮風を肌に感じながら、最後の直線となる海岸沿いのOcean Aveに足を踏み入れました。
 
パームツリーの並木が植えられたOcean Aveの沿道には、多くの人々がいました。ダウンタウンからここまで走ってきたランナーを称え、みんな大きな声で最後の応援をしてくれました。
 

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応援の声を聞くのが本当に久しぶりだったので(たぶん、中学生のころに入っていたサッカー部での試合以来)なんか照れくさいというか、恥ずかしいというか。でも、その声を聞くと不思議と力が沸いてくるもんですね。足の痛みはあるものの、ちょっとずつですがゴール地点に向けて、なんとかペースアップすることができたんです。
 
最後のゲートが次第に近づき、大きくなっていくと、あとちょっとだっていうと安心感とやっと終わるんだっていう達成感が高まってきました。だた、それと同時にもう終わりなんだっていう思いもありました。
 
ゴールをするときのポーズはガッツポーズと決めていたのですが、ゴールの瞬間、両手を挙げようと思ったらね、疲れて肩より上がらないなんか中途半端な感じのフィニッシュになってしまいました。ちょっと格好が悪かったけど、ゴール後は、なんともいえない達成感が足の痛みを含めた体の疲労と同じように確かにじわじわと感じることができました。
 

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ゲートに表示されていたタイムは4時間25分06秒。なんとか4時間30分は切ったなって安心してからストップウォッチでのタイムをチェックすると4時間19分16秒を示していました。どっちが正しいんだって思いながらも、まあ、完走したからいいやって奥へと進んでいくと、ボランティアの方々が寒さをしのぐためのヒートシートと、記念のメダルを渡してくれました。
 
足をつってしまったのが残念だったけど、走りきることができて本当によかったなってしみじみ思いながらさらに進むと、撮影ボックスのような場所がありました。フィニッシュしたランナーがそこで記念撮影をできるようなので、僕も記念に撮影してもらいました。
 
いやはや疲れたなあと、ちょっとストレッチをしていると見覚えのあるランナーを発見。星条旗を持って僕より早いペースで走っていたあのアメリカ人ランナーでした。でもその手には星条旗はありませんでしたよ。
 
たぶん途中で会った奥さんであろう女性に渡してきたんでしょうね。当初からそのような段取りだったんだとは思います。最後まで持って完走していたら本当に凄いことだと思いますが、結局は最初のハイペースで無理がたたったのか、僕よりあとでフィニッシュしていましたよ。
 
さらに進んで迎えに来てくれる友人との待ち合わせ場所に到着。連絡を取って無事落ち合い、サンタモニカをあとにしました。車を駐車してあるドジャー・スタジアムまで送ってもらい、その後、家まで運転して帰ったのですが、これがまた朝早かったし、かなり疲労しているからたまらなく眠くて危なかったです。
 
ロジャー語録にはその忠告が入ってなかったのでね(ロジャーはダウンタウンに住んでいて車で会場まで行ったことがない)、改めて広之語録として追加しておきたいと思います。「フルマラソンの後は、運転しちゃ駄目だっちゃ。家に無事に帰るまでがフルマラソンだからよ」と。
 
ともあれ、あしなが育英会のオリジナルTシャツを着て走っていたので、街道にいた日本人の方々から応援の言葉を何度もいただきました。応援されるのが照れくさくて、ただただうなずくことしかできませんでしたが、とてもうれしかったです。
 
レース終盤に僕が苦しそうに走っていた姿を見て、追い上げてきた同じTシャツを着たランナーの方に「がんばりましょう!」と声をかけてもらいました。ただフルマラソンに参加しただけではなく、アメリカという彼の地でしたが日本語で応援してもらえたのは心に残る声援となり、そういった意味でも絆を感じることができました。ありがとうございました。
 
インディカー写真
 
後日、確認した正しいタイムは4時間19分17秒でした。次回はぜひ4時間を切ることができるようにトレーニングし(足がつらないように)、雲行き(広之)が怪しくならないように万全の体制で臨みたいと思いますよ。